11月, 2009 のアーカイブ

僕は、里親の家で、概ね、良い子だった。
反抗期らしい、反抗期は、無かった。

一度だけ、里母の前で、自傷した事はあるが、その一件以外、中二病的な馬鹿をやった記憶は、無い。
思春期の、葛藤や、心の揺れはあったが、自分一人で、処理した。

学校では、目立たず、問題にもならない生徒だった。
成績は、余り、良くなかったが、部活や、当番や、委員会は、真面目にやった。

先生達の受けは、良かった。
周囲の大人に、僕は、特に問題ない良い子で、通ってたと、思う。

実際は、問題だらけ、だった。

家で、こっそり、自傷や、過食嘔吐を、繰り返した。
過呼吸や、不安障害の発作を、起こした。
未だ、解離性障害は知らなかったが、今になって思うと、既に、症状は、出てた。

自傷は、里親に、バレた。
多分、過食嘔吐も、バレテたと思うが、問題にならなかった。

俗に、性的逸脱行為と、言われる事も、した。
これは、幸運にも、バレなかった。

真面目で、目立たない、良い子の仮面の下で、僕は、かなり問題を抱えてたが、問題を、問題視してなかった。

里親達も、彼らに直接迷惑が掛からなければ、見て見ぬ振りしてた。

学校には、不良と言われる生徒達が、いた。
彼らは、クラスでは、明るく、皆を笑わせ、人気があった。

しかし、大人には、棘を剥き出して、暴れた。
外では、喧嘩やカツアゲ、他害行動に、勤しんでた様で、悪い噂を、よく聞いた。

当時、僕は、自分の問題に精一杯だったが、今になって、彼らの事を考える時、悪い人間だと決め付け、彼らを責める事は、出来ない。

僕は内省的で、臆病で、慎重だった。
グレる勇気もなかった。

外向的で、勇気がある少年達は、抑え切れない衝動を、外に向け、不良や、犯罪者になる。

内向的で、臆病な人は、衝動を、自分に向け、自傷したり、摂食障害になったり、抑うつ症状に、苦しむ。

メンヘラの自傷的な行動と、不良の他害行動は、表面的な、表出方法が違うだけで、根っこに抱える物は、同じだと、思う。

自分じゃコントロール出来ない、強い衝動を抱え、馬鹿な事をやってしまって、罪悪感に苦しみ、激しく自己嫌悪しながら、止めたくても、止められないのは、一緒じゃないかと、思う。

僕は、たまたま、自分を傷付ける方向に、毒を吐き出したが、一歩間違えば、他人を傷つけたかも、知れない。
少年時代を、少年院で過ごし、刑務所で人生を終えてたかも、知れない。

問題を自覚して、対峙しなければ、遅かれ早かれ、自滅する。

自殺するか、精神病院にぶち込まれるか、刑務所に流れ着くかの、違いはあっても、最終的に、自滅するのは、同じだ。

彼らの問題を、自分と切り離して、考える事は、出来ない。

夏休みや冬休みは、憂鬱でした。
一日中里親の家で、彼らの悪意に晒されて過ごすのは、苦痛でした。
給食を食べられなくなる事は、当時の私には、とても辛い事でした。

私の学校生活は、惨めな物でした。
同級生に仲間外れにされ、親しい友達はいませんでした。
男子に苛められ、意地悪な女子のグループにも苛められていました。

それでも、学校は逃げ場でした。
里親の家より、安心して過ごせる場所でした。

長期休暇中は、一日も早く学校が始まるのを心待ちにしていました。
家庭で育てられている子供達が、夏休みや冬休みが大好きな事を、
羨ましく思うと同時に、子供ながらに漠然と、
彼らと私の間にある超えられない壁、
身分の違いのような物を、感じていました。

夏休みや冬休みになると、里親の実子達が
彼らの子供達を連れて、里親宅に遊びに来ました。
その事が、私の憂鬱を深くしました。

里親の親は、長年里親をやっているベテランで、
里親の親族に、里子は特殊ではなく、身近な存在のようでした。

彼らは、明治時代の地主が、小作人の奉公人に接するように、
私に接しました。
彼らには、それが自然な振る舞いでした。

里親の親族が集まると、里親の親達の世代が、
里子達をどのように扱っていたか、話を聞かされました。
彼らの話によると、里子は奉公人より低い身分とされ、
奴隷のような待遇を受けていたようです。
当時は、それが普通だったと言われました。
それに比べて、「お前は恵まれている」
「今の里子は幸せね」等、言われました。

里親家族と里子が、同じテーブルでおせちを食べる事は、
里親達にしてみれば、慈悲深い恩恵を施す行為でした。
私は、身に余る光栄として、その恩恵を受け止めなければなりませんでした。

里親の実子の中には、私にお年玉をくれる人もいました。
しかし、里親の実子の子供達と、同じ金額ではありませんでした。
里親の親族の子供達は、学年によって5千円から2、3万円を貰っていましたが、
私は、5百円か1000円でした。
それでも口々に「良かったわね」「今の里子は幸せね」と言われ、
私自身も、そう信じていました。

私は里子として里親の家を転々と渡り歩いた経験があるの。
その経験から里親による里子虐待や不適切養育は
かなりの高確率で行われてると確信してるの。
里親の家における里子の扱いの実態調査が行われたことはないし、
仮に調査が行われたとしても里親たちは都合の悪いことは隠して
キレイゴトばかりならべたてるのは目に見えてるから、
里親の自己申告によるアンケートは信憑性がないし、
里親の家に隠しカメラでも仕込んで日常生活を監視しないかぎり
ほんとうの「実態」は永遠に闇の中でしょうけど。

里親制度の実態を知らない一般人の中には
里親推進派の垂れ流すプロパガンダにすっかり騙されて
里親家庭は「安全な場所」と思い込んでる人がいるみたいだけど、
当の里親たちや児童相談所のワーカーをはじめとする
「里親制度の実態に肉薄する人々」は
里親家庭こそ虐待・不適切養育の温床であると「知ってるハズ」なの。
虐待の現場を目撃したことはなくても薄々なにか感じてるハズよ。
ほんとうになにも知らない、なにも問題を感じてないと言い張るなら、
児童福祉の専門職として、もしくは里親としての資質を疑うわ。
もし彼らが「虐待・不適切養育」であるという認識を持たずに
里子を虐待したり不適切養育したり、それらを見逃してるとすれば、
子どもをアザになるほどブン殴って「しつけ」と言い張る虐待親と同じよ。
少しでもヒトらしい感情が残ってるなら、資質のない税金ドロボーは
今すぐ里親もしくはワーカー業を返上していただきたいわね。

里親推進派の垂れ流すプロパガンダのひとつに
「施設は虐待があるから、施設の養育は不適切だから、
保護児童は里親家庭に措置しろ」というモノがあるけど、
施設より里親家庭のほうが子どもが虐待されるリスクは高いと思うの。
実親家庭、一時保護所、児童養護施設、里親家庭のなかで、
里親家庭ほど危険な場所はないと思うわ。
施設における虐待はまれに表沙汰になってニュースになるけど、
虐待が発覚するきっかけのほとんどは施設職員による内部告発なの。
里親家庭は施設より密室性が高くて内部告発する職員がいないから
虐待の発見が困難で、なかなか表沙汰にならないだけなの。
虐待とまではいかない「不適切養育」についても、
里親家庭における不適切養育と施設における不適切養育を比べて
里親のソレのほうが施設よりマシとする論拠はあるのかしら?
「施設養育は不適切だから、里親家庭に」と主張するなら、
その主張の大前提となる「すべての里親家庭で里子が適切に養育されてる」
「里親家庭で不適切な養育を受けた子どもは、施設のそれと比べてダメージが軽い」
という仮説の正当性を裏付ける根拠を提示していただきたいわね。
100分の1くらいの確率で当たるかも知れない奇跡の里親家庭と
何十年も大昔の最底辺施設を比べて「里親家庭の利点」を並べ立てて、
里親制度の実態を知らない一般人を洗脳するヒマとエネルギーがあるなら、
そのヒマとエネルギーを今ある里子虐待を減らす方向に使えばいいのに。
そもそも、里親の家で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみと、
施設で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみを比較して、
どちらがマシかなんて不幸自慢すること自体がナンセンスきわまりないわね。

里親制度の実態を知らない一般人が里親家庭を神聖視する理由のひとつに、
「血の繋がった我が子でも思いどおりに育たなくて大変なのに、
他人の子を育てるのはさぞ大変なことだろう、
その苦労をすすんで引き受ける里親はマザー・テレサのような
立派な人格者にちがいない」という里親幻想があると思うの。
このような「里親幻想」を抱く人々は、もし自分が里親になったら、
里子に対して「我が子と同じように」愛情をそそぎ、実子と分け隔てなく育て、
実の親子のように一生涯にわたって里子と関係を持ち続ける前提で考えて、
「自分にはムリ」→「里親ってスゴイな」という結論に至ると思うの。
一般人の多くは里親に手当が支給されることも知らないし、
手当が支給されることを知ってたとしても、
人ひとりの人生を左右する「責任の重さ」を前にしたら、
どれだけ大金を積まれても割に合わないと思うのは当然だわ。
私だって自分にできないことを実践してる人物は素直に尊敬するもの。
でも残念ながら、私の知ってる里親たちは、
里親制度の実態を知らない一般人が考えるような「責任の重さ」とは無縁だったわ。
里親たちにとって、里子の人生は、すごく軽いの。
犬を飼うより軽いかも知れないわね。
死なない程度にエサを与えて、寝床と着る物をあてがって、
あとは気分で怒鳴ったり殴ったりしてればいいの。
彼らにとって里子というのは、その程度の生き物なの。
暴力と恐怖と食べ物を使えば、子どもを「ねじ曲げる」のは簡単なの。
だからこそ、マトモな一般人には「割に合わないこと」でも、
お金目当ての里親たちはじゅうぶん採算がとれてるの。

長々と書いてしまったけど、私が伝えたいことは表題にあるとおり、
実体のない「里親幻想」を捨てて、里親家庭を神聖視するのはやめて、
里親家庭にも虐待はあるという認識で里子たちを見守ってほしいってことなの。
虐待を発見したらどうするか、どうすれば当該児童を危険にさらさずに
里親家庭という危険な闇から救いだせるかはケース・バイ・ケースで
容易に答えを提示できるものではないけれど・・・

里親の家に措置される児童は、親がいないと思われていますが、
現在は、ほとんどの児童に実の親がいて、家族がいます。
要保護児童の内、天涯孤独の孤児は、ほんの一部です。

私が、里親の家に措置されていた経験のある方々と
交流を持つようになったのは、ここ1年程の事です。
それまでは、私が知っている里子経験者は、
同じ里親の家に措置されていた子のみで、
彼らとは、一人を除いて交流はありません。

里親の家に措置された経験のある方々と知り合い、
経験や思う事を語り合い、親交を深める内に分かった事は、
彼ら全員に親がいて、定期的に会ったり連絡を取り合い、
親や親族と良い関係を築いていたり、
関係をより良い物にして行こうと努力していたり、
良い関係とは言えないまでも、アパートを借りたり転職する際の
身許保証人になってくれる程度の関係は、保っている事でした。

これは、また別の見方も出来ます。
元里子の内、「SNSやスカイプ等のネット資源を上手く活用し、
同じ経験を持つ者同士で交流を図ろうとする意思を持ち、
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙している者」は、
程度の差はあれ、「実親のサポートを受けている」と解釈出来ます。

食べて行くだけで精一杯、明日どうなるか分からない生活では、
ただ生きて行くだけで消耗して、エネルギーを使い果たし、
自分の内面の問題にかまけている余裕はありません。
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙する為には、
精神的にも経済的にも、ある程度の余裕が必要なのです。

生憎私は、親との関係は、決して良好ではありません。
会えば喧嘩になり、不愉快になって、冷たく別れる事もあります。

それでも、双方共に交流を断絶しようとせず、
言い争いをしたり不愉快になりながらも、付き合い続けているのは、
本物の親子だからだと思います。
ここで言う「本物の親子」とは、血の繋がりは勿論、
法的な親子関係があると言う意味です。

実の親子関係は、法的に離縁する事は出来ません。
ドラマや映画等で、親が子に「勘当だ」と言うシーンがありますが、
「勘当」は社会通念上のみ存在する概念で、
法的に実の親子が縁を切ることは、一つの例外を除いて不可能です。
日本の法律で唯一、実の親子の絶縁が認められているのは、
特別養子縁組で、子が別の夫婦の特別養子になった場合に限られます。

「血は水よりも濃い」と言う言葉がありますが、
いがみ合いをしながらも切り捨てる事が出来ない、
良くも悪くも切っても切れないのが、
実の親子関係であり、親子の縁だと思います。

里親の家に措置された経験のある友人の中には、
虐待のない里親家庭で育った方もいます。
しかし、自立後も里親と連絡を取り合っている方は、皆無です。

また、愛情いっぱい育てられて幸せになった元里子の方が、
「愛情いっぱい育てられている里子達はほんの一握り」と仰っておられるのを読むと、
里子を虐待・不適切な養育をする里親が多い現実が、浮かび上がって来ます。

里子経験者の話を聞くと、親に育てられなかった事で、
親を責めていたり、責めていた過去を持っています。

私も、親を責め、恨んだ時代がありました。
未だに親と口論して、頭に血が上ると、
「私を捨てた癖に」と、思う事があります。
「育てなかった癖に、親面しないでよ」と、言ってしまった事もあります。
その所為で、その場の雰囲気が険悪になってしまった事もあります。

妊娠中絶反対、里親や養親を推進するサイトで、
「子供を育てなくても、捨てる事にはならない」と言うような内容の言葉が
書かれていたのを見た事があります。
「事情があって子供を育てられないなら、
里親や養親を探して子供を手放すのも親の愛情であり、
親の責任の果たし方の一つ」と言う意見も、よく見かけます。

これらの意見について、この場で私見を述べるのは控えさせて戴きますが、
いかなる事情があれ、子供を手放した親、特に母親は、一生その責めを負います。

親が子供の養育を違法に放棄すると、保護責任者遺棄罪になりますが、
児童相談所等の公的機関を通じて、子供の保護を行政に要請した場合、
親は法的な責任は問われない事になっています。

法的な責任は問われなくても、
親は「子供を捨てた事」「育てなかった事」への責めを負います。
子供に責められ、社会的な責めも負います。

親が自らの手で、きちんと子供を育てた場合も同様です。
思春期になって非行に走ったり、社会に上手く適応出来なければ、
親は育児の結果の責任を問われます。
成人した子供が犯罪行為をして、新聞沙汰になれば、
親は社会的に抹殺されたも同然の立場に追い込まれるでしょう。
子供の人生に責任を負い、死ぬまで背負い続けるのが、親なのです。

しかし、里親はどうでしょうか。
里親の虐待や不適切養育の結果、里子が問題行動を呈したとしても、
里親が責任を問われる事は一切ありません。
思い通りに育たなければ措置解除して追い出せば、一件落着です。
責任を問われないばかりか、「手の掛かる子」「難しい問題児」を養育したと評価され、
里親の輝かしい実績にカウントされるのです。

措置終了後、里親は里子への責任を一切負いません。
里親の養育の結果、元里子が精神的なトラブルを抱えて苦しもうが
その所為で自殺しようが野垂れ死のうが犯罪に走ろうが
里親の知った事ではないのです。

親と里親の責任の重さの違いは、比べるまでもありません。
里親制度はあくまで社会的養護の一環に過ぎないからです。
施設出身者が犯罪を犯しても、その人が育った施設の職員が
それまで暮らしていた地域社会に村八分にされ、
居たたまれずに引っ越した、と言う話は、聞いた事がありません。
里親の責任は、施設職員のそれと同程度で、
親が背負う責任とは比べようもないのです。

養子縁組里親は、養子縁組をする前提で里子を引き取ります。
法的に親子関係になる事は、実の親と同じ重みの責任を背負う事であり、
里子と血の繋がりはなくても、家族になる用意がある事を意味していると思います。

しかし、養育里親は、養子縁組を前提としないホームステイに過ぎません。
措置終了までの期限付きの養育で、且つ、養育の結果に責任は負いません。
他人の子に、我が子に対するのと同じ重さの責任は取りません、
里子にそこまで責任は取れませんと、半ば公言しながら育てているのと同じです。

そのような養育人を、親や家族と呼ぶのは無理がある、
その条件付きの養育環境を、家庭と呼ぶのは無理があると思うのは、
私だけでしょうか?

僕は、大人になる迄、本当の親を、許せなかった。

ある事情で、親を許す必要に迫られ、互いに体当たりで、距離を縮めたが、そうなる以前は、ビジネスライクな態度に、徹してた。

親権者の同意や、保証人が必要で、親に会う時は、冷淡な態度を、崩さなかった。

今思えば、親を「許す」と言う発想は、酷く傲慢で、不遜な考えだが、長い間、僕は、親を、許せず、棘を剥き出しに、してた。

僕は、怒りをぶつける方向を、間違えてた。
本来なら、里親に向ける怒りを、母親に、ぶつけてた。

母親なら、受け入れてくれると言う、甘えが、あった。

里親に、甘える気持ちは、無かったから、簡単に、切り捨てた。
自立出来る年齢に、なった時、迷わず、里親の家を出て、自立する道を、選んだ。
僕の人生から、容易に、締め出す事が、出来た。

僕は、精神的に、母に甘え、依存してた。
だからこそ、母を、許せなかった。

里子が成長し、進学や就職を迎えると、親と会う機会が、増える。

里子の立場の子供は、とても敏感な子が、多い。
高感度アンテナを装備して、里親の、口に出さない本音を、敏感に、感じ取る。

僕が、親に、否定的な態度を取ると、里親は、喜んだ。

里親の家は、二重基準で、動いてた。
目の前に、本音がぶら下ってるのに、見えない振りして、建て前の世界を、生きてた。

里親たちは、建て前の鎧で、一寸の隙もなく、武装してた。
建て前の世界の、言葉を使って、話をした。
それで居ながら、僕に対しては、彼らの本音の感情を、害さない言動を、要求した。

僕が、親に、否定的な態度を取ると、里親は、建て前で、僕を諭したり、窘めたり、する。
しかし、本心は、喜んでた。

例えば、親の書類が必要な時。
里親は、母に電話して、僕に、受話器を渡す。
彼らは、何気ない風を、装ってるが、耳をダンボにして、僕の話を、聞いてる。

僕は、彼らの耳を、痛い程、意識してる。
彼らが聞いてる事を、意識して、僕は、「届けに来ないでいいです、郵送して下さい」と、言う。

電話を切ると、里親は、僕を窘める。

「お母さんを、うちに、お招きすれば良かったのに」とか、「ついでに会えば、いいじゃないか」と、言う。

しかし、彼らの、楽し気に輝く目や、笑いを堪える口端や、微妙な口調が、建て前を、裏切ってた。

彼らは、表面上、僕の親を庇い、僕と親の不和を嘆いたが、その仮面の下で、笑ってた。

僕は、大人になる迄、里親に虐待された、認識が、あまり無かった。
虐待された、認識を、持たずに、成長した。

虐待された、記憶の、多くを、忘れてた。
覚えてても、歪んだフィルタ越しに、覚えてた。

僕は、解離性障害が、ある。
この障害で、一番困るのは、記憶の欠落が、仕事や、社会生活に、支障を来す事だ。

小学校高学年頃から、兆候は、あった。

目覚めると、記憶が、全部、消えてた。
自分は何者で、今は何時で、ここは何処で、何故、ここに居るのか、全然、分からなかった。

ここは何処?私は誰?状態だった。

自分の年齢も分からず、見た事もない家の、見た事もない部屋で、見た事もない人に、起こされる状態が、どれ程、怖いか、想像して欲しい。

僕は、混乱して、怖くて、固まったまま、動けなかった。

暫く、じっとしてると、自分は何者で、ここは里親の家で、この人は里親で、僕は何故、ここに居るのか、思い出した。

記憶が戻り、状況が理解出来ると、安心して、動き出した。

そんな経験が、何度も、あった。

里親の家を、出てからは、記憶が真っ白になる事は、無くなったが、気が付いたら、意識が飛ぶ直前に、居た場所と、違う場所に居て、何故そこに居るのか、分からなかったり、酷く出血してて、驚いて、病院に駆け込んだり、した。

解離性障害の所為で、僕の人生は、かなり混乱した物に、なってしまった。

児童虐待の、後遺症が、全て出揃うのは、大人になってからと、言われるが、児童虐待を耐える為に、無自覚に身に付けた、フィルタや、考え方や、精神活動のパタンや、自意識の歪みは、病的な破壊力で、大人になってから、自分を、攻撃し始める。

親に捨てられた子が、保護された里親の家で、手酷い裏切りを、受け続ける事は、子供にとって、どれ程、絶望的な状況、だったか。

傷が、癒える間もなく、傷口を抉られ、高濃度の硫酸を、流し込まれる様な物だ。

解離は、強力な麻酔、だったと、思う。

里親の家と言う、逃げ場のない密室で、長期間、数え切れない程、繰り返された、虐待の、耐え難い苦痛から、僕を守ったんだと、思う。

麻酔は、治療薬では、なかった。
一時的に、痛みを、痛みと感じなくするだけで、受けたダメージを、軽くする物では、なかった。

傷の痛みと、向き合うのを、先送り、しただけだった。

長い間、先送りしたツケは、貯まりに貯まり、里親の家を出て、一人で生き始めた僕を、巨大な落石のように、襲った。

軽度の解離は、誰でも、なるらしい。
交通事故の、被害者が、事故の瞬間を、覚えてないのは、典型的な、解離の一種、らしい。

但し、長期間、記憶の欠落が継続したり、身の安全を脅かしたり、社会生活に支障が出る程の、深刻な解離症状が、出るのは、治療が必要な障害だ。

解離性障害は、自分が傷付いた事を、意識しない為に、自分の中で、麻酔を、出し続けて、自家中毒になった状態だと、思う。

そこに傷がある事を、認識しなければ、その状態から、抜け出せない。

僕は、過去に蓋して、無かった事に、しようと、してた。
問題を、避けて通って、里親の「さ」の字からも、逃げてた。

自分が、何かおかしいのは、気付いてたが、特殊な事じゃない、誰でもある事だろうと、自分を騙して、生きてた。

学生の頃は、何とか、誤魔化せても、社会人になると、言い逃れ出来ない、誤魔化せない場面が、出て来る。

僕は、このままじゃ破滅すると、尻に火が付いて、ずっと、逃げ続けて来た事と、向き合わざる得ない、状況に、追い込まれたが、里親が、僕にした事と、向き合うのは、死にたくなる程、辛い事、だった。