「5. しぃの場合」カテゴリーのアーカイブ

尊い人

sii2009 による 5. しぃの場合 への投稿 (5. しぃの場合)

悲しみを背負った子供がいる。

優しく、慈愛に溢れ、寛い心を持つと自負する人々は、子供の悲しみに胸を痛め、あたたかい手を差し伸べる。
尊い自己犠牲の精神で。

彼らに育てられた子供は、どんな夢を見るのだろう。

http://blogs.yahoo.co.jp/futoukou_mama/18771779.html




僕は普通の(普通の範囲は幅広いが)サラリーマン家庭に生まれた。
母は進行性の障害があった。
神経が侵され、いずれ寝たきりになる病気だ。

母の病気が発覚したのは、妊娠中だった。
発覚する数年前から、急に手足が痺れたり、何もない所で躓いて転んだり、入浴中に倒れたりしたが、医者も母の体を蝕む病の正体に気付かなかった。
正式な病名が付いた時、医者は中絶を勧めた。
母は命を賭けて僕を産む決意をした。

母は、手足が麻痺する、体温調節が出来なくなり意識を失う等、一過性の症状の再発を繰り返した。
並行して慢性的に体が動かなくなり、家事や育児がままならなくなった。

母と僕は、母の実家に身を寄せた。
祖母は優しく、嫌な顔一つせず母と僕の世話をしてくれた。
母に障害があっても、僕は幸せだった。
幸せな日々が、いつまでも続くと思っていた。

小3の時、祖母が硬膜下血腫で入院した。
祖父は典型的な企業戦士で、家事や育児は祖母任せだった。
仕事をしながら二人の病人を介護して、わんぱく盛りの子供を育てるのは困難だった。
僕は数週間、父や親戚の家に預けられた後、里親宅に委託された。

里親宅での暮らしは、悲惨だった。
6畳間に4人の里子が押し込まれ、満足に食べさせて貰えず、常に暴力と暴言に晒された。

里子同士の苛めも陰湿だった。
里親は、里子同士を相互監視させる事で、里子同士で友情を育むのを阻止し、互いに敵視するよう仕向けた。
里子間の「自治」を利用し、里子達の管理を容易にした。
虐げられる者同士が虐げ合う、異常な世界が、そこにあった。

里親の家は、生き地獄だった。
何度も死にたいと思った。
僕は何の為に生まれて来たのだろうと思った。

—-育てられないなら産むな!
—-「命を賭けて産む」なんて自己満足だ!

僕は密かに、母を責めた。
いずれ育てられなくなると充分予期できたはずなのに、僕を産んだ母を恨んだ。
親に育てられない子が舐めさせられる辛酸を知ってたら、軽い気持ちで「命を賭けて産む」なんて言えないはずだと憤った。

僕は生きる価値がないと思ってた。
生きる価値がないのに、親のエゴで生まれさせられたゴミ屑、何かの間違いでこの世に湧いて出てきたゴキブリ(叩き潰されて当然、死んでも誰も気に留めない命)だと思ってた。

でも、今は違う。

今は心から生きてて良かったと思える。
母に「生んでくれてありがとう、僕は幸せだ」と言える(恥ずかしいから口に出して言わないが、いつも胸の中で言ってるので嘘ではない)
里親の家が、如何に人を捻じ曲げる異常な場所であったか。あそこにいた頃の僕は如何に歪み、如何に心が荒んでいたか、今なら分かる。

今、僕は、福祉資源に支えられて、母と暮らしている。
母との暮らしを可能にしてくれた福祉資源と、福祉の現場で働く人々への感謝の気持ちとは別に、公的サポートだけでは、必要最低限のケアも受けられないシステムへの不満は募る。
独身者が働きながら自宅で障害者と生活を共にするには、自治体の有償ボランティアや見守りサービスを最大限に利用してもままならず、毎月かなりの自己負担金(幸い遺産があるので支払えるが、僕の収入では賄え切れない金額だ)が出る現状がある。

福祉政策の貧困さは、障害者福祉だけでなく、児童福祉の分野にも当て嵌まる。

日本では児童福祉の話になると、「被保護児童をどうするか?」という問題ばかりにスポットが当たる。
しかし、よく考えて欲しいのだ。
「被保護児童をどうするか?」の前に、「どうすれば被保護児童を減らせるか?」に、スポットを当てて欲しい。

親が病気や障害を抱える子、片親家庭の子、貧しい家庭の子、親の就業の為に必要な世話を受けられない子、虐待する親の子、親が「育てにくい」と感じる障害を抱える子、未婚の母の子・・・・

子供を家庭に留め置く為の、きめ細やかなサポートがあれば、被保護児童にならずに済んだ児童はたくさんいる。

親が病気や障害を抱えていても、適切なサポートがあれば(例えば、介護ヘルパーさんのような公的な「育児ヘルパー制度」があれば)その子供は家庭の中で育てられたかも知れない。

シングルマザーが安心して子育て出来るシステムがあれば、捨てられる子供は減るかも知れない。

子供を虐待する親に対しても、適切なサポートがあれば、親子を引き離さなければならない程、深刻な虐待に走らずに済む親がいるかも知れない。

被保護児童は障害を抱える割合が高いと言われるが、親が「育てにくい」と感じる障害を抱える子供なら尚更だ。適切なサポートがあれば、かなりの確率で、親が養育を放棄したり虐待に走るのを防止できるだろう。

今の日本では、適切なサポートがあれば被保護児童とならずに済んだ子が、福祉政策のお粗末さの為、親から引き離され、里親宅や施設に措置されているのだ。

里親を増やすのも結構。里親への支援金を増額するのも結構。
しかし、子供の幸福を第一に考えるなら、優先順位を間違えないで欲しい。
子供を里親や施設に預けるのは「最終手段」であるという認識と前提の下で、子供が家庭にいられるよう万策を尽くして欲しい。
里親を増やす前に、里親に預けられる子供を減らす事を、何よりも優先して真剣に取り組んで欲しい。
里親に支払う手当を増額する前に、その予算を、被保護児童を生み出さない(子供を本当の家庭に留め置く)為の福祉資源の拡充に注いで欲しい。

そして、どれだけ手を尽くしても親が家庭で育てられない子供には、その子の幸福を最優先にして欲しい。里親を増やす前に、悪質な里親を一人残らず「完全に」根絶やしにする「完璧な」システムを確立して欲しい。子供の幸福が100%保障されるシステム(「完全」で「完璧」なシステム)が機能するまでは、子供を里親に預けないで欲しい。

虐げられた子供は、世の中を恨み、自己の内に憎悪を育む。
幸福な子供は、周囲の人への感謝と愛情を育む。
憎悪と絶望に育まれて成長する子供が一人もいない社会になって欲しい。
すべての子供が「お母さん、生んでくれてありがとう、僕は幸せです」と言える世の中になって欲しい。

以上、選挙を目前にして、僕が思った事である。