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平成14年、宇都宮で、
里親が里子を虐待して死亡させた事件があったの。

私がこの事件を知ったのは、すべて終わったあとだったの。
里親団体が「被告の里親のために」募金活動をしてたことも同時に知って
キツネにつままれたような複雑な気持ちになったのは、よく覚えてるわ。

はじめは被害者の里子さん側が民事訴訟を起こし
その費用を募ってるのかと思ったの。
でもよく読むと募金活動で集めたのは「里親側の弁護士費用」とわかり
憤りをこえて、ひたすら唖然としたのはハッキリ記憶にあるわ。

最近ネット上でどこかの里親らしき人が
「里親がカンパを募ったのは里子側の弁護士費用だった」とか言ってるのを見て
またしてもキツネにつままれたような気持ちになったの。

これって刑事事件の裁判だから、里子側は「検察」でないの?
里子側の弁護士って、どういうこと?

でも次の瞬間、「べつの団体が里子側を支援してくれたのかも?」
「民事で里親を訴えて、その費用を募金で集めてくれたのかも?」って
ちょっと期待してしまった私がいたの。
里親連中には幾度となく煮え湯を飲まされてるのに、私も甘いわね。

さっそくググってみたら
里親団体の「宇都宮事件の裁判経費のカンパを募る」ページがヒットしたわ。

前に見たのと同じ団体のサイトであるのはまちがいないけど・・・
・・・こんな内容だったかしら?

以前に読んだ文章を正確に覚えてるワケではないけど
内容が書きかえられてないかしら?

その里親団体の「宇都宮事件」のページは、要点の定まらない、というか、
「わざと要点を左右して、読み手を惑わすような文章」が書いてあるの。
ざっと読んだだけでは何が言いたいのかサッパリわからなかったわ。

またまたキツネにつままれたような気持ちになったけど
気をとりなおしてよーく読むと、まあ、たしかに以前と「主張する内容」はおなじね。
要約すると、こういうことよ。

『里子を虐待して殺した里親に懲役4年の実刑判決が下されたけど
被告はその判決を不服として、控訴しました。
里子は問題児なので、里親は大変な苦労をしてます。
(以下、長々と「里子は問題児」節が炸裂。)
裁判所は、問題児を育てる里親の大変な苦労を理解して
もっと軽い判決、執行猶予つきの判決を出すべきです。
控訴審の裁判費用のカンパをお願いします。』

・・・・・・・。

亡くなった里子の遺族が民事訴訟を起こしたワケでもなければ
その弁護士費用をカンパで募ったワケでもないの。
里親団体が募ってたのは、里親側の控訴審の費用なの。

里親団体もセコイわね。
正直に「里親側に懲役4年の有罪判決が下されました。
被告はその判決に納得せずに控訴しました。
われわれも懲役4年は重すぎると思います。
今後のためにも、実刑判決の先例を残してはなりません。
執行猶予つきの判決が出るよう被告を支援します。
控訴審の弁護士費用をカンパしてください」と書けばいいのに。

その辺のところをハッキリ書かず
いつもの「里子は問題児だから、里親は大変な苦労してる」節でウヤムヤにして
裁判所が理解した上での判決でなかったら「里子も浮かばれない」と詭弁を駆使、
ヒトを煙にまくような文章を長々と展開するモンだから
なんのためにカンパを募ってるのか、あやうく見誤るところだったわ。

私的には「里子を虐待死させた殺人犯」に下された判決が「懲役4年」では
「里親という圧倒的強者」に「一方的に虐待されて殺された子ども」は
「浮かばれない」と思うの。
でも里親に言わせてみれば、罪が執行猶予レベルに軽くならないと
殺された里子が「浮かばれない」そうよ。

この文章を書いた里親に実子はいるのかしら?

幼い実子が「圧倒的強者」に一方的に殴り殺されて
その犯人に執行猶予つきの判決が下されたら
殺された子どもが「浮かばれる」と思うのかしら?

本気でそう思うような人が業界団体の役員として大手を振ってるとしたら
里親業界に自浄能力は期待できないわね。

里親制度の「里子に口なし」体質は今に始まったことでないし
里親の社会的評価とやらを守るのは勝手だけど
そのために「里親に殺された子ども」まで利用しないでほしいわ。
「圧倒的強者である里親」に幼い命をさんざん利用されて殺されて
死んだあとまで都合よく利用されて、この子ホントに浮かばれないじゃない。
私が泣いてもなにも変わらないけど、目から汁がでちゃったわ。

無力な子どもを虐待して殺してたった4年の懲役なんて
「子どもの命をなんだと思ってるの?」と裁判官に問い詰めたくなるくらい
里親側に下された判決は「軽い」と思うけど。

里親の十八番「里子は問題児だから、里親は大変な苦労をしてる」節が
裁判所にじゅうぶん「理解」された上での判決に思うけど。

それでも里親側は判決を不服として控訴したの。
里親側の価値観では「里子を殺した罪の重さ」は「懲役4年」よりも軽いらしいわ。
ずいぶん軽く見られたものね。

ちなみに私も里子時代、亡くなった里子さんと同じように
命の重さが「懲役4年より軽い」問題児といわれたわ。

里親に怯えてワガママいわず言いなりになり
夏は灼熱地獄の工場で働かされても文句ひとついわず
自分のことは自分でやり、里親の手を煩わせなくても
里親は私たち里子を「問題児」に仕立てあげてくれたの。

「反抗的」だの「言うことを聞かない」だの「お金を盗む」だの
「注意すると暴れる」だのと身に覚えのない問題行動を捏造され
里親はせっせと「里親は大変なんです」と言って歩いてたの。
里子のありもしない問題行動をデッチあげて
「里子は悪くありません。環境が(実親が・施設が)悪いんです」とかナントカ
いかにも里親が言いそうなことを言って得意になってたわ。

「里子を工場で危険労働に従事させてます。
学校が休みの日は朝から晩まで働かせてます。
仕事を怠けたらブン殴って食事をあたえません。
おかげでグチのひとつもいわず働いてくれます。
手の掛からない勤勉な良い子で助かってます」なんて
口が裂けても言わなかったわ。

里親が里子を「問題児」にしたがるのは
虐待が発覚したときに備えての「保険」なのね。
そうしておけば里子を殴り殺しても執行猶予つきの判決でけりがつくし
里親団体が弁護士費用もカンパで出してくれるしね。

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本当の事を書くと、僕は、中学を卒業して、自立するまで、空白の期間が、ある。

住所不定、無職だった、期間だ。

高校は、行きたかったけど、僕の成績で、行ける高校は、少なく、公立は、絶望的だった。

僕は、成績は悲惨、だった。

私立なら、行けたかも知れないけど、母が、学費を払えないのは、分かってたし、里親は、私立に行って良いと、言ったが、建て前なのは、分かってた。

里親の家で、僕は居場所を、失ってた。

里父と、不適切な関係は、中2の後半で、終わってた。

関係が無くなると、里父は、僕に、無関心になり、冷淡になった。

僕は、彼と、不適切な関係があった事を、すっかり忘れてて、それ以外の、多くの事を忘れてたから、里父のイメージは、この頃の、冷淡なイメージだけ、だった。

僕は、不必要な、存在だった。
里親達が、早く出て行けと思ってるのは、痛い程、分かってた。

針の筵に、住んでるみたい、だった。
毎日、息が詰まりそうだった。

ダメモトで、公立校を受験して、落ちた。

里子は、高校に進学しないと、中学卒業と同時に、里親の家を、出て行かなくては、ならない。

親元に帰る、とゆう事になったが、僕が帰れる、場所は、無かった。

その時、母は、子供が居るのを、隠して働いて、職場の寮に、住んでた。

僕を、引き取るのは、無理だった。

母は、困り果てて、母の実家に行くよう、言った。

僕は、母の親戚に、憎まれてた。

母は、親戚は、本当は悪い人達じゃないから、三ヶ月だけ我慢しなさい、バイトでも良いから、仕事を探しなさいと、言った。

僕は、母の実家に行き、冷たく迎えられた。

事前に話が行ってて、彼らは、僕が来るのは、知ってたが、酷く困惑してた。

迷惑そうな態度を、隠さなかった。

「いつまで、居るんだ?」叔父は、言った。

僕は、答えられなかった。

母は、三ヶ月我慢すれば、何とかすると言ったが、僕は、期待して無かった。

「あと1年、待ってて」
「○年生になったら、一緒に暮らそう」

僕が、里親の家に居る時、母は言ったが、それらの言葉が、叶えられた事は、一度も無かったから。

次第に、僕は、約束を守らない母に、怒りを募らせた。
期待させて、裏切る母を、憎むようになった。

里親達の、嘲りや冷笑が、母への負の感情を、助長した。

母の実家は、針の筵、だった。

里親の家と、同じだった。

針の筵の上で、僕は、自分の境遇の惨めさを、噛み締め、母への怒りを、育てた。

他に行き場が無かったから、その日は、母の実家に、一泊した。

翌日、僕は、母の実家を、出た。

何処に行くの?と聞かれたから、友達の家に泊めて貰うと、言ったが、本当は、家に泊まらせてくれる友達は、居なかった。

ただ、あの家に、居るのは、嫌だった。

里親の家でも、親戚の家でも、僕は、厄介者、だった。

僕が、あの冷遇に耐えれる程、神経が太くて、図々しかったら、進学を、断念しなかった。迷惑がられても、里親の家に居座って、奨学金とアルバイトで、学費を払って、高校に行った。

出て行く時、叔父が、お金をくれた。
15歳の僕には、大金だった。

僕は、あまり深く、考えなかった。
単純に、お金を貰えて、有り難いと思った。

後で、この一件を知った母が、激怒して、僕は、このお金の、意味を、知った。

私は里子として里親の家を転々と渡り歩いた経験があるの。
その経験から里親による里子虐待や不適切養育は
かなりの高確率で行われてると確信してるの。
里親の家における里子の扱いの実態調査が行われたことはないし、
仮に調査が行われたとしても里親たちは都合の悪いことは隠して
キレイゴトばかりならべたてるのは目に見えてるから、
里親の自己申告によるアンケートは信憑性がないし、
里親の家に隠しカメラでも仕込んで日常生活を監視しないかぎり
ほんとうの「実態」は永遠に闇の中でしょうけど。

里親制度の実態を知らない一般人の中には
里親推進派の垂れ流すプロパガンダにすっかり騙されて
里親家庭は「安全な場所」と思い込んでる人がいるみたいだけど、
当の里親たちや児童相談所のワーカーをはじめとする
「里親制度の実態に肉薄する人々」は
里親家庭こそ虐待・不適切養育の温床であると「知ってるハズ」なの。
虐待の現場を目撃したことはなくても薄々なにか感じてるハズよ。
ほんとうになにも知らない、なにも問題を感じてないと言い張るなら、
児童福祉の専門職として、もしくは里親としての資質を疑うわ。
もし彼らが「虐待・不適切養育」であるという認識を持たずに
里子を虐待したり不適切養育したり、それらを見逃してるとすれば、
子どもをアザになるほどブン殴って「しつけ」と言い張る虐待親と同じよ。
少しでもヒトらしい感情が残ってるなら、資質のない税金ドロボーは
今すぐ里親もしくはワーカー業を返上していただきたいわね。

里親推進派の垂れ流すプロパガンダのひとつに
「施設は虐待があるから、施設の養育は不適切だから、
保護児童は里親家庭に措置しろ」というモノがあるけど、
施設より里親家庭のほうが子どもが虐待されるリスクは高いと思うの。
実親家庭、一時保護所、児童養護施設、里親家庭のなかで、
里親家庭ほど危険な場所はないと思うわ。
施設における虐待はまれに表沙汰になってニュースになるけど、
虐待が発覚するきっかけのほとんどは施設職員による内部告発なの。
里親家庭は施設より密室性が高くて内部告発する職員がいないから
虐待の発見が困難で、なかなか表沙汰にならないだけなの。
虐待とまではいかない「不適切養育」についても、
里親家庭における不適切養育と施設における不適切養育を比べて
里親のソレのほうが施設よりマシとする論拠はあるのかしら?
「施設養育は不適切だから、里親家庭に」と主張するなら、
その主張の大前提となる「すべての里親家庭で里子が適切に養育されてる」
「里親家庭で不適切な養育を受けた子どもは、施設のそれと比べてダメージが軽い」
という仮説の正当性を裏付ける根拠を提示していただきたいわね。
100分の1くらいの確率で当たるかも知れない奇跡の里親家庭と
何十年も大昔の最底辺施設を比べて「里親家庭の利点」を並べ立てて、
里親制度の実態を知らない一般人を洗脳するヒマとエネルギーがあるなら、
そのヒマとエネルギーを今ある里子虐待を減らす方向に使えばいいのに。
そもそも、里親の家で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみと、
施設で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみを比較して、
どちらがマシかなんて不幸自慢すること自体がナンセンスきわまりないわね。

里親制度の実態を知らない一般人が里親家庭を神聖視する理由のひとつに、
「血の繋がった我が子でも思いどおりに育たなくて大変なのに、
他人の子を育てるのはさぞ大変なことだろう、
その苦労をすすんで引き受ける里親はマザー・テレサのような
立派な人格者にちがいない」という里親幻想があると思うの。
このような「里親幻想」を抱く人々は、もし自分が里親になったら、
里子に対して「我が子と同じように」愛情をそそぎ、実子と分け隔てなく育て、
実の親子のように一生涯にわたって里子と関係を持ち続ける前提で考えて、
「自分にはムリ」→「里親ってスゴイな」という結論に至ると思うの。
一般人の多くは里親に手当が支給されることも知らないし、
手当が支給されることを知ってたとしても、
人ひとりの人生を左右する「責任の重さ」を前にしたら、
どれだけ大金を積まれても割に合わないと思うのは当然だわ。
私だって自分にできないことを実践してる人物は素直に尊敬するもの。
でも残念ながら、私の知ってる里親たちは、
里親制度の実態を知らない一般人が考えるような「責任の重さ」とは無縁だったわ。
里親たちにとって、里子の人生は、すごく軽いの。
犬を飼うより軽いかも知れないわね。
死なない程度にエサを与えて、寝床と着る物をあてがって、
あとは気分で怒鳴ったり殴ったりしてればいいの。
彼らにとって里子というのは、その程度の生き物なの。
暴力と恐怖と食べ物を使えば、子どもを「ねじ曲げる」のは簡単なの。
だからこそ、マトモな一般人には「割に合わないこと」でも、
お金目当ての里親たちはじゅうぶん採算がとれてるの。

長々と書いてしまったけど、私が伝えたいことは表題にあるとおり、
実体のない「里親幻想」を捨てて、里親家庭を神聖視するのはやめて、
里親家庭にも虐待はあるという認識で里子たちを見守ってほしいってことなの。
虐待を発見したらどうするか、どうすれば当該児童を危険にさらさずに
里親家庭という危険な闇から救いだせるかはケース・バイ・ケースで
容易に答えを提示できるものではないけれど・・・

僕は、大人になる迄、本当の親を、許せなかった。

ある事情で、親を許す必要に迫られ、互いに体当たりで、距離を縮めたが、そうなる以前は、ビジネスライクな態度に、徹してた。

親権者の同意や、保証人が必要で、親に会う時は、冷淡な態度を、崩さなかった。

今思えば、親を「許す」と言う発想は、酷く傲慢で、不遜な考えだが、長い間、僕は、親を、許せず、棘を剥き出しに、してた。

僕は、怒りをぶつける方向を、間違えてた。
本来なら、里親に向ける怒りを、母親に、ぶつけてた。

母親なら、受け入れてくれると言う、甘えが、あった。

里親に、甘える気持ちは、無かったから、簡単に、切り捨てた。
自立出来る年齢に、なった時、迷わず、里親の家を出て、自立する道を、選んだ。
僕の人生から、容易に、締め出す事が、出来た。

僕は、精神的に、母に甘え、依存してた。
だからこそ、母を、許せなかった。

里子が成長し、進学や就職を迎えると、親と会う機会が、増える。

里子の立場の子供は、とても敏感な子が、多い。
高感度アンテナを装備して、里親の、口に出さない本音を、敏感に、感じ取る。

僕が、親に、否定的な態度を取ると、里親は、喜んだ。

里親の家は、二重基準で、動いてた。
目の前に、本音がぶら下ってるのに、見えない振りして、建て前の世界を、生きてた。

里親たちは、建て前の鎧で、一寸の隙もなく、武装してた。
建て前の世界の、言葉を使って、話をした。
それで居ながら、僕に対しては、彼らの本音の感情を、害さない言動を、要求した。

僕が、親に、否定的な態度を取ると、里親は、建て前で、僕を諭したり、窘めたり、する。
しかし、本心は、喜んでた。

例えば、親の書類が必要な時。
里親は、母に電話して、僕に、受話器を渡す。
彼らは、何気ない風を、装ってるが、耳をダンボにして、僕の話を、聞いてる。

僕は、彼らの耳を、痛い程、意識してる。
彼らが聞いてる事を、意識して、僕は、「届けに来ないでいいです、郵送して下さい」と、言う。

電話を切ると、里親は、僕を窘める。

「お母さんを、うちに、お招きすれば良かったのに」とか、「ついでに会えば、いいじゃないか」と、言う。

しかし、彼らの、楽し気に輝く目や、笑いを堪える口端や、微妙な口調が、建て前を、裏切ってた。

彼らは、表面上、僕の親を庇い、僕と親の不和を嘆いたが、その仮面の下で、笑ってた。

僕は、大人になる迄、里親に虐待された、認識が、あまり無かった。
虐待された、認識を、持たずに、成長した。

虐待された、記憶の、多くを、忘れてた。
覚えてても、歪んだフィルタ越しに、覚えてた。

僕は、解離性障害が、ある。
この障害で、一番困るのは、記憶の欠落が、仕事や、社会生活に、支障を来す事だ。

小学校高学年頃から、兆候は、あった。

目覚めると、記憶が、全部、消えてた。
自分は何者で、今は何時で、ここは何処で、何故、ここに居るのか、全然、分からなかった。

ここは何処?私は誰?状態だった。

自分の年齢も分からず、見た事もない家の、見た事もない部屋で、見た事もない人に、起こされる状態が、どれ程、怖いか、想像して欲しい。

僕は、混乱して、怖くて、固まったまま、動けなかった。

暫く、じっとしてると、自分は何者で、ここは里親の家で、この人は里親で、僕は何故、ここに居るのか、思い出した。

記憶が戻り、状況が理解出来ると、安心して、動き出した。

そんな経験が、何度も、あった。

里親の家を、出てからは、記憶が真っ白になる事は、無くなったが、気が付いたら、意識が飛ぶ直前に、居た場所と、違う場所に居て、何故そこに居るのか、分からなかったり、酷く出血してて、驚いて、病院に駆け込んだり、した。

解離性障害の所為で、僕の人生は、かなり混乱した物に、なってしまった。

児童虐待の、後遺症が、全て出揃うのは、大人になってからと、言われるが、児童虐待を耐える為に、無自覚に身に付けた、フィルタや、考え方や、精神活動のパタンや、自意識の歪みは、病的な破壊力で、大人になってから、自分を、攻撃し始める。

親に捨てられた子が、保護された里親の家で、手酷い裏切りを、受け続ける事は、子供にとって、どれ程、絶望的な状況、だったか。

傷が、癒える間もなく、傷口を抉られ、高濃度の硫酸を、流し込まれる様な物だ。

解離は、強力な麻酔、だったと、思う。

里親の家と言う、逃げ場のない密室で、長期間、数え切れない程、繰り返された、虐待の、耐え難い苦痛から、僕を守ったんだと、思う。

麻酔は、治療薬では、なかった。
一時的に、痛みを、痛みと感じなくするだけで、受けたダメージを、軽くする物では、なかった。

傷の痛みと、向き合うのを、先送り、しただけだった。

長い間、先送りしたツケは、貯まりに貯まり、里親の家を出て、一人で生き始めた僕を、巨大な落石のように、襲った。

軽度の解離は、誰でも、なるらしい。
交通事故の、被害者が、事故の瞬間を、覚えてないのは、典型的な、解離の一種、らしい。

但し、長期間、記憶の欠落が継続したり、身の安全を脅かしたり、社会生活に支障が出る程の、深刻な解離症状が、出るのは、治療が必要な障害だ。

解離性障害は、自分が傷付いた事を、意識しない為に、自分の中で、麻酔を、出し続けて、自家中毒になった状態だと、思う。

そこに傷がある事を、認識しなければ、その状態から、抜け出せない。

僕は、過去に蓋して、無かった事に、しようと、してた。
問題を、避けて通って、里親の「さ」の字からも、逃げてた。

自分が、何かおかしいのは、気付いてたが、特殊な事じゃない、誰でもある事だろうと、自分を騙して、生きてた。

学生の頃は、何とか、誤魔化せても、社会人になると、言い逃れ出来ない、誤魔化せない場面が、出て来る。

僕は、このままじゃ破滅すると、尻に火が付いて、ずっと、逃げ続けて来た事と、向き合わざる得ない、状況に、追い込まれたが、里親が、僕にした事と、向き合うのは、死にたくなる程、辛い事、だった。

この事件(詳細は下のリンク先の記事を読んでね)を知ったとき、
残虐非道な虐待を受けた少女のことを思って胸が痛くなると同時に、
氷山の一角ではあるけど、里親による里子への虐待が「発覚」して、
きちんと「事件」として扱われる時代がきたのね・・・と思ったの。
でもよく読むと「病院から連絡を受けた実母が府警に通報した」と書いてあって、
頭をぶん殴られたような気がして頭が真っ白になったの。

『里親の女が里子の女児を虐待 6カ月の重傷負わせた容疑で逮捕』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091014/crm0910142215034-n1.htm

もし、この少女に母親がいなかったら・・・
母親がいても、事件を知らされなかったら・・・

つまり、実母が警察に通報しなかったら表沙汰にならなかったの。
里親がこの少女に一体なにをしたのかわからないけど、
全身にアザ、陰部や直腸に裂傷を負って、病院に運び込まれてから
半年以上たった現在も入院治療を受けてるほどの重篤な被害を受けたのに、
実母が警察に通報しなかったら、この事件は「事件」にならず、
加害者の里親は善人ヅラを引っさげてのうのうとしてたの。

そして実母は「病院から連絡を受けて」この事件を知ったの。
病院側が実母の連絡先を知ってた、ということは、
すでに病院側は児童相談所とコンタクトをとってたことになるけど、
児童相談所は実母に知らせず、警察にも通報しなかったの。
病院が実母に連絡して、実母が警察に通報しなかったら、
里親は児童相談所とグルになってこの事件を隠匿するつもりでいたの。
病院が実母に連絡して、実母が通報して警察の捜査が入らなかったら、
この事件は「少女の不注意」とか「自慰中の事故」として片付けられてたの。

里親制度の実態を知らない人は、にわかに信じられないと思うけど、
里子が里親に暴行されて性器や肛門にダメージを被っても、
里親が「自慰中の事故」といえば、それで済んでしまうの。
それがたとえ就学前の幼児でも。
その子の周囲に、里親の嘘と演技を看破する洞察力と、
たとえ好戦的な里親に敵視されて訴えられたりトラブルに巻き込まれても
その子を救出しようとする強靭な意志の持ち主がいないかぎりは。
そして多くの場合、里子の周囲には、そこまで親身になってくれる人はいないの。

この事件でわかったことは、里親制度の「里子に口なし」体質は、
私が里親の家に措置されてた頃からなにひとつ変わってないということ。
この子を虐待から救出しようと動いたのは「病院」であり、
「児童相談所」でもなければ「里親団体」でもないの。
里親制度はいまだ国家による暗黙の「児童虐待公認制度」なの。

そして里親は、虐待が「運悪く」表沙汰になると、里子と児童相談所にせいにするの。
慣れ親しんだ土地を離れて、知らない環境でゼロから新生活をはじめるときは
オトナだって緊張するし相当なストレスを受けるものだけど、
それが幼い子どもだとしたら、不安やストレスは計り知れないものがあると思うの。
緊張状態を強いられると神経過敏になるし、夜も眠れなくなる。
眠れたとしても睡眠が浅く、些細なことで目が覚めるし、
慢性的に寝不足がつづくと不機嫌になってグズるかもしれない。
食だって細くなるし、逆に過食になったりもする。
その程度のことは、人並みの想像力さえあれば
児童心理の専門家でなくてもわかると思うの。
でも里親たちは、自分たちが子どもに安心感を与えられないことは高い棚にあげて
その子が「とくに性質の悪い子」であると針小棒大にわめきたてるの。
人の子の親になれば誰もが経験して乗り越える類の苦労でも
里親たちは「自分たちは極めて特殊な苦労をしてる」とアピールするの。
そしてレアケースながらも里子虐待が発覚すると、お約束のように
「児童相談所がきめ細やかにサポートしてくれないから」虐待したというの。
里親団体は「虐待発覚時の言い訳マニュアル」でも作って配ってるのかしら?
いつも決まって、判で押したように児童相談所のせいにするの。
なんでも「教師が悪い」と責任転嫁して学校に怒鳴りこむモンスペみたいに。

私は里子になりたくて里子になったワケでなく、里親を選べず、
里親の家に行かない自由も与えられなかった元里子の立場として、
里子を虐待するような人間を里親に認定した児童相談所はマヌケだと思うけど、
里親はいつでも好きなときに措置解除して里子を手放す自由が保証されてるし、
里親登録を辞めることもできるし、最初から里親にならない選択肢だってあるの。
児童相談所がマヌケなおかげで里親になれたのに、
児童相談所に責任をなすりつけるのは、お角違いもはなはだしいと思うの。

そもそも児童相談所の職員の前で「優秀な里親」を演じておきながら、
虐待が表沙汰になったら「サポートしてくれない」とか言いだしても
同情乞食の責任逃れとしか聞こえないの。
この里親にかぎらず虐待する里親は、自分のメンツがいちばん大事なの。
里子は「里親のメンツ」を引き立てるための道具にすぎないの。
里親の頭に載った王冠の宝石のひとつにすぎないの。
里親制度は、保護児童がしあわせになるための制度ではなく、
里子を介して「なにか」を欲するオトナのために、里子をあてがうだけの制度なの。
その「なにか」は「お金」だったり「労働力」だったり「社会的評価」だったり
ヒトによって異なるけどね。

私は我慢強く、手が掛からない子供だったと思います。
子供でしたので、自分で出来ない事はありました。
学校行事の用意等で、里親の世話を受けた事はありました。
しかし、彼らの世話を受けるのは、最小限にしなければいけない、
彼らに迷惑を掛けてはいけないと、常に心掛けていました。
里親に反抗したり、我儘を言った記憶はありません。
非行歴もありません。

里親は、私の前では、悪意を隠そうともしませんでした。
私が彼らに迷惑を掛けたり、悪い事をしたからではありません。
委託された当初から、彼らは私に悪意を向けました。

私の生きる為のエネルギーの大半は、
里親達による暴言暴力を避ける事と、
食べる物を確保する事に注がれました。

アンテナを研ぎ澄まして、彼らの虫の居所を感知し、
無言の要求を汲み取って、行動していました。
里親の家で生き延びる為に、高精度なスキャナのように
彼らの心の動きを常時精査し続ける必要がありました。
リードミスは、暴言暴力と飢えに直結しました。
里親達の気分を害さぬよう、いつも心を砕いていました。
普通の子供のように、駄々をこねたり、泣き喚いたりして、
能動的に自分の要求を訴えた事は、ありませんでした。

里親の家で、私は邪魔者として暮らしていました。
私が経験した全ての里親家庭で、例外なく、
里子はヒエラルキーの最下層に居ました。
ペットの犬や猫より、里子の地位は低く置かれていました。

B宅ではありませんが、別の里親の家では、
犬は室内に専用のベッドを与えられ、
里親家族のベッドで寝るのを許されていましたが、
里子は外の物置に寝かされました。
犬には毎日朝晩プレミアムフードが与えられましたが、
里子の食生活には無頓着で、たびたび食事を抜かれました。
犬は賢く、里子は犬より地位が低いと知っていて、
けたたましく吠えたり、飛び掛かって攻撃しました。
噛まれた事もありました。
犬が里子を攻撃しても、里親は犬を叱りませんでした。
もし、里子が里親宅のペットを怪我させたら、
里親は間違いなく、その里子は問題児であると大騒ぎして、
追い出すと思いますが、逆の場合は、不問に付されるのです。

私は自ら希望して、里親の家に行ったのではありません。
選ぶ権利を与えられず、仕方なく行った里親の家で、
私は自分を無法な闖入者のように感じていました。
自分の居場所では無い場所に、間違って紛れ込んだ無法者、
その場所に居る権利はなく、歓迎されていないのに、
図々しく居座っているような罪悪感が、常にありました。

実際、里親は私を無法な闖入者のように扱いましたが、
その待遇に、私はあまり怒りを感じていませんでした。
粗末に扱われても仕方ない存在だと、自分を受け止めていました。
不当な扱いを受けても、それが不当だと思いませんでした。