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里親の女が里子の女児を虐待 6カ月の重傷負わせた容疑で逮捕
2009.10.14 22:14

 里子として預かっていた女児(5)を暴行し、6カ月の重傷を負わせたとして、大阪府警捜査1課などは14日、傷害容疑で、大阪市西区南堀江の主婦で里親だった吉村陽子容疑者(35)を逮捕した。女児は下腹部を傷つけられ、直腸が裂ける傷があったほか、ほぼ全身に殴られたような跡があり、暴行後半年以上たった現在も入院治療を受けている。府警によると吉村容疑者は「頑張って養育してきたが、夫になついて私には反抗的な態度をとるのでついかっとなった」と容疑を認めている。
 逮捕容疑は、今年3~5月、女児に数回にわたって暴行を加え、6カ月の重傷を負わせたとしている。府警によると、女児は頭部や背中などほぼ全身にあざがあり、日常的に虐待を受けていた可能性が高い。
 捜査関係者によると、吉村容疑者は今年5月27日、女児が出血したため病院に搬送。虐待の可能性があると判断した病院から連絡を受けた実母(26)が府警に通報した。吉村容疑者は当初、「私の不注意でけがをさせた」と説明していたという。
 捜査関係者は、吉村容疑者は、自宅で女児と2人きりになった際に暴行していたとみている。女児は精神的に大きなショックを受けており、「吉村容疑者にたたかれた」と話しているが、詳しいことは説明したがらないという。
 関係者によると、女児の実父母は昨年に離婚。引き取った実父が病気になるなどして養育が困難になっていた。吉村容疑者は、さまざまな事情により家庭で養育できない子供を一定期間育てる「養育里親」として市中央児童相談所から委託を受け、昨年5月下旬から夫(40)とともに女児を預かっていた。

 同相談所によると、吉村容疑者は「ネットなどで里親制度を知り、預かった子供とともに成長できるのではないか」として里親登録を申請してきたという。相談所では、児童福祉司の職員を家庭訪問させ、志望動機や収入や人格、経歴などを調査し、住環境も養育にふさわしいかどうかもチェックしたうえで、平成20年2月に養育里親として登録した。
 記者会見した上野厚雄児童相談担当課長は「このような事件がおきていたたまれない気持ち。担当者は、吉村容疑者の人柄がまじめで熱心だったと受け止めていたので、こういうことが起きるとは予想もしていなかった」と話している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091014/crm0910142215034-n1.htm

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私はB里親の正確な年齢と生年月日を知りません。
彼らを「お父さん」「お母さん」と呼んでいましたが、
「おじいさん」「おばあさん」の呼ぶのが相応しい老夫婦でした。
若く見積もっても、60代後半以上だったと思います。

高齢者世帯だからでしょうか、彼らの家にはお灸がありました。
一般的に「お灸を据える」という言葉は、
「罰を与える」という意味の暗喩として用いられますが、
その例に漏れず、体罰の手段として、お灸が活躍していたのです。

私が子供だった当時は既に、お灸のある家庭は少数派で、
仮に治療的手段としてお灸を使用する場合は、
「せんねん灸」等に代表される間接灸が主流になっていたと思います。
もぐさと火を使用する本格的なお灸は、極めて珍しかったと思います。

私が大人になって、ふと気付いた事ですが、
里親達が治療的目的の為に、
自分達にお灸を据えていた記憶はありません。
彼らは、私を罰する為に、もぐさを購入していたのでしょうか?

ほとんどの場合、私は罰を受ける理由を覚えていません。
数少ない覚えている理由は、里親の命令を聞き逃して返事をしなかった事と、
空腹に耐え切れず、残飯を盗み食いしている現場を見つかった事です。

お灸を据えられるのは、脚の付け根や、背中や、臀部でした。
もぐさがぶすぶす燃えて、皮膚を直に焼きました。
まるで、その部分の皮膚をペンチで摘まれ、捩じ剥かれるような激痛でした。
お灸をしている間、激しい痛みがずっと継続し、
泣いて謝っても、許して貰えませんでした。

泣き声を上げたり、抵抗すると、「もっとやるぞ」と脅され、
布団や枕に顔を埋められ、頭部を強く押し付けられました。
私は少しでも早く終わらせたい一心で、
出来るだけ声を殺して、啜り泣き、じっと耐えていました。

お灸が終わった後の皮膚は、丸く疼く火傷になりました。
その傷が癒える迄、何日間も、きりきりとする鋭痛が続きました。
お灸を据えられた部分は、てらてらとする傷痕となって、今でも残っています。

里子の尻噛んだ罪、小学教諭起訴 虐待相談増加の一途

 育てていた里子にけがを負わせたとして、宮崎地検は14日、宮崎市青島西2丁目、小学校教諭安波圭容疑者(38)を傷害罪で宮崎地裁に起訴した。安波被告は「日頃から子供の態度にいらだっていた」などと起訴事実を認めているという。地検は継続的な虐待があったとみている。

 起訴状によると、安波容疑者は4月1日ごろ、自宅で寝ていた里子の男児(6)の尻に2回かみついて約1カ月のけがを負わせ、同26日には移動中の車内で男児の太ももを指でつかんだりつねったりして約1週間のけがを負わせたとされる。

 地検によると、男児は昨年8月から里子として養育されていたが、継続的な暴行を少なくとも今春から受けていたという。地検は、里親(母親)としての心理的な圧力や仕事のストレスなどから、安波被告のしつけがエスカレートしていったとみている。

    ◇

 里子として迎えられた教員の家庭で起きた悲劇。県内でも子供が犠牲になる虐待事件は後を絶たない。

 県こども家庭課によると、県内の昨年度の虐待に関する相談件数は287件。07年度の195件、06年度の220件と比べて増加。逮捕に至った重大事案は今年5件(8月末現在)で、昨年1年間の4件をすでに超えている。

 県警少年課の黒木寛史理事官は「虐待は親の立場では、しつけの一環。線引きが難しく、家庭内なので表面化もしにくい」と指摘。今回の事件は児童相談所(児相)からの通報がきっかけで、「子供や赤ちゃんは被害をうまく表現できない。学校や医療機関、児相などが協力し合い、小さなケースから対応していくことが重要だ」と話した。

 児相関係者によると、男児は県警への通報後に児相に一時保護され、現在は児童養護施設で暮らしている。一時保護された段階では無表情で落ち込んでいたが、職員が「お母さんのところに帰らなくてもいいんだよ」と声をかけると、笑顔を取り戻したという。(平塚学)

http://www.asahi.com/national/update/0914/SEB200909140007.html

私は学校で仲間外れにされ、孤立していましたが、
それでも学校は好きでした。

学校は、里親の家より安心して過ごせる場所でした。
孤立している事は、あまり苦になりませんでした。
同級生の意地悪な目線に晒され、悪口を言われるより、
一人で好きな事をして過ごす方が、気楽でした。

休み時間は、植物や動物を観察したり、本を読んだり、
ピアノやオルガンを弾いて過ごしていました。
同級生に鼻白まれ、親しい友達はいませんでしたが、
私なりに、学校生活を楽しんでいました。

夏休みは、憂鬱でした。
里親は、私が中耳炎を患っていると虚偽の説明をして、
学校のプールに行かせてくれませんでした。
地域のお祭りや花火大会にも、行かせてくれませんでした。

一日中、掃除と草むしりをさせられていた気がします。

炎天下、何時間も庭に出され、雑草を一本残らず抜いても、
里親の許しが出るまで、家に入るのを許されませんでした。

家中をピカピカに磨き上げ、塵一つ手垢一つ残っていなくても、
里親の許可なく掃除の手を休める事は、許されませんでした。
私は何も考えず、雑巾で床を擦り、窓を拭きながら、
時が過ぎるのを、ただ待つしかありませんでした。

殴る、蹴る、壁にぶつける等の折檻は、日常的に行われました。
私の身体から、腫脹や皮下出血がなくなる事は、ありませんでした。

背中や臀部、太股に、お灸を据えられた事もありました。
その時に出来た熱傷の痕が、今でも白っぽく残っています。

食事は、1日1回か2回でした。
お腹いっぱい食べられる事は、ほとんどありませんでした。
幸か不幸か、食後の後片付けは私の仕事でしたので、
里親の目を盗んで残飯を漁り、飢えを凌いでいました。

里親から虐待を受けている事を、学校の先生に打ち明けるなんて、
当時の私には、思いもよらない事でした。

虐待が、長期間に渡って日常的に繰り返されると、
子供は自分を責め、罪悪感、無力感、諦めを学習します。
虐待を受けている自分を恥ずかしく思い、
その事実をひた隠そうとします。

私は被害者でありながら、加害者の「共謀者」になって、
虐待の隠匿に協力する役割を担っていました。

里親に折檻されて、顔や腕等の外から見える部分を負傷しても、
学校の先生に怪我をした理由を尋ねられると、
転んだ、ぶつけた、物が落ちてきた等、
無難に思える返事をしていました。

そのうち、ただ「転んだ」「ぶつけた」と答えるだけでなく、
「お母さんに何度もやめなさいって言われたのに、
廊下で滑って遊んでたら、転んで縁側から落ちた」等、
尾鰭背鰭を付けて、もっともらしい説明をする知恵が付き、
その場しのぎの嘘、言い訳を重ねるようになりました。

夏休みの前、N先生がまたB宅を訪れました。

私は階段の上に立って、聞き耳を立てていました。
先生が帰った後、里親に何をされるか考えて、
不安でいっぱいでした。

先生を見送り、家に入ると、里親は私を折檻しました。
平手で張り倒され、殴られ、蹴られ、壁にぶつけられました。
その晩は食事を抜かれ、深夜まで正座させられました。
正座から解放されるのは、家事をする時だけでした。

翌日は1学期の最後の日でした。
学校が終わって家に帰ると、里親は言いました。

「あんたの昼ご飯はないよ」
「あんたに食べさせる物は何もない」

前の晩から何も食べていなかったので、
お腹が空いて、体に力が入りませんでした。
里親がテレビを見ながらラーメンを啜る物音を、
廊下に正座をして、じっと聞いていました。

里親の食事が終わると、後片付けを言い付けられました。

私は食器を台所に下げると、里親の目を盗んで、
残ったスープを啜り、丼の底に沈んだカスを食べました。

それから里親は、家事を片付ける私の手が遅い、手を抜いた等、
言い掛かりを付けては、私に体罰を加えました。
些細な事で、痣になるほど殴られ、蹴られました。
うずくまる背中や頭部を、縄跳びで打たれました。
縄跳びで打たれると、痛くて声も出ませんでした。
私は何度も謝りましたが、許してくれませんでした。

明日から夏休みなので、里親は手加減をしませんでした。

「“あの女”に告げ口できなくて残念だねえ」
「この恩知らずのガキを、どう懲らしめてやろうか」

私を折檻しながら、里親は笑っていました。

里親が、N先生の訪問にまだ腹を立てている事、
私が先生に告げ口をしていると疑って、許していない事を悟りましたが、
どうする事も出来ませんでした。

爪と肉の間を目打ちで刺される事は、
それまでの短い人生経験の中で、最も酷い肉体的苦痛でした。

私は泣き声を出さないよう気を付けて、すすり泣きながら、
里親に何度も謝りましたが、許して貰えませんでした。
両方の足の親指に、同じ事をされました。

洗面所の床に、血液が落ちていました。
里親は、雑巾で拭き取るよう言い付けました。

足の親指の傷から出血していたので、
雑巾で拭き取る側から、床に血液が付着しました。
里親は、私に汚い雑巾を投げ付けて、
床が汚れる、傷口を押さえてろと言いました。

その後、台所の入口の前の廊下に、正座させられました。
季節は5月か6月だったと、記憶しています。
お風呂上がりでしたので、私は一糸纏わぬ姿でした。
髪の毛から冷えた水が滴り、背中や肩に流れました。

正座をしている所為で、脚は痺れても、
目打ちで傷つけられた患部は熱をもち、ズキズキ疼いていました。
里親は、夕食の支度で台所にいたので、
脚を崩したり姿勢を変えるのは、不可能でした。

里親は、私を放っておいてくれませんでした。
思い出したように私の前に立っては、罵声を浴びせ、
小突く、蹴飛ばす、太腿を踏み付ける等、罰を加えました。

夜になり、男里親が帰って来ました。
私が全裸で廊下に正座している事に気付いても、
嫌な物を見るような目で、チラリと見ただけでした。

里親達の食事が終わり、後片付けを言い付けられました。
正座から解放される安堵から、喜んで従いました。

後片付けが終わると、また同じ場所に正座させられました。
テレビの音や、里親達の会話が、くぐもって聞こえて来ました。

里親が、食べ物や飲み物を取りに台所に入って来ると、
私は緊張し、姿勢を正しました。
そんな私を見て、何もしないで去って行く事もあれば、
嘲笑ったり小突いたり蹴飛ばして行く事もありました。

やがて、照明が消され、家の中が暗くなりました。
里親達が寝室に入ったのは、気配で判りました。

私は足の痛みの他に、空腹と寒気に襲われていました。
寒さで震えが止まりませんでした。

いつの間にか、居眠りしていました。
怒鳴り声で、目を覚ましました。
目の前に里親が立っていました。

「部屋に戻れ」

私は痛む足を引き摺って、部屋に戻りました。
深夜0時を過ぎていました。

その週は、学校が終わってから夜中まで、正座させられました。
正座から解放されるのは、家事をする時だけでした。

しかし、私が堪えたのは、正座をさせられる事ではありませんでした。
食事を抜かれる事が、最も耐え難い罰でした。
週明けまで、一切食べ物を貰えませんでした。

学校給食が命綱でした。

先生が帰ると、里親は私を折檻しました。
私が先生に告げ口をしていると思っていたようです。

靴を脱いで、上り框に上がると、突然背中を蹴られ、転倒しました。
里親は私の髪の毛を掴み、廊下の奥に引き摺って行きました。
「立て」と言われて立ち上がると、腹部を蹴られました。
その弾みで転倒し、階段の角に強く背中を打ち付けました。

私は起き上がれず、呻いていました。
里親は、私を何度も蹴飛ばし、踏み付けました。
その間、N先生を「あの女」と言い、汚い言葉で罵っていました。

やがて、気が済んだのか、
「風呂を入れて洗濯物を片付けろ」と言い捨て、去って行きました。

私は、暫く立ち上がれませんでした。
蹴られた所為で胃腸が踊り上がり、吐き気と苦痛が治まりませんでした。
打ったり蹴られた部分が、ずきずきしていました。

しかし、里親が戻って来て、また折檻される恐怖から、
苦痛を堪えて立ち上がりました。

浴室を掃除して、浴槽に湯を張り、洗濯物を取り込み、畳んで片付けました。
里親の怒りがまだ治まっていないのは、気配で判りました。

私は彼女を刺激しないよう、普段より慎重に行動しました。
足音を立てないよう、気を付けて歩き、
物音を立てないよう、静かに家事を片付けました。

終わりましたと報告すると、風呂に入れと言われました。
私の入浴は日曜と決まっており、今日は日曜ではありませんでした。
おかしいと思いましたが、里親を刺激したくなかったので、
何も言い返さず、大人しく入浴しました。

お風呂から上がって、バスタオルで体を拭いていると、里親が来ました。

「そこに座りなさい」

私は裸のまま、脱衣所の床に正座しました。
里親が、目打ちを持っている事に気付いて、
何をするつもりだろうと思って見ていました。

「足を出して」と言われ、片方の足を差し出しました。
里親は、私の足を掴みました。

「いいか、声を上げるんじゃないよ」
「大声を上げても、“あの女”は助けに来てくれないよ、
あんたがもっと痛い目に遭うだけだ」

里親は、足の親指の爪と皮膚の間を、目打ちの先で刺しました。
激しい痛みの為、私は反射的に足を逃がそうとしましたが、
里親は「大人しくしろ!」と怒鳴りました。

「大人しくしてれば、親指だけで勘弁してやる」
「暴れたら全部の指にやるよ」

里親は、爪の下に刺した目打ちを、少しずつ深くして行きました。
私はバスタオルを抱き抱え、顔を埋めて、激痛に耐えていました。

「うちが嫌なら出て行け、“あの女”に養って貰え」
「養って貰ってる分際で、うちのやり方に文句があるのか?」

私は泣きながら、
ごめんなさい、もう二度としません、許して下さいと謝りました。

謝罪しなければならない様な事は、何もしていませんでした。