2月, 2010 のアーカイブ

前回の記事で、私は、里親はプロではないと書きました。
それに対して、近いうちに里親になる予定の方から
コメントをいただきました。

その方の意見を要約すると、
「自分を子育ての専門家とは思わない」
「先輩里親の話を聞いても,かれらが専門家だとは思えない」
「児童心理学の先生が書いた本を読んだり,
ベテラン里親の手記を読んだりしても,
彼らが専門家だという気は,全くしない」
と言う内容でした。

高度な教養を得るには、その下地となる教養が必要です。
児童心理学の専門家が書いた本を読んで、
彼らが児童心理学の専門家だと思えない、と言うのは、
レベルを「素人が読んでも理解出来る」程度に落として書かれた本
(専門用語を使わず、読み手に専門性を意識させない本)で、
読み手の素養が低い為、その事を読み取れないだけだと思うので
問題ではありませんが、
私が気になったのは、その方がまるで
「里親は専門性が無くても良い」と考えている(と読める)事でした。

里親制度は、子供に家庭を与える制度ではありません。
あくまで、社会的擁護の一形態で、
児童養護施設の代替手段に過ぎません。
施設と同様の【期間限定の一時預かり制度】です。

一生涯の親子関係が前提にあるのは養子縁組で、
養子縁組と里親制度は、別物です。

里親の専門性に関して、敢えて、この場では云々しません。

私が気になるのは、
この方が、「私は、私は」に始終している事です。
これは、この方に限った事では、ありません。
ネット上の里親の方の意見を拝見する度に、
「私は、私は」に始終している事が、とても気になります。

つまり、「声が大きく、我が強い」のです。
里親の方は、彼らの頭の中にある【里親としての意見】を
声高に主張する事が第一義になっていて、
彼らの保護対象である里子を見ていない、
見ようとする気もない、ように映ってなりません。

私は元里子として、里親に専門性を望みます。
里親制度は、養子縁組ではないのですから、
家族だの家庭だのと言った、おためごかしよりも、
児童福祉に携わる人間としての、専門性の高さを望みます。

しかし、その里親の方から戴いたコメントを拝見すると、
「私は専門性はありません」
「先輩里親の方々も、専門性はありません」と言う内容でした。
まるで、専門性を高める努力はしない、
努力するつもりもないと言ってるとしか、思えない内容でした。

稀に、学校の生徒が教師に望む事のアンケートが行われ、
ニュースで報道されるのを、見た事があります。

「贔屓をしない先生」
「教えるのが上手い先生」
「面白い先生」

これらの、生徒が教師に望む事を聞いて、
教師の方が、教師としての意見を声高に主張して、
生徒に「お前も私と同じ意見を持ちなさい」と、押し付けるでしょうか?

より良い教師になろうと努力している教師の方は、
生徒の意見に、耳を傾ける余裕が、あるのではないでしょうか。

しかし、里親は、「私は、私は」なのです。
彼らの【里親としての意見】を主張されるばかりで、
それと事なる意見は、聞く耳さえ持ちません。
聞く耳を持たないだけなら、まだ良いのですが、
否定する事に躍起になったり、攻撃的になります。

このような方が、里親になり、里子と向き合って、
双方向のコミュニケーションを築けるのでしょうか?

弱い立場にある子供の、言葉に出来ない「声」に耳を傾け、
隠されたニーズを拾い上げる事が、出来るのでしょうか?

彼らに委託されている里子さんが、心配でなりません。