灼熱の工場で働きづめの夏休み

gladiolus2009 による 7. グラジオラスの場合 への投稿 (7. グラジオラスの場合)
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2009-08-01 10:14:24 | グラジオラスの里親宅体験記

「働かざる者、食うべからず」──これがS夫妻の口グセだったわ。

私は里子に毎月およそ5万円の養育費をはじめとする 手厚い手当が支給されること も、
里親に報酬が支払われることも知らなかった。
里親が里子たちを「タダ飯食い」「ごくつぶし」と呼ぶのを真に受けてたの。

「仕事の手が遅い」「要領が悪い」といっては、怒鳴られ、殴られた。
検品で不良品が見つかると「イイカゲンにやってるからだ」となじられ、
里親が投げつけた不良品が顔に命中、鼻血が出て痣ができたこともあった。

長時間立ちっぱなしの単純作業は大人でもキツイと思うけど、
当時まだ小学生だった私にはとても辛くて毎日が憂鬱だったわ。
学校から帰宅すると急いで着替えて工場に立たされ
その日のノルマを終えて食事にありつけるのは夜の7時くらいだった。
学校が休みの日は朝から晩まで働かされた。
繁忙期は朝5時に起こされ学校に行くまでの間、朝食も与えられず働かされた。
放課後は夜の9時まで──遅いときは11時頃まで──工場に立つこともあった。

仕事をする時に手に着ける軍手は、すぐにボロボロになった。
まっさきに穴があくのは指先なんだけど、
うっかりしてると穴からのぞく素肌が熱い鉄板に触れてしまう。
でも穴があいたくらいでは新しいものに替えてもらえなかった。
あちこち穴だらけのボロボロになるまで使ってたの。

S宅で初めて迎えた夏は、悪夢そのものだったわ。
高熱を放つ機械がある工場はエアコンを入れても暑く、
熱い鉄板の上での作業は、まるで灼熱地獄だった。
拭いても拭いても汗がしたたり落ち、服は汗でびっしょりになった。
とくに暑い日の、もっとも暑くなる時間帯になると
アイスノンで首のうしろを冷やすのを許されたけど、酷暑は私から体力を奪っていた。
寝ても疲れがとれず、いつも体がだるかった。
お腹はすいてるハズなのに、仕事から解放されると食事もとらずに寝てしまう日もあった。

ある暑い日のことだったわ。
その日は朝から気分が悪く、立っているだけで辛かったの。
それでも仕事を怠けることは許されずいつものように工場に立ったけど、
お昼頃になると、ついに体力が限界を迎えたの。
頭はガンガンし、体は鉛のように重かった。
意識が朦朧としてうずくまった私に、里親はなにやら怒鳴っていたけど、
言葉は意味をなさずサイレンのように通り過ぎるだけだった。
そんな私の様子に、怠けてるのではなく本当に体調が悪いと気付いたようで、
里親は不機嫌だったけど、私を部屋に連れて行って布団に寝かせてくれて
デカビタCというドリンクをくれたわ。
夕方に様子を見に来て、またデカビタCを1本くれた。

余談になるけど、S夫妻はデカビタCを万能薬だと思ってるみたいで
里子たちが病気になってもデカビタCを与えるだけだったわ。
里子の医療費は無料で通院交通費も支給されるのに、
ほとんどの場合、里子たちは病院に連れて行かれることもなく
ロクな世話もされないまま自己治癒するのを待つだけだったの。

翌日はいつものように工場に立ったわ。
長い夏の間、仕事を休ませてもらえたのは、その日だけだった。
夏休み中ずっと朝から晩まで工場で過ごしたの。

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