「4. kent の場合」カテゴリーのアーカイブ

本当の事を書くと、僕は、中学を卒業して、自立するまで、空白の期間が、ある。

住所不定、無職だった、期間だ。

高校は、行きたかったけど、僕の成績で、行ける高校は、少なく、公立は、絶望的だった。

僕は、成績は悲惨、だった。

私立なら、行けたかも知れないけど、母が、学費を払えないのは、分かってたし、里親は、私立に行って良いと、言ったが、建て前なのは、分かってた。

里親の家で、僕は居場所を、失ってた。

里父と、不適切な関係は、中2の後半で、終わってた。

関係が無くなると、里父は、僕に、無関心になり、冷淡になった。

僕は、彼と、不適切な関係があった事を、すっかり忘れてて、それ以外の、多くの事を忘れてたから、里父のイメージは、この頃の、冷淡なイメージだけ、だった。

僕は、不必要な、存在だった。
里親達が、早く出て行けと思ってるのは、痛い程、分かってた。

針の筵に、住んでるみたい、だった。
毎日、息が詰まりそうだった。

ダメモトで、公立校を受験して、落ちた。

里子は、高校に進学しないと、中学卒業と同時に、里親の家を、出て行かなくては、ならない。

親元に帰る、とゆう事になったが、僕が帰れる、場所は、無かった。

その時、母は、子供が居るのを、隠して働いて、職場の寮に、住んでた。

僕を、引き取るのは、無理だった。

母は、困り果てて、母の実家に行くよう、言った。

僕は、母の親戚に、憎まれてた。

母は、親戚は、本当は悪い人達じゃないから、三ヶ月だけ我慢しなさい、バイトでも良いから、仕事を探しなさいと、言った。

僕は、母の実家に行き、冷たく迎えられた。

事前に話が行ってて、彼らは、僕が来るのは、知ってたが、酷く困惑してた。

迷惑そうな態度を、隠さなかった。

「いつまで、居るんだ?」叔父は、言った。

僕は、答えられなかった。

母は、三ヶ月我慢すれば、何とかすると言ったが、僕は、期待して無かった。

「あと1年、待ってて」
「○年生になったら、一緒に暮らそう」

僕が、里親の家に居る時、母は言ったが、それらの言葉が、叶えられた事は、一度も無かったから。

次第に、僕は、約束を守らない母に、怒りを募らせた。
期待させて、裏切る母を、憎むようになった。

里親達の、嘲りや冷笑が、母への負の感情を、助長した。

母の実家は、針の筵、だった。

里親の家と、同じだった。

針の筵の上で、僕は、自分の境遇の惨めさを、噛み締め、母への怒りを、育てた。

他に行き場が無かったから、その日は、母の実家に、一泊した。

翌日、僕は、母の実家を、出た。

何処に行くの?と聞かれたから、友達の家に泊めて貰うと、言ったが、本当は、家に泊まらせてくれる友達は、居なかった。

ただ、あの家に、居るのは、嫌だった。

里親の家でも、親戚の家でも、僕は、厄介者、だった。

僕が、あの冷遇に耐えれる程、神経が太くて、図々しかったら、進学を、断念しなかった。迷惑がられても、里親の家に居座って、奨学金とアルバイトで、学費を払って、高校に行った。

出て行く時、叔父が、お金をくれた。
15歳の僕には、大金だった。

僕は、あまり深く、考えなかった。
単純に、お金を貰えて、有り難いと思った。

後で、この一件を知った母が、激怒して、僕は、このお金の、意味を、知った。

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僕は、里親の家で、概ね、良い子だった。
反抗期らしい、反抗期は、無かった。

一度だけ、里母の前で、自傷した事はあるが、その一件以外、中二病的な馬鹿をやった記憶は、無い。
思春期の、葛藤や、心の揺れはあったが、自分一人で、処理した。

学校では、目立たず、問題にもならない生徒だった。
成績は、余り、良くなかったが、部活や、当番や、委員会は、真面目にやった。

先生達の受けは、良かった。
周囲の大人に、僕は、特に問題ない良い子で、通ってたと、思う。

実際は、問題だらけ、だった。

家で、こっそり、自傷や、過食嘔吐を、繰り返した。
過呼吸や、不安障害の発作を、起こした。
未だ、解離性障害は知らなかったが、今になって思うと、既に、症状は、出てた。

自傷は、里親に、バレた。
多分、過食嘔吐も、バレテたと思うが、問題にならなかった。

俗に、性的逸脱行為と、言われる事も、した。
これは、幸運にも、バレなかった。

真面目で、目立たない、良い子の仮面の下で、僕は、かなり問題を抱えてたが、問題を、問題視してなかった。

里親達も、彼らに直接迷惑が掛からなければ、見て見ぬ振りしてた。

学校には、不良と言われる生徒達が、いた。
彼らは、クラスでは、明るく、皆を笑わせ、人気があった。

しかし、大人には、棘を剥き出して、暴れた。
外では、喧嘩やカツアゲ、他害行動に、勤しんでた様で、悪い噂を、よく聞いた。

当時、僕は、自分の問題に精一杯だったが、今になって、彼らの事を考える時、悪い人間だと決め付け、彼らを責める事は、出来ない。

僕は内省的で、臆病で、慎重だった。
グレる勇気もなかった。

外向的で、勇気がある少年達は、抑え切れない衝動を、外に向け、不良や、犯罪者になる。

内向的で、臆病な人は、衝動を、自分に向け、自傷したり、摂食障害になったり、抑うつ症状に、苦しむ。

メンヘラの自傷的な行動と、不良の他害行動は、表面的な、表出方法が違うだけで、根っこに抱える物は、同じだと、思う。

自分じゃコントロール出来ない、強い衝動を抱え、馬鹿な事をやってしまって、罪悪感に苦しみ、激しく自己嫌悪しながら、止めたくても、止められないのは、一緒じゃないかと、思う。

僕は、たまたま、自分を傷付ける方向に、毒を吐き出したが、一歩間違えば、他人を傷つけたかも、知れない。
少年時代を、少年院で過ごし、刑務所で人生を終えてたかも、知れない。

問題を自覚して、対峙しなければ、遅かれ早かれ、自滅する。

自殺するか、精神病院にぶち込まれるか、刑務所に流れ着くかの、違いはあっても、最終的に、自滅するのは、同じだ。

彼らの問題を、自分と切り離して、考える事は、出来ない。

僕は、大人になる迄、本当の親を、許せなかった。

ある事情で、親を許す必要に迫られ、互いに体当たりで、距離を縮めたが、そうなる以前は、ビジネスライクな態度に、徹してた。

親権者の同意や、保証人が必要で、親に会う時は、冷淡な態度を、崩さなかった。

今思えば、親を「許す」と言う発想は、酷く傲慢で、不遜な考えだが、長い間、僕は、親を、許せず、棘を剥き出しに、してた。

僕は、怒りをぶつける方向を、間違えてた。
本来なら、里親に向ける怒りを、母親に、ぶつけてた。

母親なら、受け入れてくれると言う、甘えが、あった。

里親に、甘える気持ちは、無かったから、簡単に、切り捨てた。
自立出来る年齢に、なった時、迷わず、里親の家を出て、自立する道を、選んだ。
僕の人生から、容易に、締め出す事が、出来た。

僕は、精神的に、母に甘え、依存してた。
だからこそ、母を、許せなかった。

里子が成長し、進学や就職を迎えると、親と会う機会が、増える。

里子の立場の子供は、とても敏感な子が、多い。
高感度アンテナを装備して、里親の、口に出さない本音を、敏感に、感じ取る。

僕が、親に、否定的な態度を取ると、里親は、喜んだ。

里親の家は、二重基準で、動いてた。
目の前に、本音がぶら下ってるのに、見えない振りして、建て前の世界を、生きてた。

里親たちは、建て前の鎧で、一寸の隙もなく、武装してた。
建て前の世界の、言葉を使って、話をした。
それで居ながら、僕に対しては、彼らの本音の感情を、害さない言動を、要求した。

僕が、親に、否定的な態度を取ると、里親は、建て前で、僕を諭したり、窘めたり、する。
しかし、本心は、喜んでた。

例えば、親の書類が必要な時。
里親は、母に電話して、僕に、受話器を渡す。
彼らは、何気ない風を、装ってるが、耳をダンボにして、僕の話を、聞いてる。

僕は、彼らの耳を、痛い程、意識してる。
彼らが聞いてる事を、意識して、僕は、「届けに来ないでいいです、郵送して下さい」と、言う。

電話を切ると、里親は、僕を窘める。

「お母さんを、うちに、お招きすれば良かったのに」とか、「ついでに会えば、いいじゃないか」と、言う。

しかし、彼らの、楽し気に輝く目や、笑いを堪える口端や、微妙な口調が、建て前を、裏切ってた。

彼らは、表面上、僕の親を庇い、僕と親の不和を嘆いたが、その仮面の下で、笑ってた。

僕は、大人になる迄、里親に虐待された、認識が、あまり無かった。
虐待された、認識を、持たずに、成長した。

虐待された、記憶の、多くを、忘れてた。
覚えてても、歪んだフィルタ越しに、覚えてた。

僕は、解離性障害が、ある。
この障害で、一番困るのは、記憶の欠落が、仕事や、社会生活に、支障を来す事だ。

小学校高学年頃から、兆候は、あった。

目覚めると、記憶が、全部、消えてた。
自分は何者で、今は何時で、ここは何処で、何故、ここに居るのか、全然、分からなかった。

ここは何処?私は誰?状態だった。

自分の年齢も分からず、見た事もない家の、見た事もない部屋で、見た事もない人に、起こされる状態が、どれ程、怖いか、想像して欲しい。

僕は、混乱して、怖くて、固まったまま、動けなかった。

暫く、じっとしてると、自分は何者で、ここは里親の家で、この人は里親で、僕は何故、ここに居るのか、思い出した。

記憶が戻り、状況が理解出来ると、安心して、動き出した。

そんな経験が、何度も、あった。

里親の家を、出てからは、記憶が真っ白になる事は、無くなったが、気が付いたら、意識が飛ぶ直前に、居た場所と、違う場所に居て、何故そこに居るのか、分からなかったり、酷く出血してて、驚いて、病院に駆け込んだり、した。

解離性障害の所為で、僕の人生は、かなり混乱した物に、なってしまった。

児童虐待の、後遺症が、全て出揃うのは、大人になってからと、言われるが、児童虐待を耐える為に、無自覚に身に付けた、フィルタや、考え方や、精神活動のパタンや、自意識の歪みは、病的な破壊力で、大人になってから、自分を、攻撃し始める。

親に捨てられた子が、保護された里親の家で、手酷い裏切りを、受け続ける事は、子供にとって、どれ程、絶望的な状況、だったか。

傷が、癒える間もなく、傷口を抉られ、高濃度の硫酸を、流し込まれる様な物だ。

解離は、強力な麻酔、だったと、思う。

里親の家と言う、逃げ場のない密室で、長期間、数え切れない程、繰り返された、虐待の、耐え難い苦痛から、僕を守ったんだと、思う。

麻酔は、治療薬では、なかった。
一時的に、痛みを、痛みと感じなくするだけで、受けたダメージを、軽くする物では、なかった。

傷の痛みと、向き合うのを、先送り、しただけだった。

長い間、先送りしたツケは、貯まりに貯まり、里親の家を出て、一人で生き始めた僕を、巨大な落石のように、襲った。

軽度の解離は、誰でも、なるらしい。
交通事故の、被害者が、事故の瞬間を、覚えてないのは、典型的な、解離の一種、らしい。

但し、長期間、記憶の欠落が継続したり、身の安全を脅かしたり、社会生活に支障が出る程の、深刻な解離症状が、出るのは、治療が必要な障害だ。

解離性障害は、自分が傷付いた事を、意識しない為に、自分の中で、麻酔を、出し続けて、自家中毒になった状態だと、思う。

そこに傷がある事を、認識しなければ、その状態から、抜け出せない。

僕は、過去に蓋して、無かった事に、しようと、してた。
問題を、避けて通って、里親の「さ」の字からも、逃げてた。

自分が、何かおかしいのは、気付いてたが、特殊な事じゃない、誰でもある事だろうと、自分を騙して、生きてた。

学生の頃は、何とか、誤魔化せても、社会人になると、言い逃れ出来ない、誤魔化せない場面が、出て来る。

僕は、このままじゃ破滅すると、尻に火が付いて、ずっと、逃げ続けて来た事と、向き合わざる得ない、状況に、追い込まれたが、里親が、僕にした事と、向き合うのは、死にたくなる程、辛い事、だった。

性的虐待

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僕は、幼少の頃から、里父と、不適切な関係を持ってたが、性的虐待とゆう表現は、実は、あまりピンと来ない。

里父は、僕を、殴ったりして、言う事を聞かせた事は、無かった。
酷く屈辱的な事だが、僕は、彼に、協力的だった。

これまた屈辱的な事だが、僕は、彼に、お小遣いを、貰ってた。
小さな頃は、貰ってなかったと思うが、少なくとも、中学時代は、お金を貰ってた。
多分、口止め料だろう。

僕は、過食嘔吐してたから、お小遣いは、幾らあっても、足りなかった。
貰った金は、ほとんど、食べ物に、消えた。

自分でも、何してたんだろうと、思う。
当時、自分の頭の中に、何があったか、分からない。

今は、酷く屈辱的で、記憶を削除したいと、本気で、思う。
激しい屈辱感と、怒りに駆られて、馬鹿な事を、しそうになる時が、ある。

僕は、里父に誘われると、嫌々じゃなく、サービスした。
お小遣いを貰えるから、だけじゃない。

息が詰まりそうな家で、味方を失うのが、怖かった。
彼に、嫌われたくない、好かれたい気持ちも、あった。

僕は、絶対に、同性愛者じゃない。
かっこつけて言ってるんじゃなく、揺るぎない確信が、ある。

酷く醜悪で、屈辱的で、反吐が出るような、里父との、不適切な関係に、あの頃の僕は、不快感だけじゃなく、場違いな感情を、抱いてた。

彼は、生理的欲求の処理に、僕を使っただけ、だった。
衣食住を、彼に依存し、口が堅く、従順で、面倒のない、便利なオナホールが、たまたま目の前にあった、それだけだった。

僕は、馬鹿だった。
彼の言葉を、信じようとした。

便所扱いされてるのに、縋るような思いで、サービスした。

変な薬を飲まされ、殴られ、力尽くで、レイプされる方が、まだマシだったと、思う。

時が戻るなら、あの頃の自分を、殺してやりたい。
あの家に関連する、記憶を、全部、消したい。

里母

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僕は、子供の頃、里親を、妖怪か、モンスターの類だと思ってた。
比喩じゃなく、本気で思ってた。

多分、テレビか絵本で見た、昔話の、鬼に攫われた人間の子供の話が、僕の中でリンクして、イメージが定着したんだと、思う。

あの不気味な中年女は、得体が知れなかった。
里親の家を出て、縁が切れた今でも、不気味な女だと、思う。

僕は、里母の事は、良く知らない。
彼女の生い立ちは謎で、親族も知らない。

里父の事も、良く知らないが、彼の親族は、知ってる。
彼の生家に、連れて行かれて、親兄弟と、会った。

里母は、一切、家族の話を、しなかった。
親戚付き合いも、無かった。

僕は、血縁上の父親は、日本人じゃなかった。
勘が良い人は、僕の見た目と、本籍地で、大体の事情は、察するだろう。

ここからは、僕の想像だが、多分、彼女の出自は、僕と似たり寄ったりの、ワケありなんじゃないかと、思う。

僕は、出自について、人の事を言える立場じゃないが、彼女の出自を仮定すると、不可解な事の辻褄が、合う。

上手く説明出来ないが、彼女は、普通じゃなかった。
彼女の行動は、一貫性がなく、辻褄が、合わなかった。

猫可愛がりと、冷酷な意地悪が、同居してた。
僕を散々虐めながら、気色悪い猫撫で声で、僕の機嫌を、取ろうとした。

彼女自身の生い立ちに纏わる未消化な怒りとか、嫉妬とか、同族嫌悪とか、どろどろしい負の気持ちが、絶対あった。と思う。

その時々の気分で、僕に接した。

機嫌が良い時は、僕が好きなおやつを作って、食べさせてくれたり、買い物に行って、欲しい玩具やお菓子を、買ってくれたり、した。

機嫌が良い時は、どんなに良くしてくれても、機嫌が悪い時は、ぞっとするような、意地悪ゲームを仕掛けたり、膝から突き落としたり、生足にアイロンを押しつける大人に、心を開く子供は、いない。

僕は、里親に預けられた初期の頃、この女に心を許してはならない、この女は僕に危害を加える危険人物である、猫撫で声に騙されてはいけない、この女を絶対に信用してはならないと、強烈なメッセージを受け取り、僕は、とても幼かったが、子供心に、本能が発する警告に、従ったのだと、思う。

幼かった僕が、里親に懐かなかった事を、僕の所為にされても、困る。

ナイフを抜くと、傷口から、血が出た。
痛みは、感じなかった。

里母は、間抜け面で、固まってた。

「お父さんに話せばいいじゃん」

僕は、言った。
彼女の間抜け面が、痛快だった。

「お父さんに電話しないの?」

彼女は、突っ立って、無反応だった。
僕は、居間に、向かった。

血がだらだら流れたが、気にならなかった。
彼女のケータイを取って、突き付けた。

「ほら、お父さんに電話しろよ」

彼女は、泣き出した。

僕は、勝ったような気分に、なった。
爽快な気分で、台所を出て、部屋に向かった。

傷は、痛くなかったが、思ったより深く切れて、かなり血が出てた。
タオルで押さえたら、すぐ血を吸って真っ赤に、なった。

死んでしまうかも知れないと、思ったが、恐怖は、無かった。
ぼんやりと、陶酔感に包まれて、死んでもいいと、思った。

自殺する気は、これっぽっちも、無かった。
ただ、流れる血を見ながら、漠然と、このまま死んでもいい、死んでしまっても構わないと、思った。

階段を上がる、足音が、聞こえた。
ドアが開いて、里母が、入って来た。

彼女は、「病院に行きましょう」と、言った。

僕は、「嫌だ」と、言った。

彼女は、ヒステリーになって、ギャーギャー喚いた。
僕は、意識を離して、聞き流した。

少しぼんやりしてたが、僕は、冷静だった。
彼女が、取り乱して、喚く姿を、小気味良い思いで、見てた。

彼女は、僕を、揺さぶった。

「私にどうして欲しいの?」と、喚いてた。

僕は、「大声を出さないで欲しい」と、答えた。

「分かった」彼女は、声を落とした。「大声を出さないから、一緒に病院に行って」

「嫌だ」

「どうして?」

「行きたくないから」

彼女は、諦めて、出て行った。

暫くして、救急車が、来た。
救急隊員に、「痛くない、歩ける」と、言ったが、担架みたいな物に、寝かされて、運ばれた。

家の前に、消防車が、止まってた。
何故、消防車がいるのか、聞いたが、無視された。

救急車の中で、里母は、僕が、自分でやったと、説明した。
僕は、救急隊員の前でも、医者の前でも、自分でやったと、言った。