3月, 2010 のアーカイブ

私はその番組を見ていないのですが、
最近、テレビでタレントの恵さんが、
「里親は、月2~3万の安い手当で、
ボランティアで里子を育てている」
と発言されたそうです。

このブログをご覧の皆様は、
恵さんの発言の間違いが、分かると思います。

養育里親は、年200万円以上の手当を受給しています。
今の日本は、年収300万時代と言われており、
4分の1の世帯が、年200万以下の収入で
生活していると言われています。
200万と言う数字は、決して安い金額ではありません。

里親には、里子の養育費として、
約5万円が毎月支給されています。
里子の医療費、学費、保育料、学校給食費等は無料で、
進学に掛かった費用、教材費、クラブ活動費、
そして通学や通院の交通費も、全額支給されます。
塾費用、暖房費、七五三等の行事費、
レジャー費用、パソコンや自転車等の購入費、
おまけに、里親宅のリフォーム代も、支給されます。
申請すれば、何でも出ると思って下さい。

これらの手厚い各種手当は、
月5万円の養育費とは別に、支給されます。
養育費の中で賄わなければならないのは、
衣類と食費だけと考えて良いと思います。

そして、里子の為の各種手当と養育費とは別に、
里親の報酬として、【里親手当】が支給されます。
国から支給される約7万2千円に加えて、
地方自治体からの支給もあります。
自治体からの支給額は、地域で差があり、
東京都は、一律2万5千円、
神奈川県の一部の市は、3万円との事です。

里子を養育する為の各種手当と養育費の他に、
毎月、7~10万の【里親手当】が出ています。

恵さんが仰った、「2~3万の安い手当」とは、
大きく掛け離れた現実があります。

里親団体は、メディアの報道に目を光らせており、
【里親制度への正しい理解を妨げる報道】に、
抗議活動を行っておられます。

一例を上げると、ある雑誌が、
里親関係の記事を掲載したようですが、
里親団体は、「里親制度への正しい理解を妨げる」として、
出版社に、謝罪と訂正記事の掲載を要求していました。
私はその記事を読んでいないので、何とも言えませんが、
里親サイドが言うには、
「里親から里子への虐待が増えていると【誤解】を招く内容」
だったようです。

里親達は、報道に目を光らせるだけでは飽き足らず、
フィクション作品の【検閲】も行っておられます。
里親が悪者に描かれたドラマが放送された時は、
テレビ局に抗議されておられました。
ニュースやドキュメンタリーではありません。
【フィクション】として放送された【ドラマ】です。

いずれの件も、里親団体の理事が、
彼らのサイトで、「抗議した」と報告しておられました。
そこは、一般の里親達も、書き込み出来るのですが、
異を唱える者は、一人も居ませんでした。

この里親団体の活動に、私は異常な物を感じましたが、
私の感覚が、ずれているのでしょうか?

そして今回、恵さんの「月2~3万」発言がありました。

里親達は、親が育てない子供の為、
里親を増やす為と言う理由で、
里親手当の賃上げを、行政に要求しています。
里親団体の賃上げ要求に応えて、
平成21年度、里親手当が増額されました。

このたびの恵さんの「月2~3万」発言は、
【里親制度への正しい理解を妨げる発言】であるはずです。
「親が育てない子供の為に、里親を増やす為に」
と言う大義名分で、里親手当の増額が行われたのなら、
尚の事、里親に支給される手当の正しい数字を
世間に広く周知する必要があるのではないでしょうか。

しかし、里親団体は、一切抗議しておられません。

メディアの報道に目を光らせ、出版社やテレビ局を
「里親の虐待が増えていると、世間に誤解を与える」
「里親制度への正しい理解を妨げる」と、攻撃していた里親達が、
「里親は月2~3万の安い手当で、里子を育てるボランティア」と言う、
明らかな誤解発言は、何故か容認しているのです。

本心から、親が育てない子供の為に、
里親を増やしたいと思っての賃上げ要求なら、
誤解を訂正し、正確な数字を上げて、
「里親は、これだけの手当を貰っています」
と、抗議するはずではないでしょうか。

里親にとって、都合の悪い放送は、
フィクション作品に対しても、抗議活動を行うのに、
【里親は安い手当で里子を育てるボランティア】放送は、
明らかな誤解【里親制度への正しい理解を妨げる】であっても、
容認する。

皆さんは、この二重基準を、どう思われますか?

私には、彼らの姿勢は、公正とは思えません。
世間に、里親制度を正しく理解して貰う事ではなく、
里親と言う人種の社会的評価を守る為に、
活動しているように思えてなりません。

里親と言う人種の特徴を、再認識させられた一件でした。

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本当の事を書くと、僕は、中学を卒業して、自立するまで、空白の期間が、ある。

住所不定、無職だった、期間だ。

高校は、行きたかったけど、僕の成績で、行ける高校は、少なく、公立は、絶望的だった。

僕は、成績は悲惨、だった。

私立なら、行けたかも知れないけど、母が、学費を払えないのは、分かってたし、里親は、私立に行って良いと、言ったが、建て前なのは、分かってた。

里親の家で、僕は居場所を、失ってた。

里父と、不適切な関係は、中2の後半で、終わってた。

関係が無くなると、里父は、僕に、無関心になり、冷淡になった。

僕は、彼と、不適切な関係があった事を、すっかり忘れてて、それ以外の、多くの事を忘れてたから、里父のイメージは、この頃の、冷淡なイメージだけ、だった。

僕は、不必要な、存在だった。
里親達が、早く出て行けと思ってるのは、痛い程、分かってた。

針の筵に、住んでるみたい、だった。
毎日、息が詰まりそうだった。

ダメモトで、公立校を受験して、落ちた。

里子は、高校に進学しないと、中学卒業と同時に、里親の家を、出て行かなくては、ならない。

親元に帰る、とゆう事になったが、僕が帰れる、場所は、無かった。

その時、母は、子供が居るのを、隠して働いて、職場の寮に、住んでた。

僕を、引き取るのは、無理だった。

母は、困り果てて、母の実家に行くよう、言った。

僕は、母の親戚に、憎まれてた。

母は、親戚は、本当は悪い人達じゃないから、三ヶ月だけ我慢しなさい、バイトでも良いから、仕事を探しなさいと、言った。

僕は、母の実家に行き、冷たく迎えられた。

事前に話が行ってて、彼らは、僕が来るのは、知ってたが、酷く困惑してた。

迷惑そうな態度を、隠さなかった。

「いつまで、居るんだ?」叔父は、言った。

僕は、答えられなかった。

母は、三ヶ月我慢すれば、何とかすると言ったが、僕は、期待して無かった。

「あと1年、待ってて」
「○年生になったら、一緒に暮らそう」

僕が、里親の家に居る時、母は言ったが、それらの言葉が、叶えられた事は、一度も無かったから。

次第に、僕は、約束を守らない母に、怒りを募らせた。
期待させて、裏切る母を、憎むようになった。

里親達の、嘲りや冷笑が、母への負の感情を、助長した。

母の実家は、針の筵、だった。

里親の家と、同じだった。

針の筵の上で、僕は、自分の境遇の惨めさを、噛み締め、母への怒りを、育てた。

他に行き場が無かったから、その日は、母の実家に、一泊した。

翌日、僕は、母の実家を、出た。

何処に行くの?と聞かれたから、友達の家に泊めて貰うと、言ったが、本当は、家に泊まらせてくれる友達は、居なかった。

ただ、あの家に、居るのは、嫌だった。

里親の家でも、親戚の家でも、僕は、厄介者、だった。

僕が、あの冷遇に耐えれる程、神経が太くて、図々しかったら、進学を、断念しなかった。迷惑がられても、里親の家に居座って、奨学金とアルバイトで、学費を払って、高校に行った。

出て行く時、叔父が、お金をくれた。
15歳の僕には、大金だった。

僕は、あまり深く、考えなかった。
単純に、お金を貰えて、有り難いと思った。

後で、この一件を知った母が、激怒して、僕は、このお金の、意味を、知った。

里親を推進する人々は、
施設養護と比較して、里親家庭の利点を挙げています。
その中には、根拠のない虚偽情報が多く含まれています。

里親制度の現実を知らない人が、
里親家庭を極度に理想化して、空想上の理想の里親像を
【あたかも現実のように】語っているのかも知れません。
あるいは、里親サイドによる、
世論【里親の社会的評価】操作を目的とした、
意図的な情報操作かも知れません。

どちらにしても、一般人がイメージする里親像は、
現実の姿から乖離しているのは、事実です。

そこで、里親家庭の利点とされている事を、
私なりに、検証して行きたいと思います。

今回は、以下のテーマを、掘り下げてみます。

●里親家庭は、養育者が固定されている?

「施設は職員の退職等で、養育人の交代があり、
児童が養育人と安定した関係を築けないが、
里親家庭は、養育人が長期固定しているので、
安定した関係を築く事が出来る」

これは、里親サイドが好んで使用する売り文句ですが、
果たして本当に、そうなのでしょうか?

確かに、施設では、職員の交代があります。
しかし、職員が変わっても、
施設の有る場所が変わる事はありません。
施設の文化や習慣が、変わる事もありません。
児童は、同じ土地で暮らし続ける事が出来ますし、
それまでと同じ文化や習慣の中で生活して、
同じ学校に通い続ける事が出来ます。

施設は、児童を選り好み出来ません。
しかし、里親は里子を選べます。
そして、預かった里子を、返品する権利があります。
いつでも、理由の如何を問わず、自由に返品できます。

里親家庭を【たらい回し】にされる児童は、少なくありません。
複数の里親宅を、短いスパンで転々とさせられる児童も居ます。
私は、半年、1年、2年の単位で、措置先が変わりました。

施設で担当職員の変更があっても、
それ以外の環境は変わりません。
何人も居る職員の中の1人が、変わるだけです。

しかし、措置先が変更になると、
すべての環境がガラリと変わります。

当然ながら、住む場所が変わります。
学校も変わります。
友達も変わります。

施設と里親家庭が全く異なるように、
A里親とB里親も、全く異なります。
文化も違います。
価値観も違います。
宗教も違います。
里子に求める役割も違います。

文化も価値観も違う世界で、
また1から、やり直さなくてはなりません。
その前に居た里親宅で身につけた文化は、
次の里親宅では、まったく役に立ちません。

措置先が変わるたびに、
全ての人間関係と生活習慣と価値観をリセットするのは、
子供にとって、かなり大きな負担になります。
その負担の大きさは、
施設で担当職員が変わる事とは、比較にもなりません。

確かに、担当職員が平均3年で交代する施設では、
担当職員と児童が、長期安定した関係を構築するのは、
難しいと思います。
しかし、「施設を【たらい回し】にされた」と言う話は、
聞いた事がありません。

里親を推進する人々は、里親制度は施設と比べて
「養育人が固定している事」を利点として挙げています。
しかし現実は、子供が【たらい回し】になる可能性を
内包する制度でもあるのです。

半年、1年の周期で、措置先が変わり、
その度に、何から何まで劇的に変化する生育環境が、
施設養護より優れているとは、私には思えません。

【里親の一方的な都合による里子の返品】や
【たらい回し】が横行する現実を隠して、
「施設は職員の交代があるが、
里親家庭は養育人が固定しているから、
里親は施設より優れている」と宣伝するのは、
一種の【誇大広告】ではないでしょうか?

要保護児童の中で、親が居ない児童や、
親が居ても、音信不通の状態だったり、
愛情を以って子供と関わって行くつもりのない場合、
特別養子縁組で、法的に親子関係を成立させて、
家族の一員として育てられて欲しいと考えています。

幼い時は勿論、自立後も、成人後も、結婚後も、
法的な親子関係を根拠とする家族の一員として、
生きて欲しいと思っています。

里親は、養子縁組を前提としない制度です。
里親は、税金から養育費と報酬を受け取って、
他人の子を【他人の子として】預かるだけの制度です。
施設と同様の、【期間限定の一時預かり】です。

成人後も継続する親子関係が前提にある
養子縁組とは、本質的に異なります。

児童相談所を基幹とする、公的な児童福祉の現場では、
養子縁組の斡旋が、積極的に行われていないと思います。

子供に恵まれず、養子を望む夫婦と、
親に恵まれない子供を結ぶサービスは、
公的な福祉サービスの他に、
民間の養子縁組斡旋団体があります。

民間の斡旋団体を利用して、養子を貰う場合、
数百万円のお金を支払う必要が、あるようです。

養親側(子供を引き取って、育てる側)が、
大金を支払うシステムであるにも関わらず、
民間の斡旋団体は、特別養子縁組の実績を上げています。

子供の立場になってみれば、
里子の出費を1円でも惜しむ里親に預けられるより、
大金を払ってでも子供を望む夫婦の養子になる方が、
大事に育てられる可能性は、遥かに高いと思います。

「他人の子を育てるのは、大変なんです。
お金を貰わなければ、里子なんか育てられません。
里親は大変な苦労をしてるので、手当を値上げして下さい」
と声高に主張する里親に預けられるより、
経済的に余裕がある夫婦の養子になる方が、
子供が虐待を受ける危険は、遥かに低いと思います。

特別養子の虐待事件は、聞いた事がありません。

しかし、公的な児童福祉サービスの現場で、
養子縁組の対象となる児童の為に、
積極的に養親を捜して、斡旋しているとは、思えません。

大金が掛かる民間団体が繁盛している事実は、
公的サービスでは、供給が事足りていない事の、
何よりの証になるでしょう。

さて、厚生労働省は、里親委託率を15.0%にする
数値目標を、掲げているそうです。

国が具体的な数値目標を掲げた事で、
児童福祉の現場で、要保護児童の幸福より、
数値目標を達成する事が優先課題になって居まいか、
危惧しています。

要保護児童の数は増えていますが、
里子になれる児童は、不足しています。
全国の里親登録者は、7,000人居るのに対し、
里子を委託されているのは、2,000人です。

国が数値目標を掲げ、増やそうとしている養育里親は、
被虐待児を預かる事は出来ないので、
被虐待児の受け皿には、なり得ません。

この、厚生労働省が掲げる数値目標は、
余剰里親の失業対策に思えてなりません。
あぶれた里親に、里子を与える為の政策、
子供の為ではなく、里親の為の政策ではないでしょうか。

この数値目標の所為で、
本来なら、特別養子の対象になるはずの児童が
里親に委託されやしないか、心配でなりません。

今の制度では、悪質な里親を排除できません。
悪質な里親がベテラン面で、のさばっているのです。
その現実を無視して、無闇に数値目標を掲げるのは、
子供の立場になった政策とは、到底思えません。

ヨーロッパの児童福祉先進国では、
里親制度は、縮小廃止の方向に動いています。

他の先進国が、失敗だったと認め、見限った制度を、
今、日本で推進する必要があるのでしょうか?

無知な議員が、里親サイドの一方的な主張を、
鵜呑みにした結果でしょうか?

それとも、里親団体【好戦的な圧力団体】と
関わりになりたくない、睨まれたくない一心で、
言いなりになっているのでしょうか?

真相は、闇の中です。

しかし、児童福祉に携わる人々は、
子供の立場になって、子供の幸福を第一に
考えて欲しいと思います。

特別養子縁組で、幸せになれるはずの子供が、
数値目標の為に、里親に委託されるとしたら、
悲劇としか言い様がありません。

親に恵まれない子供は、1人でも多く、
特別養子に迎えられる事を願ってやみません。

里子として他人の家に預けられ、
常に里親家族の顔色を窺って、委縮して、遠慮しながら育ち、
措置終了後は、アパートを借りたくても保証人がいない、
身許保証人がいない為に、まともな職にも就けない、
そんな人生を歩んで欲しくありません。

厚生労働省が【数値目標】を掲げた所為で、
特別養子になれば、知らずにいられた辛酸を、
里親制度の中で舐める子供が増えやしないか、
心配でなりません。

大人の目先の欲望、里親の私利私欲の為に、
1人の子供【やがて大人になる1人の人間】が
幸福になれる機会を、奪わないで下さい。

このブログの主題は、里親制度なので、
児童養護施設の事は話題にしませんでしたが、
私は施設で暮らした経験があります。

最初の里親の家を追い出されてから、
私は施設でピアノを習った事がありました。
ピアノの先生は、若い女性の方でした。
多分、ボランティアで教えに来ていた方だと思います。

ピアノのレッスンは強制ではなく、
希望する子だけに行われていました。
私は、ピアノの先生が大好きでした。

施設に若い女性の先生は何人もいましたが、
スカートを履いて、きれいにお化粧をして、
上品にお洒落をしていた先生は、いませんでした。
施設の先生(保育士や指導員)はハードワークで、
元気いっぱいの大勢の子供を相手に駆け回り、
業務内容には、汚物の処理等も含まれます。
きれいに着飾っていては、勤まらない仕事です。

私は、ピアノの先生の上品さに、憧れを抱いていました。
先生に憧れて、習っていた部分が大きかったと思います。
それでも、ピアノを習った経験は、私の財産になりました。

その後、委託されたB里親の家に、ピアノはありませんでした。
ピアノ曲のCDも、ありませんでした。
私は、学校の休み時間や放課後、
一人でピアノやオルガンを弾いていました。
レパートリーは、バイエルや併用練習曲でしたが、
何度も聞いて、知っている曲であれば、
簡単な曲なら楽譜があれば弾く事が出来ました。

4年生の時、クラスの合唱の伴奏に、
私が指名された事がありました。
「家にピアノがないから練習出来ない」と言う私に、
休み時間や放課後を利用して、
担任の先生が、練習を見てくれました。
同級生から鼻白まれ、孤立していた私への、
先生なりの優しい配慮だったと思います。

しかし、私がピアノを習ったのは施設ではなく、
里親の家で習った事に、なっていました。
里親自身が、習わせていると、嘘をついたのです。
里親はピアノに興味はなく、家にピアノもないのに、
どうすれば私にピアノを習わせる事が出来るのでしょう?

私は「嘘だ」と叫びたくなりましたが、黙っていました。
黙っていましたが、ピアノの先生の思い出を汚されて、
とても悲しかった事は覚えています。
担任の先生に、私は施設でピアノを習ったと話していたので、
私が嘘をついたと思われる事が、嫌でした。

後で、担任の先生には、本当の事を話しました。
里親の家に来てから、ピアノを習った事は一度もない事、
里親の家にピアノはない事は、嘘ではないと言いました。

先生は、私を信じてくれました。
頷いて、「分かってる」と言ってくれました。

私が、人の道を踏み外さずに済んだのは、
私を信じてくれる大人が、少数ながら居たからだと思います。

共に過ごす時間の長短は、関係ありません。
ピアノの先生や、学校の先生のような、
里親と比べれば、接する時間は非常に短い人々でも、
真心と誠意を以って、向き合ってくれる大人がいれば、
その想いは、必ず子供に届くと思います。

家庭という形に拘る必要は、ないのです。