8月, 2009 のアーカイブ

僕は普通の(普通の範囲は幅広いが)サラリーマン家庭に生まれた。
母は進行性の障害があった。
神経が侵され、いずれ寝たきりになる病気だ。

母の病気が発覚したのは、妊娠中だった。
発覚する数年前から、急に手足が痺れたり、何もない所で躓いて転んだり、入浴中に倒れたりしたが、医者も母の体を蝕む病の正体に気付かなかった。
正式な病名が付いた時、医者は中絶を勧めた。
母は命を賭けて僕を産む決意をした。

S宅に委託される以前、私は何軒もの里親宅をたらいまわしにされたの。
短期間の滞在をふくめると、片手以上の里親宅を経験したことになるわね。

大人になってから知ったことだけど、
保護児童には児童相談所の担当者がつくことになってるらしいの。

爪と肉の間を目打ちで刺される事は、
それまでの短い人生経験の中で、最も酷い肉体的苦痛でした。

私は泣き声を出さないよう気を付けて、すすり泣きながら、
里親に何度も謝りましたが、許して貰えませんでした。
両方の足の親指に、同じ事をされました。

洗面所の床に、血液が落ちていました。
里親は、雑巾で拭き取るよう言い付けました。

ネット上にサイトやブログは星の数ほどあるのに、
里子経験者が発信してるものって、ほんとうに少ない。
「里親に委託された経験を持つ者」自体がマイノリティーとはいえ、
こんなに少ない、というか、ほとんどない現実を目の当たりにすると、
里子たちが歩む人生がいかに厳しく、いかに困難に満ちたものであるかを、
目の前に突きつけられる気がするの。

里父

kent2009 による 4. kent の場合 への投稿 (4. kent の場合)
タグ: ,

里親の家で過ごした、子供時代の数少ない、比較的楽しい思い出は、里父と一緒の風景、だった。

セーリングや、釣りや、キャンプや、交通博物館に、連れて行ってくれたのは、彼だ。

休みの日、電車を見に行って、帰りにファミレスや、モスバーガーに連れて行って貰うのは、辛い日々の中の数少ない、楽しみの一つだった。

僕の手記を読んだ人は、里母は悪人、里父は善人と言うイメージを持ってると、思う。

確かに、里父が居ると、里母は、僕をあまり、虐めなかった。

でも、僕が、里父を好きかと聞かれれば、ノーだ。
里母に接する時と同じように、常に、警戒しながら接してた。
里父が一緒に居る時は好きだったが、何故か、彼を慕う気持ちはあまり、なかった。