12月, 2009 のアーカイブ

「親に育てられない子ども」といっても、そうなる事情はさまざまで、
その子の抱える事情によって必要な「社会的養護」の質は異なると思うの。
中には「社会的養護」の枠を超えた、もっと個人的な「うしろ盾」を
あたえられるほうがモアベターである子もいるの。

「親に育てられない子ども」を大きくわけると、
以下の2つのグループにカテゴライズできると思うの。

■親との関係を保ちつつ、社会的養護が必要な子ども
・将来的に、親が子どもと共に暮らすことを望んでる子
・親が家庭の中で子どもを育てることは難しいが
 子どもに関わっていこうとする意思のある子
・親子が分離しなければならなくなった事情が解決すれば
 親もとに帰れる見込みのある子
・子どもがある程度まで成長して「親がかり」の年齢を過ぎれば
 親もとに帰れる見込みのある子

■社会的養護の枠を超えた『うしろ盾』が必要な子ども
・望まない妊娠、予定外の妊娠などで、遺棄された子
・裁判所が親の親権を停止した子
・強制的な親子分離に至るほど重篤な虐待や不適切養育を受けた子で
 親が関連機関や専門家によるケアやサポートを拒むなど
 子どもの家庭復帰へ向けた取り組みに非協力的な親の子
・一定期間(1~2年)親の消息が不明な状態にある子
・一定期間、親が面会に来ない、連絡が取れないなど
 わが子に関わっていこうとする意思のない親の子

ようするに「親が愛情をもって子に関わっていく気があるか否か」で
その子に必要なサポートやケアの質は異なると思うんだけど、
保護児童のうち「親との関係を保ちつつ、社会的養護が必要な子ども」は、
小規模施設(ここでは便宜上、グループホームやユニット制の施設も
まとめて「小規模施設」と呼ばせてもらうわね)で育てられるのが
現状ではいちばん安全な選択肢であり、ベストであると思うの。
その理由の説明は長くなるので、次の機会に書くわね。

そして「社会的養護の枠を超えた『うしろ盾』が必要な子ども」は、
養子縁組によって(可能なかぎり「特別養子縁組」によって)
「法的な地位」と「個人的かつ普遍的な拠り所」を保証してほしいの。

里親の大半を占める「養育里親」は、養子縁組を前提としない里親なの。
税金から「里子を育てる労働報酬」と「里子の養育費」をもらって、
期間限定で、社会的養護が必要な「他人の子」を預かるだけの制度なの。
15歳か18歳になって措置終了すれば、里子は里親の家を出て行かねばならないの。
里親制度は、児童養護施設と同じ土俵の上にある制度であり、
「公共の福祉」として提供される「社会的養護」の一形態であり、
里親家庭が里子の個人的な「拠り所」となりうる制度ではないの。
ただ、保護児童に「社会的養護が提供される場所」が、
「施設」か「里親の家」かという違いがあるだけに過ぎないの。

でも、親の存在が「百害あって一利なし」で、拠り所のない子どもは、
「国が定めた保護児童として、社会的養護の枠の中で、18歳になるまで
衣食住が提供され、高校に行く機会が与えられる」だけでは事足りないと思うの。
社会的養護の枠を超えた「恒久的な後ろ盾」が必要なの。
だからこそ、施設や養育里親といった「期間限定の社会的養護」ではなく、
一生涯に渡る親子関係を前提にした「養子縁組家庭」で育てられてほしいの。

里親家庭の利点とされる事(施設より低コスト、家庭的な養育環境など)は、
すべてにおいて養子縁組家庭のほうが「より優れてる」のは一目瞭然だし、
里親家庭の危険性(里子虐待や不適切養育など)の高さを考えると、
養子縁組家庭のほうが「はるかに安全」であると思うの。

養育里親には年間200万円以上の公費が支給され、
里子にお金をかけなければ里親が儲かる制度なの。
また、里親は資格もいらなければ試験もないの。
いちおう審査はあるみたいだけど、そのハードルは低く
「希望すれば、ほとんど誰でもなれる」制度なの。
それゆえに全体的に質が低く、悪質な里親が多数まぎれこんでるの。
最初から里子をマトモに育てる気なんてサラサラない悪徳里親が
一般的に想像される以上の多数派を占めてる現実があるの。

それにひきかえ、「特別養子縁組」の審査はかなり厳しく、
里親審査とは比較にならないほど厳格な基準が定められてるの。
(世間には、この「特別養子縁組」と「里親制度」を混同して、
里親は厳しい審査があると誤解してる方がおられますが、
それは「大きな誤解」以外のなにものでもないと言っておきますわ。)
そして当然ながら、養子縁組家庭は養育費や報酬が支給されず、
一般家庭と同様に「わが子として私費で子どもを育てる」の。
そこに、お金目当ての守銭奴が入り込む余地はないの。
銭ゲバ里親の下に措置されてヒドイ目に遭う危険性の高さに比べたら、
養子縁組家庭におけるリスクは、一般家庭のそれと同程度だと思うわ。

何度も言うけど、養育里親は、施設養護と同じ「公共の福祉」の一形態として、
税金から報酬をもらって、期間限定で「他人の子」を預かるだけの制度なの。
それよりも、「特別養子縁組」で恒久的な親子関係を成立させて、
裁判所の審査に合格した夫婦の「わが子」として育てられるほうが
法的な面でも社会的な面でも、子どもが享受するメリットは大きいの。
親がアテにならない子ども・親の存在がアダになりそうな子どもにとって、
養子縁組と養育里親のどちらがモアベターであるかは一目瞭然なのに、
里親推進派が「養育里親」に固執する理由が理解できないわ。

・・・というのはウソで、彼らがやってる姑息な宣伝工作は
里親手当の賃上げのため、里親の社会的評価とやらを守るため、
余剰里親の失業対策のためのキャンペーンであるのは
大変よく理解してますので、その点についてのツッコミは不要よ。

コメントをくださった方へ

gladiolus2009 による 8. 雑記 への投稿 (8. 雑記)

12月24日と25日に、コメントをくださった方へ

拝見しました。
お気遣いに感謝します。

なるほど腑に落ちました。
実害がなければ静観したいと思います。
ありがとうございました。

なにやらいろいろ大変そうですが・・・
ご無理をなさらぬ程度に、がんばってくださいね。
陰ながら応援しております。

今年はほんとうにお世話になりました。
来年もまたよろしくお願いします。

よいお年をお迎えくださいね。

里親の家に居た頃、私は嘘を吐いた事がありました。

里親は、私が里子だと、隠そうとしませんでした。
むしろ、彼らが里親をしている事を、
常日頃からアピールしていました。
近所の人は、私が里子だと、知っていました。

付き合いのある近所の人だけでなく、
偶々バスや電車に乗り合わせた人や、街中で居合わせた人が、
「お孫さんですか?」等、声を掛けて来ると、
「この子は里子です」と、話していました。
里親は声が大きな人でしたが、そう言う時の里親の声は、
いつにも増して大きく張りがあり、顔は輝いていました。

小学校中学年位になり、私なりに自我が育ってくると、
里子であるのは駄目な事、里子は悪い子だと思う様になり、
自分が恥ずかしく思え、隠したいと思う様になりました。

里親に連れられて、外出した時の事です。
少し離れた所で、用事を片付ける里親を待っていると、
隣に座っていた年配の夫婦が、声を掛けて来ました。

「おばあちゃんと一緒なのね、いいわね」

私は、嘘を吐きました。
否定せず、「うん」と、頷いたのです。
その夫婦の、上品で優しそうな雰囲気を前に、
自分が里子だと知られたくないと思いました。

やがて、里親が、戻って来ました。
夫婦と里親が、短い言葉を交わしました。
里親は、私が彼女をおばあちゃんと言った事を知ると、
里親は、毎度の事ながら、大きな声で言いました。

「この子は、里子なんですよ」

私は恥ずかしさと、優しそうな夫妻に嘘を吐いた事がばれてしまった
居たたまれなさで、頭が真っ白になりました。

まぼろしのような里子経験者のサイトやブログに比べて、
充実してる感のある児童養護施設出身者ですが、
その中には、施設を快く思ってない立場の個人か団体の関係者が
ある意図(施設に対するネガティブキャンペーン?)をもって発信してる
巧妙な「ヤラセ」ブログもあるようです。

下に紹介するのは、信用できる「本物の」施設出身者のブログです。

『はばたけ! 養護施設出身者』
http://ameblo.jp/ganbare-sisetu/

管理人さんご自身が児童養護施設で虐待を受けた経験を踏まえ、
保護児童の社会的養護のあり方について、真剣に考えておられます。
多くの方に読んでいただきたいブログです。