7月, 2011 のアーカイブ

ある元里子の方(仮名Aさん)の話。

里親の下にいた頃は「里子だから」とレッテルを貼られた。

この「里子だから」には多くの意味がこめられてる。

「かわいそうな子どもだから」
「愛情に飢えた子どもだから」
「複雑な事情を背負った子どもだから」
「不幸な子どもだから」
「ヒドイ親に育てられた情緒障害児だから」
「施設で育ったせいでウソをついたりオトナを苛立たせる障害を持ってるから」
「DQN親のDNAを受け継いだDQN児童だから」

Aさんの言動はすべて「里子だから」という魔法の言葉に結びつけられ
いつしかAさんは里親が貼りつけたこのレッテルを内面化した。

オトナになったAさんが自らの子ども時代をふりかえるとき
自分をみじめに思うようになったのは里親に委託されてからだと気付いた。
それ以前は自分をみじめに思うことはなかった。

Aさんが成長過程で内面化した「みじめさ」は
自称「善意のボランティア*」の里親によって植えつけられたモノだった。

今、Aさんの周囲にAさんが里子だったと知るヒトはいない。
Aさんがミスをすると「ゆとり」「平成生まれ」の言葉に結びつけられる。
イラっとするが「里子」というレッテルを貼られてた頃のような「みじめさ」はない。
Aさんに「ゆとり」のレッテルを貼ってイケズをするヒトは
たとえ年齢や役職に上下はあっても、どんなにイヤなヒトでも
基本的にAさんを「自分と対等なヒト」と見なしてる。
「対等なヒト」として攻撃されれば不快感や怒りは覚えるケド、自尊心は傷つかない。
でも「おかわいそうに」と下に置かれれば自尊心はズタズタになる。

※ ※ ※ ここまでAさん談のまとめ ※ ※ ※

以下、私の感想。

成長過程で健全な自尊心が育たないと自己評価の低いオトナになる。
自己評価の低いヒトは「他者による評価」に異常なほど気をとられる。
「他者による評価」の中のみに生き、神経をすりへらして疲弊する。

この「他者による評価」のみを自己肯定の材料にして疲弊してる段階で
自己の問題を自覚しないで内省を経ないままに年齢を重ねると
「他者による評価」という名の「鎧」でガチガチに全身を覆い
その「鎧」をピカピカに磨き上げるコトに執着するようになる。

「里親の社会的評価」を異常なほど気にかけて血道をあげる里親たちの病理は
彼らの子ども時代に淵源があるのだろうか。

※里親には最低でも年200万円以上(専門里親になると300万以上)の手当てが支給されます。
それとは別途に、里子にかかる経費(医療費、タクシー代などの通院交通費、塾費用、給食費、
学費、進学費用、クラブ活動費、学習指導費、修学旅行費、暖房費、里親宅のリフォーム費、
ベッドやパソコンの購入費などなど盛りだくさん)が支給されます。

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※コチラの杉岡博による「里親、女子にわいせつ行為 容疑で無職男を逮捕 滋賀・甲賀署事件」とは、別の事件です。

里子の少女にわいせつ容疑、週末里親の男逮捕

 児童養護施設から「週末里親」として月に数度、里子を預かっていた福岡県の会社員の男(38)が、
預かった10歳代の少女にわいせつな行為をしたとして、福岡県警が3月下旬、準強姦容疑で逮捕していた
ことが捜査関係者への取材で分かった。

 虐待や経済的理由で家庭の養育が難しい子どもたちが最後のよりどころとする里親から性的虐待を
受けていたことに福祉関係者は衝撃を受けている。

 関係者によると、男は2月上旬、自宅で少女に対し、わいせつな行為をした疑いが持たれている。
 容疑を一部否認し、福岡地検は準強姦罪の立証は困難として、児童福祉法(淫行させる行為)違反で
福岡地裁に起訴した。


(2011年5月12日03時00分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110512-OYT1T00134.htm

「里親」が起訴内容認める、少女にわいせつ行為

福岡県内の児童養護施設で暮らす10代の少女を自宅で「週末里親」として預かり、
わいせつな行為をしたとして、児童福祉法違反(淫行させる行為)の罪に問われた同県の
会社員田平昭一被告(38)の初公判が23日、福岡地裁(深野英一裁判官)で開かれ、
田平被告は「間違いない」と起訴内容を認めた。

 検察側は、被告が昨年末から、知的障害のある少女を裸にして体を触るなどの行為を
エスカレートさせ、みだらな行為を5、6回繰り返した
と指摘。
「家庭の温かさを教えるボランティアの立場を悪用した、極めて卑劣で悪質な犯行だ」として、
懲役2年6月を求刑した。判決は6月3日。

 被告人質問で田平被告は「妻と死別し、少女に恋愛感情を抱いた。施設からも信頼されていた
ので、大変申し訳ない」と話した。

 施設には虐待などで親と暮らせない子どもが入所。被告は、子どもに家庭の雰囲気を
体験させるため一時的に預かる「週末里親」のボランティアに、2008年から夫婦で参加していた。

 起訴状によると、田平被告は今年2月7日、里親として少女を自宅で預かり、下半身を押しつけるなどみだらな行為をした、としている。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110524/dms1105241244008-n1.htm

りさりさんのブログの書籍化につづいて嬉しい情報が。

千代子さんの「里親から里子への児童虐待」サイト
「社会福祉法人 社会福祉協議会」が発行している
「新 保育士養成講座 第5巻 社会的養護」に掲載されました。

詳しくはコチラ。
http://childabuse.blog61.fc2.com/blog-entry-99.html

千代子さんのサイトは里親推進派から「捏造サイト」呼ばわりされたり
いわれもない中傷を受けたこともありました。
このたび保育士さん向けの社会的養護の教本に採用されたのは
千代子さんのサイトの正当性や資料的価値が認められた証。

また、りさりさんもご自身のブログで語っておられますが
社会福祉協議会が千代子さんのサイトの趣旨を踏まえた上で資料として採用したことは
そこになんらかの「メッセージ」がこめられてると感じます。

いままでタブー視されてた里親制度の闇の部分に触れる記事が
全国紙の紙面やウェッブ版にもチラホラながらも取り上げられはじめてます。

千代子さん、りさりさん、そして、たまさん。
他力本願で恐縮するばかりですが、この方々のおかげで確実に前進してます。
この問題に関心を持っていただいたすべての方に、心からの感謝を捧げます。

当ブログで紹介させていただいてるりさりさんのブログ「ぬるく愛を語れ!」が書籍になりました。

「いつか見た青い空」

ブログに掲載してない書きおろし作品もあり、いろいろと考えさせられる一冊でした。

極論をいうと子どもの健全な成長に必要なのは「お父さん」でも「お母さん」でも「家庭」でもなく
「愛情」と「安心できる環境」と「信頼できる世界」なのでは?

世間の大多数の人々にとって、それらは家庭とイコールになってるので
子どもは家庭で育てられるべき的な固定観念があるケド
愛情がない家庭、安心できない家庭なら、ないほうがマシ。
愛情と安心があれば家庭というカタチにこだわる必要はない。

ヒトと四つ足を一緒くたにするつもりはないケド、
母系家族集団で群れを形成するライオンも、チンパンジーのような霊長類も
なんらかの事情で親が育てられずにヒトの手による人工哺乳で育った個体は
その種族として適切な求愛行動や繁殖行動ができないとか
野生復帰は絶望的だといわれてた時代があったの。

でも最近は、ヒトの手で人口哺乳で育てられた個体でも
子ども時代に同じ種族の子どもと遊んだり一緒に育てられてれば
成体になってから群れへの復帰や野生復帰がスムーズになり
求愛行動や繁殖行動も問題なく行えることが明らかになってるの。

子どもにとって本当に必要なモノはなにか。

親が育てられない子どもにとってモアベターな養育環境とはなにか。

家庭とか両親とかってカタチにとらわれず、子どもたちの生の声に耳を傾けて
彼らが本当に必要とする社会的養護を提供してほしいものです。

「こうあるべきだ」的なオトナのエゴの押しつけではなく
子どもたちが本当に必要とするものを、子ども目線で。

P.S.
たくさんのコメントありがとうございます。
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