学校給食が命綱

maron2009 による 6. マロンの場合 への投稿 (6. マロンの場合)
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爪と肉の間を目打ちで刺される事は、
それまでの短い人生経験の中で、最も酷い肉体的苦痛でした。

私は泣き声を出さないよう気を付けて、すすり泣きながら、
里親に何度も謝りましたが、許して貰えませんでした。
両方の足の親指に、同じ事をされました。

洗面所の床に、血液が落ちていました。
里親は、雑巾で拭き取るよう言い付けました。

足の親指の傷から出血していたので、
雑巾で拭き取る側から、床に血液が付着しました。
里親は、私に汚い雑巾を投げ付けて、
床が汚れる、傷口を押さえてろと言いました。

その後、台所の入口の前の廊下に、正座させられました。
季節は5月か6月だったと、記憶しています。
お風呂上がりでしたので、私は一糸纏わぬ姿でした。
髪の毛から冷えた水が滴り、背中や肩に流れました。

正座をしている所為で、脚は痺れても、
目打ちで傷つけられた患部は熱をもち、ズキズキ疼いていました。
里親は、夕食の支度で台所にいたので、
脚を崩したり姿勢を変えるのは、不可能でした。

里親は、私を放っておいてくれませんでした。
思い出したように私の前に立っては、罵声を浴びせ、
小突く、蹴飛ばす、太腿を踏み付ける等、罰を加えました。

夜になり、男里親が帰って来ました。
私が全裸で廊下に正座している事に気付いても、
嫌な物を見るような目で、チラリと見ただけでした。

里親達の食事が終わり、後片付けを言い付けられました。
正座から解放される安堵から、喜んで従いました。

後片付けが終わると、また同じ場所に正座させられました。
テレビの音や、里親達の会話が、くぐもって聞こえて来ました。

里親が、食べ物や飲み物を取りに台所に入って来ると、
私は緊張し、姿勢を正しました。
そんな私を見て、何もしないで去って行く事もあれば、
嘲笑ったり小突いたり蹴飛ばして行く事もありました。

やがて、照明が消され、家の中が暗くなりました。
里親達が寝室に入ったのは、気配で判りました。

私は足の痛みの他に、空腹と寒気に襲われていました。
寒さで震えが止まりませんでした。

いつの間にか、居眠りしていました。
怒鳴り声で、目を覚ましました。
目の前に里親が立っていました。

「部屋に戻れ」

私は痛む足を引き摺って、部屋に戻りました。
深夜0時を過ぎていました。

その週は、学校が終わってから夜中まで、正座させられました。
正座から解放されるのは、家事をする時だけでした。

しかし、私が堪えたのは、正座をさせられる事ではありませんでした。
食事を抜かれる事が、最も耐え難い罰でした。
週明けまで、一切食べ物を貰えませんでした。

学校給食が命綱でした。

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