10月, 2009 のアーカイブ

皆さんは「里親団体」と聞いて、どんな団体を思い浮かべるかしら。
子どもを守る団体? 啓蒙団体? 里親の質向上に努める団体? 
悲しいことだけど「里親団体」といわれる団体は
皆さんが思い描くような「慈善の精神に満ちあふれた団体」ではないの。
その実態は「慈善の精神」とは遠くかけはなれた「里親の利権を守る団体」で、
里親手当の「賃上げ」を行政に詰めよるのが彼らのおもな「お仕事」なの。

彼らの要求どおり里親に支給される手当は年を追うごとに着実に増えつづけ、
今年も増額されたらしいけど、彼らはさらなる「賃上げ」を求めてるらしいの。
まあ、里親の労働組合と考えればわかりやすいわね。
彼らが求める「里親手当の増額」は、どこからどう見たって明らかに
里子を世話するという「労働」に対する「報酬」の「賃上げ」なのに、
どういうワケか里親たちは絶対にそうと認めないの。
里子にかかる生活費や諸手当は「里親手当」とはべつに支給されるの。
里親団体が賃上げを要求してるのは「里子の養育費」ではなく「里親手当」なのに
彼らは「里子のために」という冠をつけて「里親手当」の増額を要求してるの。
「里親の利益のため」ではなく「子どもたちのため」という大義名分の下、
里親に支給される「里親手当」の増額を要求してるの。

里親は「慈善の精神で里子を育てるボランティア」だから
里親手当の増額を求めるのは、里親のフトコロを潤すためではないのね。
親に育てられない「かわいそうな子どもたち」に1人でも多く
あたたかい家庭(笑)をあたえてあげたいから賃上げ要求してるのね。
子どもたちのため里親を増やすために里親手当の増額を求めてるのね。
自分たちがお金が欲しいから賃上げを要求してるのではないのね。
・・・アホくさ。

今春も「里親を増やすため」という口実で里親手当が増額されたらしいけど、
そもそも里親は不足してないの。むしろ、あまってるの。
全国の里親希望者は7千人、うち里子が委託されてる里親は2千人にとどまり、
里親登録者の半数以上が登録はしたけど里子が委託されない開店休業状態なの。

その点を指摘されると里親推進派は口をそろえて
「育てないクセに里子に出したがらない実親」のせいにするけど、
「里親は里子を選ぶこと」については一切ふれないの。
決して安くない「労働対価」を税金から受け取って里子を預かるのに、
まるでペットショップのショーウィンドウの中の犬や猫を選ぶかのように
里親は子どもの年齢や性別はもちろん、あれこれ条件をつけて子どもを選ぶの。
里親が里子を選ぶことには口をつぐんで、都合の悪いことは実親のせいにするの。
いくら里親の数を増やしても、里親が子どもを選ぶかぎり委託率は上がらないし
お金欲しさに里親になる人が増えても、里親の質向上に繋がらないわ。
里親全体の質が低く、悪質な里親がベテラン面して大手を振ってる現状では
里親の頭数を増やせば増やすだけ「不幸な里子」を増やすだけなの。
そして現状は、里親が不足してるのではなく、里子が不足してるの。
というか、里親が欲しがるタイプの子はそうそういないの。
「かしこく、かわいく、アレルギーや障害や持病が一切ない健康優良児で、
実親との別離経験の記憶がなく、手のかからない子ども」が不足してるの。

里親団体の飽くことない貪欲な「賃上げ」要求を見てると、
彼らが「子どものために」とそれをやってるとは思えないの。
子どものしあわせは二の次で、お金が欲しいだけにしか見えないの。
お金欲しさに「かわいそうな子どもたち」を利用してるようにしか見えないの。
本心から「1人でも多くの“かわいそうな子ども”に家庭を与えたい」と思うなら、
賃上げ要求の前に「里親は里子を選ぶなキャンペーン」でもすればいいのよ。
実親が精神障害であろうと薬物中毒であろうと犯罪者であろうと
子ども自身が障害児であろうと持病があろうと重いアレルギー体質であろうと
どんな子だろうが選ばないで引き受けて育てればいいのよ。

誤解を承知で私の個人的な見解をいわせてもらうと
里親が里子を育てる労働対価を受け取ること自体に文句はないの。
そこが自分の「帰る家」ではなく、家族でもなく、15歳か18歳になったら縁切れして
ひとりで社会に出て行かねばならないのは里親の家も施設も同じコトだもの。
里親が社会人として責任もって「里子を育てる」という仕事をしてるなら
堂々と胸を張ってそう主張すればいいのよ。
それなのに世間の一般人からは見えないところでコソコソ賃上げ要求をして、
賃上げ要求の大義名分に「親に育てられないかわいそうな子どもたち」を利用する、
そのやり方の狡猾さがハタから見ると滑稽きわまりないのよ。
ビジネスとして里子を育てることに文句はないけど、
それならそれでプロ意識をもってキチンとお仕事をしてほしいのよ。
商品である子どもを選んだり、ロクに世話もしないで給料ドロボーしたり、
里子に支給される手当をネコババしたりしないでほしいの。
報酬をもらってビジネスとして里子を育てることは否定しないけど、
「家族になる」だの「家庭を与える」だの、そういう欺瞞はやめてほしいの。
本当に家族の一員なら、親は「子どもを育てる労働対価」を国に要求したりしないの。
「報酬をもらって子どもを世話する人」を「家族」と呼ぶことに違和感を持たない人や
「報酬をもらって子どもを預かること」を、本気で「子どもに家庭を与える」と
なんの迷いもなく言い切れる感性の持ち主は、里親にならないでほしいわね。

広告

性的虐待

kent2009 による 4. kent の場合 への投稿 (4. kent の場合)
タグ:,

僕は、幼少の頃から、里父と、不適切な関係を持ってたが、性的虐待とゆう表現は、実は、あまりピンと来ない。

里父は、僕を、殴ったりして、言う事を聞かせた事は、無かった。
酷く屈辱的な事だが、僕は、彼に、協力的だった。

これまた屈辱的な事だが、僕は、彼に、お小遣いを、貰ってた。
小さな頃は、貰ってなかったと思うが、少なくとも、中学時代は、お金を貰ってた。
多分、口止め料だろう。

僕は、過食嘔吐してたから、お小遣いは、幾らあっても、足りなかった。
貰った金は、ほとんど、食べ物に、消えた。

自分でも、何してたんだろうと、思う。
当時、自分の頭の中に、何があったか、分からない。

今は、酷く屈辱的で、記憶を削除したいと、本気で、思う。
激しい屈辱感と、怒りに駆られて、馬鹿な事を、しそうになる時が、ある。

僕は、里父に誘われると、嫌々じゃなく、サービスした。
お小遣いを貰えるから、だけじゃない。

息が詰まりそうな家で、味方を失うのが、怖かった。
彼に、嫌われたくない、好かれたい気持ちも、あった。

僕は、絶対に、同性愛者じゃない。
かっこつけて言ってるんじゃなく、揺るぎない確信が、ある。

酷く醜悪で、屈辱的で、反吐が出るような、里父との、不適切な関係に、あの頃の僕は、不快感だけじゃなく、場違いな感情を、抱いてた。

彼は、生理的欲求の処理に、僕を使っただけ、だった。
衣食住を、彼に依存し、口が堅く、従順で、面倒のない、便利なオナホールが、たまたま目の前にあった、それだけだった。

僕は、馬鹿だった。
彼の言葉を、信じようとした。

便所扱いされてるのに、縋るような思いで、サービスした。

変な薬を飲まされ、殴られ、力尽くで、レイプされる方が、まだマシだったと、思う。

時が戻るなら、あの頃の自分を、殺してやりたい。
あの家に関連する、記憶を、全部、消したい。

この事件(詳細は下のリンク先の記事を読んでね)を知ったとき、
残虐非道な虐待を受けた少女のことを思って胸が痛くなると同時に、
氷山の一角ではあるけど、里親による里子への虐待が「発覚」して、
きちんと「事件」として扱われる時代がきたのね・・・と思ったの。
でもよく読むと「病院から連絡を受けた実母が府警に通報した」と書いてあって、
頭をぶん殴られたような気がして頭が真っ白になったの。

『里親の女が里子の女児を虐待 6カ月の重傷負わせた容疑で逮捕』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091014/crm0910142215034-n1.htm

もし、この少女に母親がいなかったら・・・
母親がいても、事件を知らされなかったら・・・

つまり、実母が警察に通報しなかったら表沙汰にならなかったの。
里親がこの少女に一体なにをしたのかわからないけど、
全身にアザ、陰部や直腸に裂傷を負って、病院に運び込まれてから
半年以上たった現在も入院治療を受けてるほどの重篤な被害を受けたのに、
実母が警察に通報しなかったら、この事件は「事件」にならず、
加害者の里親は善人ヅラを引っさげてのうのうとしてたの。

そして実母は「病院から連絡を受けて」この事件を知ったの。
病院側が実母の連絡先を知ってた、ということは、
すでに病院側は児童相談所とコンタクトをとってたことになるけど、
児童相談所は実母に知らせず、警察にも通報しなかったの。
病院が実母に連絡して、実母が警察に通報しなかったら、
里親は児童相談所とグルになってこの事件を隠匿するつもりでいたの。
病院が実母に連絡して、実母が通報して警察の捜査が入らなかったら、
この事件は「少女の不注意」とか「自慰中の事故」として片付けられてたの。

里親制度の実態を知らない人は、にわかに信じられないと思うけど、
里子が里親に暴行されて性器や肛門にダメージを被っても、
里親が「自慰中の事故」といえば、それで済んでしまうの。
それがたとえ就学前の幼児でも。
その子の周囲に、里親の嘘と演技を看破する洞察力と、
たとえ好戦的な里親に敵視されて訴えられたりトラブルに巻き込まれても
その子を救出しようとする強靭な意志の持ち主がいないかぎりは。
そして多くの場合、里子の周囲には、そこまで親身になってくれる人はいないの。

この事件でわかったことは、里親制度の「里子に口なし」体質は、
私が里親の家に措置されてた頃からなにひとつ変わってないということ。
この子を虐待から救出しようと動いたのは「病院」であり、
「児童相談所」でもなければ「里親団体」でもないの。
里親制度はいまだ国家による暗黙の「児童虐待公認制度」なの。

そして里親は、虐待が「運悪く」表沙汰になると、里子と児童相談所にせいにするの。
慣れ親しんだ土地を離れて、知らない環境でゼロから新生活をはじめるときは
オトナだって緊張するし相当なストレスを受けるものだけど、
それが幼い子どもだとしたら、不安やストレスは計り知れないものがあると思うの。
緊張状態を強いられると神経過敏になるし、夜も眠れなくなる。
眠れたとしても睡眠が浅く、些細なことで目が覚めるし、
慢性的に寝不足がつづくと不機嫌になってグズるかもしれない。
食だって細くなるし、逆に過食になったりもする。
その程度のことは、人並みの想像力さえあれば
児童心理の専門家でなくてもわかると思うの。
でも里親たちは、自分たちが子どもに安心感を与えられないことは高い棚にあげて
その子が「とくに性質の悪い子」であると針小棒大にわめきたてるの。
人の子の親になれば誰もが経験して乗り越える類の苦労でも
里親たちは「自分たちは極めて特殊な苦労をしてる」とアピールするの。
そしてレアケースながらも里子虐待が発覚すると、お約束のように
「児童相談所がきめ細やかにサポートしてくれないから」虐待したというの。
里親団体は「虐待発覚時の言い訳マニュアル」でも作って配ってるのかしら?
いつも決まって、判で押したように児童相談所のせいにするの。
なんでも「教師が悪い」と責任転嫁して学校に怒鳴りこむモンスペみたいに。

私は里子になりたくて里子になったワケでなく、里親を選べず、
里親の家に行かない自由も与えられなかった元里子の立場として、
里子を虐待するような人間を里親に認定した児童相談所はマヌケだと思うけど、
里親はいつでも好きなときに措置解除して里子を手放す自由が保証されてるし、
里親登録を辞めることもできるし、最初から里親にならない選択肢だってあるの。
児童相談所がマヌケなおかげで里親になれたのに、
児童相談所に責任をなすりつけるのは、お角違いもはなはだしいと思うの。

そもそも児童相談所の職員の前で「優秀な里親」を演じておきながら、
虐待が表沙汰になったら「サポートしてくれない」とか言いだしても
同情乞食の責任逃れとしか聞こえないの。
この里親にかぎらず虐待する里親は、自分のメンツがいちばん大事なの。
里子は「里親のメンツ」を引き立てるための道具にすぎないの。
里親の頭に載った王冠の宝石のひとつにすぎないの。
里親制度は、保護児童がしあわせになるための制度ではなく、
里子を介して「なにか」を欲するオトナのために、里子をあてがうだけの制度なの。
その「なにか」は「お金」だったり「労働力」だったり「社会的評価」だったり
ヒトによって異なるけどね。

私は我慢強く、手が掛からない子供だったと思います。
子供でしたので、自分で出来ない事はありました。
学校行事の用意等で、里親の世話を受けた事はありました。
しかし、彼らの世話を受けるのは、最小限にしなければいけない、
彼らに迷惑を掛けてはいけないと、常に心掛けていました。
里親に反抗したり、我儘を言った記憶はありません。
非行歴もありません。

里親は、私の前では、悪意を隠そうともしませんでした。
私が彼らに迷惑を掛けたり、悪い事をしたからではありません。
委託された当初から、彼らは私に悪意を向けました。

私の生きる為のエネルギーの大半は、
里親達による暴言暴力を避ける事と、
食べる物を確保する事に注がれました。

アンテナを研ぎ澄まして、彼らの虫の居所を感知し、
無言の要求を汲み取って、行動していました。
里親の家で生き延びる為に、高精度なスキャナのように
彼らの心の動きを常時精査し続ける必要がありました。
リードミスは、暴言暴力と飢えに直結しました。
里親達の気分を害さぬよう、いつも心を砕いていました。
普通の子供のように、駄々をこねたり、泣き喚いたりして、
能動的に自分の要求を訴えた事は、ありませんでした。

里親の家で、私は邪魔者として暮らしていました。
私が経験した全ての里親家庭で、例外なく、
里子はヒエラルキーの最下層に居ました。
ペットの犬や猫より、里子の地位は低く置かれていました。

B宅ではありませんが、別の里親の家では、
犬は室内に専用のベッドを与えられ、
里親家族のベッドで寝るのを許されていましたが、
里子は外の物置に寝かされました。
犬には毎日朝晩プレミアムフードが与えられましたが、
里子の食生活には無頓着で、たびたび食事を抜かれました。
犬は賢く、里子は犬より地位が低いと知っていて、
けたたましく吠えたり、飛び掛かって攻撃しました。
噛まれた事もありました。
犬が里子を攻撃しても、里親は犬を叱りませんでした。
もし、里子が里親宅のペットを怪我させたら、
里親は間違いなく、その里子は問題児であると大騒ぎして、
追い出すと思いますが、逆の場合は、不問に付されるのです。

私は自ら希望して、里親の家に行ったのではありません。
選ぶ権利を与えられず、仕方なく行った里親の家で、
私は自分を無法な闖入者のように感じていました。
自分の居場所では無い場所に、間違って紛れ込んだ無法者、
その場所に居る権利はなく、歓迎されていないのに、
図々しく居座っているような罪悪感が、常にありました。

実際、里親は私を無法な闖入者のように扱いましたが、
その待遇に、私はあまり怒りを感じていませんでした。
粗末に扱われても仕方ない存在だと、自分を受け止めていました。
不当な扱いを受けても、それが不当だと思いませんでした。

里親の女が里子の女児を虐待 6カ月の重傷負わせた容疑で逮捕
2009.10.14 22:14

 里子として預かっていた女児(5)を暴行し、6カ月の重傷を負わせたとして、大阪府警捜査1課などは14日、傷害容疑で、大阪市西区南堀江の主婦で里親だった吉村陽子容疑者(35)を逮捕した。女児は下腹部を傷つけられ、直腸が裂ける傷があったほか、ほぼ全身に殴られたような跡があり、暴行後半年以上たった現在も入院治療を受けている。府警によると吉村容疑者は「頑張って養育してきたが、夫になついて私には反抗的な態度をとるのでついかっとなった」と容疑を認めている。
 逮捕容疑は、今年3~5月、女児に数回にわたって暴行を加え、6カ月の重傷を負わせたとしている。府警によると、女児は頭部や背中などほぼ全身にあざがあり、日常的に虐待を受けていた可能性が高い。
 捜査関係者によると、吉村容疑者は今年5月27日、女児が出血したため病院に搬送。虐待の可能性があると判断した病院から連絡を受けた実母(26)が府警に通報した。吉村容疑者は当初、「私の不注意でけがをさせた」と説明していたという。
 捜査関係者は、吉村容疑者は、自宅で女児と2人きりになった際に暴行していたとみている。女児は精神的に大きなショックを受けており、「吉村容疑者にたたかれた」と話しているが、詳しいことは説明したがらないという。
 関係者によると、女児の実父母は昨年に離婚。引き取った実父が病気になるなどして養育が困難になっていた。吉村容疑者は、さまざまな事情により家庭で養育できない子供を一定期間育てる「養育里親」として市中央児童相談所から委託を受け、昨年5月下旬から夫(40)とともに女児を預かっていた。

 同相談所によると、吉村容疑者は「ネットなどで里親制度を知り、預かった子供とともに成長できるのではないか」として里親登録を申請してきたという。相談所では、児童福祉司の職員を家庭訪問させ、志望動機や収入や人格、経歴などを調査し、住環境も養育にふさわしいかどうかもチェックしたうえで、平成20年2月に養育里親として登録した。
 記者会見した上野厚雄児童相談担当課長は「このような事件がおきていたたまれない気持ち。担当者は、吉村容疑者の人柄がまじめで熱心だったと受け止めていたので、こういうことが起きるとは予想もしていなかった」と話している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091014/crm0910142215034-n1.htm

前回の『「健全な子ども」は里親宅ではトラブルメーカーになる』のつづき。

ユカちゃんはS宅にきた当初ひどく緊張して、
借りてきた猫のようにおとなしかったの。
彼女の里親に対する恐怖心、他人様の家に厄介になる気おくれ、
親もとを離れて他人の家で暮らす寂しさと心細さ──
──そういった感情が手にとるようにわかったわ。
でもそれは「彼女自身の問題」だったの。
彼女がひとりで現実と対峙し、自分の力で折り合いをつけるべきことで、
他人が気にかけたり手助けをすることではないと思ってたの。

もちろん私を含む先住里子は、あたらしい里子が入ってくると、
上っ面だけはやさしくふるまって、慣れないうちは面倒をみてあげて
その家のルールを教えてあげて、波風立てずに仲良くしてたけど、
それは「私たちの仕事」で、仕事をなまけると里親に殴られるからよ。
その子のことを気にかけて思いやってるからではなかったの。
書きながらつくづく私って相当イヤな子だったわ・・・と思うけど、
私だって彼女と同じ問題を抱えて生き抜くのに必死だったの。
ほかの子を思いやって手助けする余裕なんてなかったわ。

それまでずっと家庭の中で親に育てられ、里子としての処世術を
身につけてなかったユカちゃんはトラブルメーカーだったの。
マイペースで、お風呂に入るのも食事を食べるのも遅いし、
空気を読めない子で里親の神経を逆なでるような言動をするし、
そのせいで里親は怒って不機嫌になるしで、ハタ迷惑な子だったわ。
おまけに里子たちは「無関心」と「不干渉」の掟の下、
たがいに相手の事情を詮索しない暗黙のルールがあったけど、
彼女はほかの里子たちに「親はなにをしてるの?」と不躾な質問をしたり、
里子に出された事情を聞きだそうとしてヒンシュクを買ったわ。

ユカちゃんが脱走したのは、よく覚えてないけど、
たぶんS宅にきて3ヶ月もたたない頃だったと思う。
脱走といっても、マリちゃんのような「計画的失踪」ではなかったわ。
ドンくさい──というか「子どもらしい子ども」だったユカちゃんのやることだから、
逃げたあとでどうするか──どこへ行くのか、住む場所は確保できるのか、
当面の生活資金はどうするか、どうやって生計を立てるか──という
具体的なプランや見通しがあるワケではなく、彼女は「ただ逃げた」の。
もしかするとユカちゃんは親もとに帰ろうとしたのかも知れないけど、
そこへたどりつくまでの交通費もなければ逃亡資金もない、協力者もいない、
まったく無謀で「子どもじみた」愚行としかいいようがなかったの。

バカみたい、逃げてどうするっていうの?なにを考えてるのかしら?──
──ユカちゃんの脱走を知ったとき、私は冷淡な感想しか持てなかったわ。
そして次第に腹立たしい気持ちがふくれあがってきたの。
おバカなユカちゃんのせいで里親が鬼のように不機嫌になり、
その怒りの矛先がおとなしくガマンしてる私たちに向けられる現実を前に
残された里子たちが腹を立てないワケがなかったわ。
そうはいっても里子たちは各自それぞれ静かに勝手に腹を立てるだけで、
おたがいに自分の気持ちを口に出して確かめあうことはなかったわね。
学校では同じ仲良しグループに属する女の子たちが
特定の子に対する怒りや反感を共有することで仲間どうしの連帯感を強め、
そのグループへの帰属意識や忠誠心を表明してたけど──それはときに
「悪口大会」や「イジメ」という陰湿な形となって表出したけど──
独立心に富んだ里子たちは、たとえ同じ屋根の下で暮らしてても、
そこに帰属意識を持たないかわりに陰湿な悪口大会もなかったの。
里子たちにとって、措置された里親宅にいるほかの里子や里親家族は
たまたま電車の同じ車両に乗り合わせた乗客どうしのような存在、
「そこにいる間だけ」「テキトーにやりすごせばいい人」だったの。

ユカちゃんはすぐに捕まったわ。
翌日、彼女は児童相談所の職員に連れられてS宅に戻ってきたの。
それから数日間、彼女は物置部屋に監禁されて過ごしたわ。
私たちは物置に近づくのも彼女と口をきくのも禁じられたから
彼女がなにを考え、どうやって過ごしていたか詳しいことはわからない。
でも、彼女が汚物の入った洗面器の中身をトイレに流して
その洗面器を浴室で洗おうとして里親に殴られる姿を見たから
監禁されてる間はトイレにも行かせてもらえなかったようね。
その次に彼女の姿を見たとき、彼女は里親に土下座してたの。
土下座して「水を飲ませてください」とお願いしてたの。
心やさしい里親は水を飲むのを許したわ──「便器の中の水」という条件でね。
彼女が便器に顔を突っ込んで水を飲む姿を、私は黙って見てたわ。
ああ、私でなくてよかった、ユカちゃんでよかった、と思いながら・・・

私はB里親の正確な年齢と生年月日を知りません。
彼らを「お父さん」「お母さん」と呼んでいましたが、
「おじいさん」「おばあさん」の呼ぶのが相応しい老夫婦でした。
若く見積もっても、60代後半以上だったと思います。

高齢者世帯だからでしょうか、彼らの家にはお灸がありました。
一般的に「お灸を据える」という言葉は、
「罰を与える」という意味の暗喩として用いられますが、
その例に漏れず、体罰の手段として、お灸が活躍していたのです。

私が子供だった当時は既に、お灸のある家庭は少数派で、
仮に治療的手段としてお灸を使用する場合は、
「せんねん灸」等に代表される間接灸が主流になっていたと思います。
もぐさと火を使用する本格的なお灸は、極めて珍しかったと思います。

私が大人になって、ふと気付いた事ですが、
里親達が治療的目的の為に、
自分達にお灸を据えていた記憶はありません。
彼らは、私を罰する為に、もぐさを購入していたのでしょうか?

ほとんどの場合、私は罰を受ける理由を覚えていません。
数少ない覚えている理由は、里親の命令を聞き逃して返事をしなかった事と、
空腹に耐え切れず、残飯を盗み食いしている現場を見つかった事です。

お灸を据えられるのは、脚の付け根や、背中や、臀部でした。
もぐさがぶすぶす燃えて、皮膚を直に焼きました。
まるで、その部分の皮膚をペンチで摘まれ、捩じ剥かれるような激痛でした。
お灸をしている間、激しい痛みがずっと継続し、
泣いて謝っても、許して貰えませんでした。

泣き声を上げたり、抵抗すると、「もっとやるぞ」と脅され、
布団や枕に顔を埋められ、頭部を強く押し付けられました。
私は少しでも早く終わらせたい一心で、
出来るだけ声を殺して、啜り泣き、じっと耐えていました。

お灸が終わった後の皮膚は、丸く疼く火傷になりました。
その傷が癒える迄、何日間も、きりきりとする鋭痛が続きました。
お灸を据えられた部分は、てらてらとする傷痕となって、今でも残っています。