里子が里親と同じ食卓を囲むのは【身に余る恩恵】だった

maron2009 による 6. マロンの場合 への投稿 (6. マロンの場合)
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夏休みや冬休みは、憂鬱でした。
一日中里親の家で、彼らの悪意に晒されて過ごすのは、苦痛でした。
給食を食べられなくなる事は、当時の私には、とても辛い事でした。

私の学校生活は、惨めな物でした。
同級生に仲間外れにされ、親しい友達はいませんでした。
男子に苛められ、意地悪な女子のグループにも苛められていました。

それでも、学校は逃げ場でした。
里親の家より、安心して過ごせる場所でした。

長期休暇中は、一日も早く学校が始まるのを心待ちにしていました。
家庭で育てられている子供達が、夏休みや冬休みが大好きな事を、
羨ましく思うと同時に、子供ながらに漠然と、
彼らと私の間にある超えられない壁、
身分の違いのような物を、感じていました。

夏休みや冬休みになると、里親の実子達が
彼らの子供達を連れて、里親宅に遊びに来ました。
その事が、私の憂鬱を深くしました。

里親の親は、長年里親をやっているベテランで、
里親の親族に、里子は特殊ではなく、身近な存在のようでした。

彼らは、明治時代の地主が、小作人の奉公人に接するように、
私に接しました。
彼らには、それが自然な振る舞いでした。

里親の親族が集まると、里親の親達の世代が、
里子達をどのように扱っていたか、話を聞かされました。
彼らの話によると、里子は奉公人より低い身分とされ、
奴隷のような待遇を受けていたようです。
当時は、それが普通だったと言われました。
それに比べて、「お前は恵まれている」
「今の里子は幸せね」等、言われました。

里親家族と里子が、同じテーブルでおせちを食べる事は、
里親達にしてみれば、慈悲深い恩恵を施す行為でした。
私は、身に余る光栄として、その恩恵を受け止めなければなりませんでした。

里親の実子の中には、私にお年玉をくれる人もいました。
しかし、里親の実子の子供達と、同じ金額ではありませんでした。
里親の親族の子供達は、学年によって5千円から2、3万円を貰っていましたが、
私は、5百円か1000円でした。
それでも口々に「良かったわね」「今の里子は幸せね」と言われ、
私自身も、そう信じていました。

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コメント
  1. みき より:

    応援しました。よく立ち寄っては応援しています。
    悲惨な記事が多いですね。

  2. maron2009 より:

    みきさん、応援ありがとうございます。
    悲惨な記事が多いですが、よろしくお願い致します。

  3. みかん より:

    ブログ管理者様
    このサイトの記事は様々な方の投稿形式なのですね。
    大変、有意義なサイトだと思います。辛い境遇におかれている子供達が減ることを祈っています。現在、携帯からは応援クリックが出来ない(バナーが見当たりません)ようなので、携帯からもクリックが出来る設定になさってはいかがでしょうか。

  4. gladiolus2009 より:

    みかんさん、こんにちは。
    管理人のグラジオラスと申します。
    当ブログをケータイで見てる方は多いのでしょうか?
    当ブログはPC前提で作ってるので、ケータイで見てる方にやさしくないかも知れません。
    バナーのクリックの件も含めて、少しずつ改善していきたいと思います。
    ご意見ありがとうございました。

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