里親に飢えさせられた里子達

maron2009 による 6. マロンの場合 への投稿 (6. マロンの場合)
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私は、意地汚い子供でした。
給食は誰よりも早く食べて、先を争っておかわりをしていました。
欠席した生徒がいて、おかずやデザートが余ると、
希望者でジャンケンをして、勝った子が貰えるルールでした。
私は毎回、ジャンケンに参加していました。

給食を早く食べておかわりをしたり、ジャンケンに参加するのは、
男子は珍しくありませんでしたが、女子は私だけでした。
それは、私が同級生に鼻白まれる理由の一つでした。

私の行動は浮いていると、自分でも気付いていましたが、
食べ物を前にすると、食欲を抑えられませんでした。
朝食を食べ損ねて空腹で登校した事は、数え切れません。
夕食を食べられる保証も、ありませんでした。
同級生に意地汚いと思われようと、悪口を言われようと、
食べられる時にお腹一杯食べておく事が、最も重要な事でした。

里親宅では、お行儀良くしていました。
急いで食べると、意地汚いと詰られ、食べ物を取り上げられますし、
私が食べられるのは、最初に出された分量だけで、
おかわりは許されなかったので、急いで食べる必要性はありませんでした。
お腹一杯食べられるのは、給食だけでした。

ひもじい経験の惨めさは、とても良く覚えています。

鍋料理やおでんの時は、里親が小鉢に私を分を取り分けて、
私が食べられるのは、最初に小鉢に出された分だけでした。

里親家族と私のおかずが違うのは、日常茶飯事でした。
里親家族の主菜が、トンカツやステーキ、お刺身の時、
私に目玉焼きが出されるのは、当たり前の事でした。
彼らが、うな重やお寿司を出前する時、
私はカップラーメンや食パンを渡されました。
私の主菜は用意されず、漬物や佃煮等の副菜でご飯を食べる事も、
珍しくありませんでした。

ご飯(白米)も、里親家族と同じではありませんでした。
里親達は、炊き立てのご飯を食べていましたが、
私に出されるのは、前の日の残りのご飯や、
何日も前に冷凍保存した古いご飯を、レンジで温めた物でした。

食べ物に関連する惨めな経験は、一つ一つ数え上げると限がありません。

それでも、食べさせて貰えれば、感謝せねばなりませんでした。
少しでも不服そうな態度を示すと、
「文句があるなら食べないで良い」と言われ、取り上げられて、
食べさせて貰えませんでした。

殴る蹴る等の身体的虐待より、食事を抜かれる苦痛の方が、
私には耐え難い事でした。

N先生が里親宅を訪問した曜日は覚えていませんが、週の前半でした。
翌週の月曜まで、私は何も食べさせて貰えず、
学校給食で飢えを凌がねばなりませんでした。
給食がない土日は、お腹が空いて、とても惨めな気分になりました。

私は都会育ちの上、当時はまだ子供だったので、
食べられる野草等の知識はなく、そのような発想もありませんでした。
盗みや万引きをする勇気も、ありませんでした。

里親宅の冷蔵庫、食料が入っている戸棚の引き出しや扉は
全て鍵が付いており、盗み食いをするのは不可能でした。
私がB宅に連れて行かれた時は既に、鍵が付いていました。

B宅に委託された里子は、私が初めてではありません。
私の前も、数人の里子が委託されていたようです。
多分、その子達も、私と同じように食事を抜かれ、
ひもじい経験をしたに違いありません。

胃が痛くなる程の空腹に耐えながら、台所の前の廊下に正座していると、
私の胸は、惨めさと悲しさと恨みで、一杯になりました。
数メートル離れた所では、里親達が食卓を囲んでいました。
美味しそうな食べ物の匂いを嗅ぐと、空腹の辛さが一層身に染みました。

私は、里親を恨みました。
「怒り」ではありません。「憎しみ」でもありません。
私の胸を占めていたのは、滴るような「恨み」でした。

それと同時に、N先生を腹立たしく思いました。
N先生は好きでしたが、先生の所為で酷い目に遭っていると思うと、
怒りを覚えずにいられませんでした。

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