里親の虐待から自分を守る、解離性障害は麻酔だった

kent2009 による 4. kent の場合 への投稿 (4. kent の場合)
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僕は、大人になる迄、里親に虐待された、認識が、あまり無かった。
虐待された、認識を、持たずに、成長した。

虐待された、記憶の、多くを、忘れてた。
覚えてても、歪んだフィルタ越しに、覚えてた。

僕は、解離性障害が、ある。
この障害で、一番困るのは、記憶の欠落が、仕事や、社会生活に、支障を来す事だ。

小学校高学年頃から、兆候は、あった。

目覚めると、記憶が、全部、消えてた。
自分は何者で、今は何時で、ここは何処で、何故、ここに居るのか、全然、分からなかった。

ここは何処?私は誰?状態だった。

自分の年齢も分からず、見た事もない家の、見た事もない部屋で、見た事もない人に、起こされる状態が、どれ程、怖いか、想像して欲しい。

僕は、混乱して、怖くて、固まったまま、動けなかった。

暫く、じっとしてると、自分は何者で、ここは里親の家で、この人は里親で、僕は何故、ここに居るのか、思い出した。

記憶が戻り、状況が理解出来ると、安心して、動き出した。

そんな経験が、何度も、あった。

里親の家を、出てからは、記憶が真っ白になる事は、無くなったが、気が付いたら、意識が飛ぶ直前に、居た場所と、違う場所に居て、何故そこに居るのか、分からなかったり、酷く出血してて、驚いて、病院に駆け込んだり、した。

解離性障害の所為で、僕の人生は、かなり混乱した物に、なってしまった。

児童虐待の、後遺症が、全て出揃うのは、大人になってからと、言われるが、児童虐待を耐える為に、無自覚に身に付けた、フィルタや、考え方や、精神活動のパタンや、自意識の歪みは、病的な破壊力で、大人になってから、自分を、攻撃し始める。

親に捨てられた子が、保護された里親の家で、手酷い裏切りを、受け続ける事は、子供にとって、どれ程、絶望的な状況、だったか。

傷が、癒える間もなく、傷口を抉られ、高濃度の硫酸を、流し込まれる様な物だ。

解離は、強力な麻酔、だったと、思う。

里親の家と言う、逃げ場のない密室で、長期間、数え切れない程、繰り返された、虐待の、耐え難い苦痛から、僕を守ったんだと、思う。

麻酔は、治療薬では、なかった。
一時的に、痛みを、痛みと感じなくするだけで、受けたダメージを、軽くする物では、なかった。

傷の痛みと、向き合うのを、先送り、しただけだった。

長い間、先送りしたツケは、貯まりに貯まり、里親の家を出て、一人で生き始めた僕を、巨大な落石のように、襲った。

軽度の解離は、誰でも、なるらしい。
交通事故の、被害者が、事故の瞬間を、覚えてないのは、典型的な、解離の一種、らしい。

但し、長期間、記憶の欠落が継続したり、身の安全を脅かしたり、社会生活に支障が出る程の、深刻な解離症状が、出るのは、治療が必要な障害だ。

解離性障害は、自分が傷付いた事を、意識しない為に、自分の中で、麻酔を、出し続けて、自家中毒になった状態だと、思う。

そこに傷がある事を、認識しなければ、その状態から、抜け出せない。

僕は、過去に蓋して、無かった事に、しようと、してた。
問題を、避けて通って、里親の「さ」の字からも、逃げてた。

自分が、何かおかしいのは、気付いてたが、特殊な事じゃない、誰でもある事だろうと、自分を騙して、生きてた。

学生の頃は、何とか、誤魔化せても、社会人になると、言い逃れ出来ない、誤魔化せない場面が、出て来る。

僕は、このままじゃ破滅すると、尻に火が付いて、ずっと、逃げ続けて来た事と、向き合わざる得ない、状況に、追い込まれたが、里親が、僕にした事と、向き合うのは、死にたくなる程、辛い事、だった。

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