里親宅で犬以下の地位に甘んじる里子達

maron2009 による 6. マロンの場合 への投稿 (6. マロンの場合)
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私は我慢強く、手が掛からない子供だったと思います。
子供でしたので、自分で出来ない事はありました。
学校行事の用意等で、里親の世話を受けた事はありました。
しかし、彼らの世話を受けるのは、最小限にしなければいけない、
彼らに迷惑を掛けてはいけないと、常に心掛けていました。
里親に反抗したり、我儘を言った記憶はありません。
非行歴もありません。

里親は、私の前では、悪意を隠そうともしませんでした。
私が彼らに迷惑を掛けたり、悪い事をしたからではありません。
委託された当初から、彼らは私に悪意を向けました。

私の生きる為のエネルギーの大半は、
里親達による暴言暴力を避ける事と、
食べる物を確保する事に注がれました。

アンテナを研ぎ澄まして、彼らの虫の居所を感知し、
無言の要求を汲み取って、行動していました。
里親の家で生き延びる為に、高精度なスキャナのように
彼らの心の動きを常時精査し続ける必要がありました。
リードミスは、暴言暴力と飢えに直結しました。
里親達の気分を害さぬよう、いつも心を砕いていました。
普通の子供のように、駄々をこねたり、泣き喚いたりして、
能動的に自分の要求を訴えた事は、ありませんでした。

里親の家で、私は邪魔者として暮らしていました。
私が経験した全ての里親家庭で、例外なく、
里子はヒエラルキーの最下層に居ました。
ペットの犬や猫より、里子の地位は低く置かれていました。

B宅ではありませんが、別の里親の家では、
犬は室内に専用のベッドを与えられ、
里親家族のベッドで寝るのを許されていましたが、
里子は外の物置に寝かされました。
犬には毎日朝晩プレミアムフードが与えられましたが、
里子の食生活には無頓着で、たびたび食事を抜かれました。
犬は賢く、里子は犬より地位が低いと知っていて、
けたたましく吠えたり、飛び掛かって攻撃しました。
噛まれた事もありました。
犬が里子を攻撃しても、里親は犬を叱りませんでした。
もし、里子が里親宅のペットを怪我させたら、
里親は間違いなく、その里子は問題児であると大騒ぎして、
追い出すと思いますが、逆の場合は、不問に付されるのです。

私は自ら希望して、里親の家に行ったのではありません。
選ぶ権利を与えられず、仕方なく行った里親の家で、
私は自分を無法な闖入者のように感じていました。
自分の居場所では無い場所に、間違って紛れ込んだ無法者、
その場所に居る権利はなく、歓迎されていないのに、
図々しく居座っているような罪悪感が、常にありました。

実際、里親は私を無法な闖入者のように扱いましたが、
その待遇に、私はあまり怒りを感じていませんでした。
粗末に扱われても仕方ない存在だと、自分を受け止めていました。
不当な扱いを受けても、それが不当だと思いませんでした。

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コメント
  1. ken より:

    犬という動物は群れ・集団の中での序列に敏感な動物だと聞いたことがあります。
    マロンさんの置かれていた地位が、犬でさえはっきり認識できるほど”低かった”ということなのですね。
    あまりのことに、言葉もみつかりません。
    アウシュビッツの強制収容所を体験した精神科医で哲学者のVEフランクルは「夜と霧」の中で、収容者がいかにナチスドイツの兵士のご機嫌をそこねないかに腐心したと書いています。マロンさんも”里親の「家」”という強制収容所を生きてこられたのだと思いました。
    VEフランクルは、収容者が戦争が終結して収容所から解放されたあとも、つらい目にあったことを書いています。収容者たちは、世間があまりに強制収容所に無関心であること、自分たちのつらさへの報いがまったくないことに絶望的になり、世間をうらんだ者が多くいたそうです。

    私が書きたいのは、「だから世間をうらむのはやめましょう。」などというばかげたことではありません。
    そうではなく、それらのつらさ・トラウマには癒しが必要です。こちらのサイトは、今まで生き抜いて来られた方々が語ることを通して、未来を見つめる場になっているだろうということです。

    もし見当違いのことを言ってこちらに来られている方々をイライラさせていたらあやまりますが、私はそんなことを思いながら、マロンさんの文を読ませてもらいました。
    読ませてくれてありがとうございました。

  2. maron2009 より:

    kenさん、こんにちは。
    世間が、里親制度に無関心な事や、
    里子たちが、里親制度の中で負った傷への理解がない事に、
    私は、絶望したり世間を恨んだ事は、ありません。
    強制収容所の話に例えるなら、収容所生活を生き延びて、外に出たら、
    収容所は「犯罪者に教育をする場所」と言う事になっていて、
    世間は、ナチスドイツの善行を賛美していて、
    元収容者が、収容所の実態を口に出そうものなら、
    自分が「性根が腐っている犯罪者だから、
    ナチスドイツの善意が理解出来ない」と受け止められてしまう事への
    戸惑いは大きいですが、
    当事者ではない世間一般の方が、実態を知らないのは、
    やむを得ないと思います。
    それよりも、ナチスドイツが、自分達の社会的評価を守る為に、
    虚偽の宣伝工作をしている事に、絶望的な気分になります。

  3. ken より:

    マロンさん、失礼しました。
    まるで、見当違いのことを書いてしまいました。
    おわびします。
    意見をありがとうございます。

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