「親の執着的愛情」と「善意の里親のオナニー」は別モノ

gladiolus2009 による 7. グラジオラスの場合 への投稿 (7. グラジオラスの場合)

「善意」について考える。

現行の里親審査は「ザル」で、児童福祉法に抵触する前科がなく
生活保護を受けてなければ「希望すれば誰でもなれる」ため
虐待目的のエロ里親やサド里親、お金目当ての銭ゲバ里親が多数いるのが現実。
その手の確信犯的な悪質里親を排除すればイイのかって問題ではなく。
いわゆる「善意の里親」ってのも、かなり厄介な問題であると思うの。
本人は社会の善玉菌のほうに属してると信じ込んでるからこそ厄介きわまりない。
ちょっとツッツカレルとおもしろいくらい「ワタクシは自分を犠牲にしてイイコトしてるのにキー!!!」と
瞬間湯沸かし器みたいに沸騰して攻撃的になる特徴が共通して見られますです。

ヨーロッパの児童福祉先進国の現場では、慈善(チャリティー)やボランティアとの接触が
子どもの尊厳を傷つけ、自尊心を損ねると問題視されて
寄付やボランティアを受け入れない児童福祉施設が増えてるの。
ヨーロッパの児童福祉の現場は質量ともに高水準な人的資源が投入され
ボランティア──シロートの善意──をアテにしないでやっていける環境が整ってるから
わが国の児童福祉のお粗末な現状と比較するのもナンセンスだけど。
ヨーロッパにおける「社会的養護」が里親制度からグループホームへ移行してる理由は
「里親家庭は虐待が多くて危険きわまりない」ってのが最大の原因だけど
「シロートの善意は子どもに良い影響を与えない、むしろ毒」って理由もあるの。

里親の家にいた頃、鉛筆やノートがなくなって新しいモノが必要なのに
なかなか里親に言い出せなくて、短い鉛筆をテープでくっつけてギリギリまで使おうとした気持ち。
勇気をふりしぼって里親に言って、新しいモノを出してもらう時の、申し訳ないようなみじめな気持ち。
持ってるモノがビンボー臭いと同級生にからかわれるより
学校で必要なモノを里親に「買って」と言えなくて「忘れ物をした」として教師に怒られるより
「里親に用意してもらうコト」のほうが、私には「苦痛」だったの。

初代タイガーマスク──4万円もするランドセルを匿名でそっと贈った──は感銘を受けたけど
そのあとの一連の騒動──商店の不良在庫処分としか思えない寄付行為や
子どもの小遣い程度の文房具を施設に届けてテレビに出て得意になってる青年を見て
元里子で要保護児童だった私は、ちょっとウンザリした気分にさせられたのは事実。

うちの親とは今はそれなりに良好な関係に落ち着いてますが
あまりお利口さんなヒトではなく、若い頃は衝突しまくりだったの。
私から見れば「絵に掻いたような理想的な家庭」に見えても
子どもが思春期になれば親と衝突するのはアタリマエなのに
長年はなればなれで暮らした親子なら、なおさら衝突は激しくなる。
私も成長したけど、親のほうも私との衝突を経験して少しは丸くなったみたいで
親子の衝突は、おたがいが成長して絆を深めるための試練なのかなと思ったり。

今になってみれば笑えるケド、当時は怒り炸裂だった事件がありまして。
私の勤める会社は繁忙期になると労働基準法なんてあってないよなモンで
休みなしの3週間連続勤務とかで体調を崩したりしてました。
ひさしぶりの休日、自宅で寝くさってると会社から電話があり
出たくなかったので出なかったら上司がうちの親に電話をしてしまい
(里親宅で育ったコトは会社には隠してるので、上司は知りません)
電話に出た親が用件を聞くと「今から出勤してほしい」とのこと。
親は「うちの娘をよくもコキ使いやがって!」と怒って電話を切ったのでした。

翌日なにも知らずに会社に行って、その話を聞かされた私は
米ツキバッタのようにペコペコ頭を下げ、その夜は親と大ゲンカするのですが
その時は頭が沸騰して、親子関係に亀裂が入る深刻な「事件」に思えても
数年たった今は笑い話です。

笑い話になったのは、そこに疑いようもない「愛情」があったからに思うんですわ。
親の愛情は、ときに親バカ度が過ぎてたり、ときに理屈が破綻してたり、
ときに「エコヒイキ」にも似た「執着」のようなカタチで表出するコトがあります。
そして「うちのグラジオラスじゃないとダメ!他の子じゃダメ!」と
対象を「うちの子」に限定して発動するモノでもあります。
親の愛情は、平等にわけへだてなく注がれる類のモノではなく
ましてや「善意」や「社会貢献したい心」から生まれるモノでもない。

里親は「里親制度のイイトコロ」として「愛情豊かな養育環境」とやらを上げるけど
高きところから低きへと注がれる「善意」によって提供される「家庭的な環境」と
「親がわが子によせる愛情」がコアとなる「本物の家庭」は別モノってコト。

親の「執着」にも似た、「うちの子じゃないとダメ!」的な
親バカ的で、エコヒイキのカタマリのような「親の愛情」の中で
子どもは安心してワガママを言ったり、甘えたり、反抗したり、ぶつかりあい、
思春期になれば、ひとりで大きくなったような顔をして親に悪態をついたりする。
それが子どもの「健全な成長」だと思ったりします。

まだ未整理ですが、思ってるコトをつらつら書いてみました。

コメント
  1. より:

    スーパーなどで買い物をしてると親子連れを見かけます(当たり前ですが)

    里親制度を知ってから視点が変わって、この親子連れに「里子」が加わったらどうなるんだろうと考えてしまいます。

    「父ちゃん、母ちゃん、あれ買ってこれ買って〜」とねだったり、「また今度ね〜」などと言われて買ってもらえなくてガッカリする子供もいます。

    パターンはさまざまです。

    スーパーの社会は「里親制度はなんぞや」と身近で勉強できる教科書的なものだと思っていて、感じるのは「やっぱ里親制度はウマくいかねえな」です。

    「里子が里親にスーパーで実子と同じようにできるか?」となると無理でしょう。

    スーパーなどで親子連れを眺めていると、「親子と実子」の切っても切れない領域のようなものが見えますし、これに里子が加わるとどこか歪んだ危険なものになるんじゃないかと思います。

    スーパーへいくといつも「里親制度って、どうなんだろうねえ…」と悩ましい思考になって袋を抱えてトボトボと帰ります。

    実子を眺めていると、「里子」という存在はいいのか?

    と悩ましくなる。

    里親制度を良しとする方は、スーパーをこのような視点で見てほしいんだよと思います。

  2. gladiolus2009 より:

    >あさん

    子どもの成長に「安心して甘えられる」のは大事だと思ってます。
    「甘え」と「「甘やかし」は違います。
    少なくない里親が里子に対して「アナタ(里子)の親はロクデナシだ、
    アナタはひとりで生きてくんだからね」
    「逆境や偏見に負けない強いヒトになってほしい」とかって理由で
    必要以上に里子をきびしく躾ける方が多いようですが
    里子は「里子である」ってだけで、じゅうぶん偏見や逆境に耐えてます。
    最大の「偏見」や「逆境」は「里親」であるケースが多いですからね。
    もうイヤってほど偏見の辛酸を味わい、逆境に耐え、疲れてる子どもに
    「この子は偏見に晒される子どもだから、きびしく躾けてやろう」なんて
    さらに鞭打ちようなマネがよくできるモンだなぁと思いますわ。

    たしかに子ども時代のすべてを乳児院や施設だけですごし
    措置終了すればアパートの保証人になってくれるヒトもいない、
    イザというとき頼れる親族もいない身上で社会に放り出されるより
    負傷したり燃料が切れたとき、帰れる「母港」となる「家庭」で育つほうが
    子どもの利益になるのは認めます。
    しかし、それがなぜ「里親制度」を推進する材料になるのか、はなはだ疑問です。
    戸籍に実子として記録され、実子と同等の権利が保証される「特別養子縁組制度」が
    まるでこの世に存在しないかのように無視して「里親制度」を推進する。
    返品自由で、18歳になったら打ち切られ、保証人にもならない「里親」より
    「特別養子縁組」のほうが、かぎりなく「家庭」であるにもかかわらず。
    彼らのエネルギーの源は「里親の社会的評価」と「余剰里親の失業対策」です。
    子どもの利益ではなく、里親の利益のために闘ってるとしか思えません。

  3. より:

    >ヨーロッパにおける「社会的養護」が里親制度からグループホームへ移行してる理由は
    >「里親家庭は虐待が多くて危険きわまりない」ってのが最大の原因だけど
    「シロートの善意は子どもに良い影響を与えない、むしろ毒」って理由もあるの。
    私は里子経験はなく養護施設のみですが、養護施設と里親家庭を心理面で比較したら…。
    私が養護施設にいた時のことを冷静に思い返すと、「子供の無意識の認識」で空間(養護施設内)の問題をささっと処理できて、他人の家にいるような感覚や息のつまる窮屈さといったものは一切なかったです。
    いる大人は職員であり、いる児童同士は暗黙の了解がありました。
    里親委託となってた場合、空間の問題を処理できてたのかな〜と思いました。
    里親家庭は、「家庭」なのか「施設個人版」なのか、里親家庭に存在する大人と実子は「父ちゃん・母ちゃん」なのか「おじさん・おばさん」なのか「兄弟・姉妹」なのか。
    子供の視点、肌で感じるもの、それぞれの家庭の文化、これらを処理できずにぐちゃぐちゃになり問題行動を起こし、里親からも識者からも「お前は愛着障害だ!」と言われてたと思います(笑)
    「虐待と悪用があるからといって、施設改善なんてとんでもない!」という声も一部にありますが、そうでなくてこの児童の心理面の問題も重要で、この観点からの議論が全くないのですよね。
    この心理面を処理できぬまま大人になったらどうなるか、なったか、という研究はありませんが、推測になりますが損失の方が大きいでしょう。
    研究されたら、里親制度は大舎制施設にすら劣るという結果がでると思います。案外、施設養護は里親制度よりも優れています。
    空間の処理問題がいかに重要か。
    里子の障害率がなぜ跳ね上がるのか。
    なぜ「善意」も問題なのか。
    なぜ「問題行動」を起こすのか。
    不良化と自傷行為はお決まりのようにメディアで報道されて、ずっとなくなることはありません。
    これらは「子供に全て原因がある!(愛着障害など)」と叫ばれますが、これはある意味当たっていて、「子供に処理できる限界を超えている」です。
    「ぐっと抑えていい子」でいるか、「糸が切れて不良化、もしくは問題行動を起こす」かの紙一重だと思います。
    これらの問題をどうしようか、と思ったら縮小しかないのですよね。こんなの絶対解決しません。
    里親制度の問題点は空間の処理問題が全て。
    やっぱり利点が浮かばない(笑)

  4. gladiolus2009 より:

    >あさん

    施設と里親宅における子どもの心理面の違いは「ホテル」と「上司の家」くらい違うと思います。
    ホテルに宿泊するときは必要以上に「遠慮」したり「萎縮」したりしませんケド
    「上司の家」に宿泊するとなると、かなり気をつかうと思います。
    上司が自分に悪意を持ってるパワハラ上司だったら最悪この上なし。
    人間ができてる寛容な上司で部下に気を使ってくれたとしても
    それはそれでかえって恐縮してしまうと思うんですわ。
    里子の場合、それが延々とつづくワケです。
    他人の家──それも「絶対的な上下関係のある他人」の世話になる緊張状態を
    24時間365日のべつくまなく延々と強いられるワケです。
    それこそ「息抜きできるのは学校だけ」な精神状態になります。
    その「唯一の逃げ場」である学校がなく給食も食べられない夏休みは地獄です。

    「空間処理」もしくは「里親家族との関係性の処理」は、子どもの年齢によると思います。
    「実親家庭への帰属意識ができてる高年齢の子ども」は混乱しないと思いますが
    祖父母より高齢の老人を「お父さん、お母さん」と呼ばされるのは屈辱だし
    「里子の立場」を理解してるだけに気をつかって疲弊します。
    そして里親宅を出て社会人としてのスタート地点に立ったときは
    すでにエネルギーを使い果たして「うつ病」発症⇒音信不通なんて悲劇が起こります。
    里親宅で問題を起こさない「良い子」だった元里子ほどその傾向が強く
    そんな方を目の当たりにするたびに悔しくてなりません。

    低年齢の子どもは、かなり混乱するでしょうね。
    あさんのおっしゃるとおり、子どもの処理能力を超える問題です。
    物心つく前──実親家庭への帰属意識が形成される前に委託された子どもは
    幼児期は抵抗なく里親を「お父さん、お母さん」と呼んでたとしても
    成長とともに真綿で首を絞められるように「裏切られつづける」でしょうね。
    ジワジワと小さな「裏切られ体験」を積み重ねて成長し
    18歳で措置終了を迎えたとき、決定的に裏切られる。
    家庭復帰できたとしても、親子関係の再構築は「施設育ち」より困難になるでしょう。
    養子縁組やグループホームにはない「里親家庭ならではの利点」は、なにひとつ思い浮かびません。

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