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平成14年、宇都宮で、
里親が里子を虐待して死亡させた事件があったの。

私がこの事件を知ったのは、すべて終わったあとだったの。
里親団体が「被告の里親のために」募金活動をしてたことも同時に知って
キツネにつままれたような複雑な気持ちになったのは、よく覚えてるわ。

はじめは被害者の里子さん側が民事訴訟を起こし
その費用を募ってるのかと思ったの。
でもよく読むと募金活動で集めたのは「里親側の弁護士費用」とわかり
憤りをこえて、ひたすら唖然としたのはハッキリ記憶にあるわ。

最近ネット上でどこかの里親らしき人が
「里親がカンパを募ったのは里子側の弁護士費用だった」とか言ってるのを見て
またしてもキツネにつままれたような気持ちになったの。

これって刑事事件の裁判だから、里子側は「検察」でないの?
里子側の弁護士って、どういうこと?

でも次の瞬間、「べつの団体が里子側を支援してくれたのかも?」
「民事で里親を訴えて、その費用を募金で集めてくれたのかも?」って
ちょっと期待してしまった私がいたの。
里親連中には幾度となく煮え湯を飲まされてるのに、私も甘いわね。

さっそくググってみたら
里親団体の「宇都宮事件の裁判経費のカンパを募る」ページがヒットしたわ。

前に見たのと同じ団体のサイトであるのはまちがいないけど・・・
・・・こんな内容だったかしら?

以前に読んだ文章を正確に覚えてるワケではないけど
内容が書きかえられてないかしら?

その里親団体の「宇都宮事件」のページは、要点の定まらない、というか、
「わざと要点を左右して、読み手を惑わすような文章」が書いてあるの。
ざっと読んだだけでは何が言いたいのかサッパリわからなかったわ。

またまたキツネにつままれたような気持ちになったけど
気をとりなおしてよーく読むと、まあ、たしかに以前と「主張する内容」はおなじね。
要約すると、こういうことよ。

『里子を虐待して殺した里親に懲役4年の実刑判決が下されたけど
被告はその判決を不服として、控訴しました。
里子は問題児なので、里親は大変な苦労をしてます。
(以下、長々と「里子は問題児」節が炸裂。)
裁判所は、問題児を育てる里親の大変な苦労を理解して
もっと軽い判決、執行猶予つきの判決を出すべきです。
控訴審の裁判費用のカンパをお願いします。』

・・・・・・・。

亡くなった里子の遺族が民事訴訟を起こしたワケでもなければ
その弁護士費用をカンパで募ったワケでもないの。
里親団体が募ってたのは、里親側の控訴審の費用なの。

里親団体もセコイわね。
正直に「里親側に懲役4年の有罪判決が下されました。
被告はその判決に納得せずに控訴しました。
われわれも懲役4年は重すぎると思います。
今後のためにも、実刑判決の先例を残してはなりません。
執行猶予つきの判決が出るよう被告を支援します。
控訴審の弁護士費用をカンパしてください」と書けばいいのに。

その辺のところをハッキリ書かず
いつもの「里子は問題児だから、里親は大変な苦労してる」節でウヤムヤにして
裁判所が理解した上での判決でなかったら「里子も浮かばれない」と詭弁を駆使、
ヒトを煙にまくような文章を長々と展開するモンだから
なんのためにカンパを募ってるのか、あやうく見誤るところだったわ。

私的には「里子を虐待死させた殺人犯」に下された判決が「懲役4年」では
「里親という圧倒的強者」に「一方的に虐待されて殺された子ども」は
「浮かばれない」と思うの。
でも里親に言わせてみれば、罪が執行猶予レベルに軽くならないと
殺された里子が「浮かばれない」そうよ。

この文章を書いた里親に実子はいるのかしら?

幼い実子が「圧倒的強者」に一方的に殴り殺されて
その犯人に執行猶予つきの判決が下されたら
殺された子どもが「浮かばれる」と思うのかしら?

本気でそう思うような人が業界団体の役員として大手を振ってるとしたら
里親業界に自浄能力は期待できないわね。

里親制度の「里子に口なし」体質は今に始まったことでないし
里親の社会的評価とやらを守るのは勝手だけど
そのために「里親に殺された子ども」まで利用しないでほしいわ。
「圧倒的強者である里親」に幼い命をさんざん利用されて殺されて
死んだあとまで都合よく利用されて、この子ホントに浮かばれないじゃない。
私が泣いてもなにも変わらないけど、目から汁がでちゃったわ。

無力な子どもを虐待して殺してたった4年の懲役なんて
「子どもの命をなんだと思ってるの?」と裁判官に問い詰めたくなるくらい
里親側に下された判決は「軽い」と思うけど。

里親の十八番「里子は問題児だから、里親は大変な苦労をしてる」節が
裁判所にじゅうぶん「理解」された上での判決に思うけど。

それでも里親側は判決を不服として控訴したの。
里親側の価値観では「里子を殺した罪の重さ」は「懲役4年」よりも軽いらしいわ。
ずいぶん軽く見られたものね。

ちなみに私も里子時代、亡くなった里子さんと同じように
命の重さが「懲役4年より軽い」問題児といわれたわ。

里親に怯えてワガママいわず言いなりになり
夏は灼熱地獄の工場で働かされても文句ひとついわず
自分のことは自分でやり、里親の手を煩わせなくても
里親は私たち里子を「問題児」に仕立てあげてくれたの。

「反抗的」だの「言うことを聞かない」だの「お金を盗む」だの
「注意すると暴れる」だのと身に覚えのない問題行動を捏造され
里親はせっせと「里親は大変なんです」と言って歩いてたの。
里子のありもしない問題行動をデッチあげて
「里子は悪くありません。環境が(実親が・施設が)悪いんです」とかナントカ
いかにも里親が言いそうなことを言って得意になってたわ。

「里子を工場で危険労働に従事させてます。
学校が休みの日は朝から晩まで働かせてます。
仕事を怠けたらブン殴って食事をあたえません。
おかげでグチのひとつもいわず働いてくれます。
手の掛からない勤勉な良い子で助かってます」なんて
口が裂けても言わなかったわ。

里親が里子を「問題児」にしたがるのは
虐待が発覚したときに備えての「保険」なのね。
そうしておけば里子を殴り殺しても執行猶予つきの判決でけりがつくし
里親団体が弁護士費用もカンパで出してくれるしね。

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夏休みや冬休みは、憂鬱でした。
一日中里親の家で、彼らの悪意に晒されて過ごすのは、苦痛でした。
給食を食べられなくなる事は、当時の私には、とても辛い事でした。

私の学校生活は、惨めな物でした。
同級生に仲間外れにされ、親しい友達はいませんでした。
男子に苛められ、意地悪な女子のグループにも苛められていました。

それでも、学校は逃げ場でした。
里親の家より、安心して過ごせる場所でした。

長期休暇中は、一日も早く学校が始まるのを心待ちにしていました。
家庭で育てられている子供達が、夏休みや冬休みが大好きな事を、
羨ましく思うと同時に、子供ながらに漠然と、
彼らと私の間にある超えられない壁、
身分の違いのような物を、感じていました。

夏休みや冬休みになると、里親の実子達が
彼らの子供達を連れて、里親宅に遊びに来ました。
その事が、私の憂鬱を深くしました。

里親の親は、長年里親をやっているベテランで、
里親の親族に、里子は特殊ではなく、身近な存在のようでした。

彼らは、明治時代の地主が、小作人の奉公人に接するように、
私に接しました。
彼らには、それが自然な振る舞いでした。

里親の親族が集まると、里親の親達の世代が、
里子達をどのように扱っていたか、話を聞かされました。
彼らの話によると、里子は奉公人より低い身分とされ、
奴隷のような待遇を受けていたようです。
当時は、それが普通だったと言われました。
それに比べて、「お前は恵まれている」
「今の里子は幸せね」等、言われました。

里親家族と里子が、同じテーブルでおせちを食べる事は、
里親達にしてみれば、慈悲深い恩恵を施す行為でした。
私は、身に余る光栄として、その恩恵を受け止めなければなりませんでした。

里親の実子の中には、私にお年玉をくれる人もいました。
しかし、里親の実子の子供達と、同じ金額ではありませんでした。
里親の親族の子供達は、学年によって5千円から2、3万円を貰っていましたが、
私は、5百円か1000円でした。
それでも口々に「良かったわね」「今の里子は幸せね」と言われ、
私自身も、そう信じていました。

私は里子として里親の家を転々と渡り歩いた経験があるの。
その経験から里親による里子虐待や不適切養育は
かなりの高確率で行われてると確信してるの。
里親の家における里子の扱いの実態調査が行われたことはないし、
仮に調査が行われたとしても里親たちは都合の悪いことは隠して
キレイゴトばかりならべたてるのは目に見えてるから、
里親の自己申告によるアンケートは信憑性がないし、
里親の家に隠しカメラでも仕込んで日常生活を監視しないかぎり
ほんとうの「実態」は永遠に闇の中でしょうけど。

里親制度の実態を知らない一般人の中には
里親推進派の垂れ流すプロパガンダにすっかり騙されて
里親家庭は「安全な場所」と思い込んでる人がいるみたいだけど、
当の里親たちや児童相談所のワーカーをはじめとする
「里親制度の実態に肉薄する人々」は
里親家庭こそ虐待・不適切養育の温床であると「知ってるハズ」なの。
虐待の現場を目撃したことはなくても薄々なにか感じてるハズよ。
ほんとうになにも知らない、なにも問題を感じてないと言い張るなら、
児童福祉の専門職として、もしくは里親としての資質を疑うわ。
もし彼らが「虐待・不適切養育」であるという認識を持たずに
里子を虐待したり不適切養育したり、それらを見逃してるとすれば、
子どもをアザになるほどブン殴って「しつけ」と言い張る虐待親と同じよ。
少しでもヒトらしい感情が残ってるなら、資質のない税金ドロボーは
今すぐ里親もしくはワーカー業を返上していただきたいわね。

里親推進派の垂れ流すプロパガンダのひとつに
「施設は虐待があるから、施設の養育は不適切だから、
保護児童は里親家庭に措置しろ」というモノがあるけど、
施設より里親家庭のほうが子どもが虐待されるリスクは高いと思うの。
実親家庭、一時保護所、児童養護施設、里親家庭のなかで、
里親家庭ほど危険な場所はないと思うわ。
施設における虐待はまれに表沙汰になってニュースになるけど、
虐待が発覚するきっかけのほとんどは施設職員による内部告発なの。
里親家庭は施設より密室性が高くて内部告発する職員がいないから
虐待の発見が困難で、なかなか表沙汰にならないだけなの。
虐待とまではいかない「不適切養育」についても、
里親家庭における不適切養育と施設における不適切養育を比べて
里親のソレのほうが施設よりマシとする論拠はあるのかしら?
「施設養育は不適切だから、里親家庭に」と主張するなら、
その主張の大前提となる「すべての里親家庭で里子が適切に養育されてる」
「里親家庭で不適切な養育を受けた子どもは、施設のそれと比べてダメージが軽い」
という仮説の正当性を裏付ける根拠を提示していただきたいわね。
100分の1くらいの確率で当たるかも知れない奇跡の里親家庭と
何十年も大昔の最底辺施設を比べて「里親家庭の利点」を並べ立てて、
里親制度の実態を知らない一般人を洗脳するヒマとエネルギーがあるなら、
そのヒマとエネルギーを今ある里子虐待を減らす方向に使えばいいのに。
そもそも、里親の家で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみと、
施設で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみを比較して、
どちらがマシかなんて不幸自慢すること自体がナンセンスきわまりないわね。

里親制度の実態を知らない一般人が里親家庭を神聖視する理由のひとつに、
「血の繋がった我が子でも思いどおりに育たなくて大変なのに、
他人の子を育てるのはさぞ大変なことだろう、
その苦労をすすんで引き受ける里親はマザー・テレサのような
立派な人格者にちがいない」という里親幻想があると思うの。
このような「里親幻想」を抱く人々は、もし自分が里親になったら、
里子に対して「我が子と同じように」愛情をそそぎ、実子と分け隔てなく育て、
実の親子のように一生涯にわたって里子と関係を持ち続ける前提で考えて、
「自分にはムリ」→「里親ってスゴイな」という結論に至ると思うの。
一般人の多くは里親に手当が支給されることも知らないし、
手当が支給されることを知ってたとしても、
人ひとりの人生を左右する「責任の重さ」を前にしたら、
どれだけ大金を積まれても割に合わないと思うのは当然だわ。
私だって自分にできないことを実践してる人物は素直に尊敬するもの。
でも残念ながら、私の知ってる里親たちは、
里親制度の実態を知らない一般人が考えるような「責任の重さ」とは無縁だったわ。
里親たちにとって、里子の人生は、すごく軽いの。
犬を飼うより軽いかも知れないわね。
死なない程度にエサを与えて、寝床と着る物をあてがって、
あとは気分で怒鳴ったり殴ったりしてればいいの。
彼らにとって里子というのは、その程度の生き物なの。
暴力と恐怖と食べ物を使えば、子どもを「ねじ曲げる」のは簡単なの。
だからこそ、マトモな一般人には「割に合わないこと」でも、
お金目当ての里親たちはじゅうぶん採算がとれてるの。

長々と書いてしまったけど、私が伝えたいことは表題にあるとおり、
実体のない「里親幻想」を捨てて、里親家庭を神聖視するのはやめて、
里親家庭にも虐待はあるという認識で里子たちを見守ってほしいってことなの。
虐待を発見したらどうするか、どうすれば当該児童を危険にさらさずに
里親家庭という危険な闇から救いだせるかはケース・バイ・ケースで
容易に答えを提示できるものではないけれど・・・

里親の家に措置される児童は、親がいないと思われていますが、
現在は、ほとんどの児童に実の親がいて、家族がいます。
要保護児童の内、天涯孤独の孤児は、ほんの一部です。

私が、里親の家に措置されていた経験のある方々と
交流を持つようになったのは、ここ1年程の事です。
それまでは、私が知っている里子経験者は、
同じ里親の家に措置されていた子のみで、
彼らとは、一人を除いて交流はありません。

里親の家に措置された経験のある方々と知り合い、
経験や思う事を語り合い、親交を深める内に分かった事は、
彼ら全員に親がいて、定期的に会ったり連絡を取り合い、
親や親族と良い関係を築いていたり、
関係をより良い物にして行こうと努力していたり、
良い関係とは言えないまでも、アパートを借りたり転職する際の
身許保証人になってくれる程度の関係は、保っている事でした。

これは、また別の見方も出来ます。
元里子の内、「SNSやスカイプ等のネット資源を上手く活用し、
同じ経験を持つ者同士で交流を図ろうとする意思を持ち、
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙している者」は、
程度の差はあれ、「実親のサポートを受けている」と解釈出来ます。

食べて行くだけで精一杯、明日どうなるか分からない生活では、
ただ生きて行くだけで消耗して、エネルギーを使い果たし、
自分の内面の問題にかまけている余裕はありません。
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙する為には、
精神的にも経済的にも、ある程度の余裕が必要なのです。

生憎私は、親との関係は、決して良好ではありません。
会えば喧嘩になり、不愉快になって、冷たく別れる事もあります。

それでも、双方共に交流を断絶しようとせず、
言い争いをしたり不愉快になりながらも、付き合い続けているのは、
本物の親子だからだと思います。
ここで言う「本物の親子」とは、血の繋がりは勿論、
法的な親子関係があると言う意味です。

実の親子関係は、法的に離縁する事は出来ません。
ドラマや映画等で、親が子に「勘当だ」と言うシーンがありますが、
「勘当」は社会通念上のみ存在する概念で、
法的に実の親子が縁を切ることは、一つの例外を除いて不可能です。
日本の法律で唯一、実の親子の絶縁が認められているのは、
特別養子縁組で、子が別の夫婦の特別養子になった場合に限られます。

「血は水よりも濃い」と言う言葉がありますが、
いがみ合いをしながらも切り捨てる事が出来ない、
良くも悪くも切っても切れないのが、
実の親子関係であり、親子の縁だと思います。

里親の家に措置された経験のある友人の中には、
虐待のない里親家庭で育った方もいます。
しかし、自立後も里親と連絡を取り合っている方は、皆無です。

また、愛情いっぱい育てられて幸せになった元里子の方が、
「愛情いっぱい育てられている里子達はほんの一握り」と仰っておられるのを読むと、
里子を虐待・不適切な養育をする里親が多い現実が、浮かび上がって来ます。

里子経験者の話を聞くと、親に育てられなかった事で、
親を責めていたり、責めていた過去を持っています。

私も、親を責め、恨んだ時代がありました。
未だに親と口論して、頭に血が上ると、
「私を捨てた癖に」と、思う事があります。
「育てなかった癖に、親面しないでよ」と、言ってしまった事もあります。
その所為で、その場の雰囲気が険悪になってしまった事もあります。

妊娠中絶反対、里親や養親を推進するサイトで、
「子供を育てなくても、捨てる事にはならない」と言うような内容の言葉が
書かれていたのを見た事があります。
「事情があって子供を育てられないなら、
里親や養親を探して子供を手放すのも親の愛情であり、
親の責任の果たし方の一つ」と言う意見も、よく見かけます。

これらの意見について、この場で私見を述べるのは控えさせて戴きますが、
いかなる事情があれ、子供を手放した親、特に母親は、一生その責めを負います。

親が子供の養育を違法に放棄すると、保護責任者遺棄罪になりますが、
児童相談所等の公的機関を通じて、子供の保護を行政に要請した場合、
親は法的な責任は問われない事になっています。

法的な責任は問われなくても、
親は「子供を捨てた事」「育てなかった事」への責めを負います。
子供に責められ、社会的な責めも負います。

親が自らの手で、きちんと子供を育てた場合も同様です。
思春期になって非行に走ったり、社会に上手く適応出来なければ、
親は育児の結果の責任を問われます。
成人した子供が犯罪行為をして、新聞沙汰になれば、
親は社会的に抹殺されたも同然の立場に追い込まれるでしょう。
子供の人生に責任を負い、死ぬまで背負い続けるのが、親なのです。

しかし、里親はどうでしょうか。
里親の虐待や不適切養育の結果、里子が問題行動を呈したとしても、
里親が責任を問われる事は一切ありません。
思い通りに育たなければ措置解除して追い出せば、一件落着です。
責任を問われないばかりか、「手の掛かる子」「難しい問題児」を養育したと評価され、
里親の輝かしい実績にカウントされるのです。

措置終了後、里親は里子への責任を一切負いません。
里親の養育の結果、元里子が精神的なトラブルを抱えて苦しもうが
その所為で自殺しようが野垂れ死のうが犯罪に走ろうが
里親の知った事ではないのです。

親と里親の責任の重さの違いは、比べるまでもありません。
里親制度はあくまで社会的養護の一環に過ぎないからです。
施設出身者が犯罪を犯しても、その人が育った施設の職員が
それまで暮らしていた地域社会に村八分にされ、
居たたまれずに引っ越した、と言う話は、聞いた事がありません。
里親の責任は、施設職員のそれと同程度で、
親が背負う責任とは比べようもないのです。

養子縁組里親は、養子縁組をする前提で里子を引き取ります。
法的に親子関係になる事は、実の親と同じ重みの責任を背負う事であり、
里子と血の繋がりはなくても、家族になる用意がある事を意味していると思います。

しかし、養育里親は、養子縁組を前提としないホームステイに過ぎません。
措置終了までの期限付きの養育で、且つ、養育の結果に責任は負いません。
他人の子に、我が子に対するのと同じ重さの責任は取りません、
里子にそこまで責任は取れませんと、半ば公言しながら育てているのと同じです。

そのような養育人を、親や家族と呼ぶのは無理がある、
その条件付きの養育環境を、家庭と呼ぶのは無理があると思うのは、
私だけでしょうか?

皆さんは「里親団体」と聞いて、どんな団体を思い浮かべるかしら。
子どもを守る団体? 啓蒙団体? 里親の質向上に努める団体? 
悲しいことだけど「里親団体」といわれる団体は
皆さんが思い描くような「慈善の精神に満ちあふれた団体」ではないの。
その実態は「慈善の精神」とは遠くかけはなれた「里親の利権を守る団体」で、
里親手当の「賃上げ」を行政に詰めよるのが彼らのおもな「お仕事」なの。

彼らの要求どおり里親に支給される手当は年を追うごとに着実に増えつづけ、
今年も増額されたらしいけど、彼らはさらなる「賃上げ」を求めてるらしいの。
まあ、里親の労働組合と考えればわかりやすいわね。
彼らが求める「里親手当の増額」は、どこからどう見たって明らかに
里子を世話するという「労働」に対する「報酬」の「賃上げ」なのに、
どういうワケか里親たちは絶対にそうと認めないの。
里子にかかる生活費や諸手当は「里親手当」とはべつに支給されるの。
里親団体が賃上げを要求してるのは「里子の養育費」ではなく「里親手当」なのに
彼らは「里子のために」という冠をつけて「里親手当」の増額を要求してるの。
「里親の利益のため」ではなく「子どもたちのため」という大義名分の下、
里親に支給される「里親手当」の増額を要求してるの。

里親は「慈善の精神で里子を育てるボランティア」だから
里親手当の増額を求めるのは、里親のフトコロを潤すためではないのね。
親に育てられない「かわいそうな子どもたち」に1人でも多く
あたたかい家庭(笑)をあたえてあげたいから賃上げ要求してるのね。
子どもたちのため里親を増やすために里親手当の増額を求めてるのね。
自分たちがお金が欲しいから賃上げを要求してるのではないのね。
・・・アホくさ。

今春も「里親を増やすため」という口実で里親手当が増額されたらしいけど、
そもそも里親は不足してないの。むしろ、あまってるの。
全国の里親希望者は7千人、うち里子が委託されてる里親は2千人にとどまり、
里親登録者の半数以上が登録はしたけど里子が委託されない開店休業状態なの。

その点を指摘されると里親推進派は口をそろえて
「育てないクセに里子に出したがらない実親」のせいにするけど、
「里親は里子を選ぶこと」については一切ふれないの。
決して安くない「労働対価」を税金から受け取って里子を預かるのに、
まるでペットショップのショーウィンドウの中の犬や猫を選ぶかのように
里親は子どもの年齢や性別はもちろん、あれこれ条件をつけて子どもを選ぶの。
里親が里子を選ぶことには口をつぐんで、都合の悪いことは実親のせいにするの。
いくら里親の数を増やしても、里親が子どもを選ぶかぎり委託率は上がらないし
お金欲しさに里親になる人が増えても、里親の質向上に繋がらないわ。
里親全体の質が低く、悪質な里親がベテラン面して大手を振ってる現状では
里親の頭数を増やせば増やすだけ「不幸な里子」を増やすだけなの。
そして現状は、里親が不足してるのではなく、里子が不足してるの。
というか、里親が欲しがるタイプの子はそうそういないの。
「かしこく、かわいく、アレルギーや障害や持病が一切ない健康優良児で、
実親との別離経験の記憶がなく、手のかからない子ども」が不足してるの。

里親団体の飽くことない貪欲な「賃上げ」要求を見てると、
彼らが「子どものために」とそれをやってるとは思えないの。
子どものしあわせは二の次で、お金が欲しいだけにしか見えないの。
お金欲しさに「かわいそうな子どもたち」を利用してるようにしか見えないの。
本心から「1人でも多くの“かわいそうな子ども”に家庭を与えたい」と思うなら、
賃上げ要求の前に「里親は里子を選ぶなキャンペーン」でもすればいいのよ。
実親が精神障害であろうと薬物中毒であろうと犯罪者であろうと
子ども自身が障害児であろうと持病があろうと重いアレルギー体質であろうと
どんな子だろうが選ばないで引き受けて育てればいいのよ。

誤解を承知で私の個人的な見解をいわせてもらうと
里親が里子を育てる労働対価を受け取ること自体に文句はないの。
そこが自分の「帰る家」ではなく、家族でもなく、15歳か18歳になったら縁切れして
ひとりで社会に出て行かねばならないのは里親の家も施設も同じコトだもの。
里親が社会人として責任もって「里子を育てる」という仕事をしてるなら
堂々と胸を張ってそう主張すればいいのよ。
それなのに世間の一般人からは見えないところでコソコソ賃上げ要求をして、
賃上げ要求の大義名分に「親に育てられないかわいそうな子どもたち」を利用する、
そのやり方の狡猾さがハタから見ると滑稽きわまりないのよ。
ビジネスとして里子を育てることに文句はないけど、
それならそれでプロ意識をもってキチンとお仕事をしてほしいのよ。
商品である子どもを選んだり、ロクに世話もしないで給料ドロボーしたり、
里子に支給される手当をネコババしたりしないでほしいの。
報酬をもらってビジネスとして里子を育てることは否定しないけど、
「家族になる」だの「家庭を与える」だの、そういう欺瞞はやめてほしいの。
本当に家族の一員なら、親は「子どもを育てる労働対価」を国に要求したりしないの。
「報酬をもらって子どもを世話する人」を「家族」と呼ぶことに違和感を持たない人や
「報酬をもらって子どもを預かること」を、本気で「子どもに家庭を与える」と
なんの迷いもなく言い切れる感性の持ち主は、里親にならないでほしいわね。

この事件(詳細は下のリンク先の記事を読んでね)を知ったとき、
残虐非道な虐待を受けた少女のことを思って胸が痛くなると同時に、
氷山の一角ではあるけど、里親による里子への虐待が「発覚」して、
きちんと「事件」として扱われる時代がきたのね・・・と思ったの。
でもよく読むと「病院から連絡を受けた実母が府警に通報した」と書いてあって、
頭をぶん殴られたような気がして頭が真っ白になったの。

『里親の女が里子の女児を虐待 6カ月の重傷負わせた容疑で逮捕』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091014/crm0910142215034-n1.htm

もし、この少女に母親がいなかったら・・・
母親がいても、事件を知らされなかったら・・・

つまり、実母が警察に通報しなかったら表沙汰にならなかったの。
里親がこの少女に一体なにをしたのかわからないけど、
全身にアザ、陰部や直腸に裂傷を負って、病院に運び込まれてから
半年以上たった現在も入院治療を受けてるほどの重篤な被害を受けたのに、
実母が警察に通報しなかったら、この事件は「事件」にならず、
加害者の里親は善人ヅラを引っさげてのうのうとしてたの。

そして実母は「病院から連絡を受けて」この事件を知ったの。
病院側が実母の連絡先を知ってた、ということは、
すでに病院側は児童相談所とコンタクトをとってたことになるけど、
児童相談所は実母に知らせず、警察にも通報しなかったの。
病院が実母に連絡して、実母が警察に通報しなかったら、
里親は児童相談所とグルになってこの事件を隠匿するつもりでいたの。
病院が実母に連絡して、実母が通報して警察の捜査が入らなかったら、
この事件は「少女の不注意」とか「自慰中の事故」として片付けられてたの。

里親制度の実態を知らない人は、にわかに信じられないと思うけど、
里子が里親に暴行されて性器や肛門にダメージを被っても、
里親が「自慰中の事故」といえば、それで済んでしまうの。
それがたとえ就学前の幼児でも。
その子の周囲に、里親の嘘と演技を看破する洞察力と、
たとえ好戦的な里親に敵視されて訴えられたりトラブルに巻き込まれても
その子を救出しようとする強靭な意志の持ち主がいないかぎりは。
そして多くの場合、里子の周囲には、そこまで親身になってくれる人はいないの。

この事件でわかったことは、里親制度の「里子に口なし」体質は、
私が里親の家に措置されてた頃からなにひとつ変わってないということ。
この子を虐待から救出しようと動いたのは「病院」であり、
「児童相談所」でもなければ「里親団体」でもないの。
里親制度はいまだ国家による暗黙の「児童虐待公認制度」なの。

そして里親は、虐待が「運悪く」表沙汰になると、里子と児童相談所にせいにするの。
慣れ親しんだ土地を離れて、知らない環境でゼロから新生活をはじめるときは
オトナだって緊張するし相当なストレスを受けるものだけど、
それが幼い子どもだとしたら、不安やストレスは計り知れないものがあると思うの。
緊張状態を強いられると神経過敏になるし、夜も眠れなくなる。
眠れたとしても睡眠が浅く、些細なことで目が覚めるし、
慢性的に寝不足がつづくと不機嫌になってグズるかもしれない。
食だって細くなるし、逆に過食になったりもする。
その程度のことは、人並みの想像力さえあれば
児童心理の専門家でなくてもわかると思うの。
でも里親たちは、自分たちが子どもに安心感を与えられないことは高い棚にあげて
その子が「とくに性質の悪い子」であると針小棒大にわめきたてるの。
人の子の親になれば誰もが経験して乗り越える類の苦労でも
里親たちは「自分たちは極めて特殊な苦労をしてる」とアピールするの。
そしてレアケースながらも里子虐待が発覚すると、お約束のように
「児童相談所がきめ細やかにサポートしてくれないから」虐待したというの。
里親団体は「虐待発覚時の言い訳マニュアル」でも作って配ってるのかしら?
いつも決まって、判で押したように児童相談所のせいにするの。
なんでも「教師が悪い」と責任転嫁して学校に怒鳴りこむモンスペみたいに。

私は里子になりたくて里子になったワケでなく、里親を選べず、
里親の家に行かない自由も与えられなかった元里子の立場として、
里子を虐待するような人間を里親に認定した児童相談所はマヌケだと思うけど、
里親はいつでも好きなときに措置解除して里子を手放す自由が保証されてるし、
里親登録を辞めることもできるし、最初から里親にならない選択肢だってあるの。
児童相談所がマヌケなおかげで里親になれたのに、
児童相談所に責任をなすりつけるのは、お角違いもはなはだしいと思うの。

そもそも児童相談所の職員の前で「優秀な里親」を演じておきながら、
虐待が表沙汰になったら「サポートしてくれない」とか言いだしても
同情乞食の責任逃れとしか聞こえないの。
この里親にかぎらず虐待する里親は、自分のメンツがいちばん大事なの。
里子は「里親のメンツ」を引き立てるための道具にすぎないの。
里親の頭に載った王冠の宝石のひとつにすぎないの。
里親制度は、保護児童がしあわせになるための制度ではなく、
里子を介して「なにか」を欲するオトナのために、里子をあてがうだけの制度なの。
その「なにか」は「お金」だったり「労働力」だったり「社会的評価」だったり
ヒトによって異なるけどね。

私は我慢強く、手が掛からない子供だったと思います。
子供でしたので、自分で出来ない事はありました。
学校行事の用意等で、里親の世話を受けた事はありました。
しかし、彼らの世話を受けるのは、最小限にしなければいけない、
彼らに迷惑を掛けてはいけないと、常に心掛けていました。
里親に反抗したり、我儘を言った記憶はありません。
非行歴もありません。

里親は、私の前では、悪意を隠そうともしませんでした。
私が彼らに迷惑を掛けたり、悪い事をしたからではありません。
委託された当初から、彼らは私に悪意を向けました。

私の生きる為のエネルギーの大半は、
里親達による暴言暴力を避ける事と、
食べる物を確保する事に注がれました。

アンテナを研ぎ澄まして、彼らの虫の居所を感知し、
無言の要求を汲み取って、行動していました。
里親の家で生き延びる為に、高精度なスキャナのように
彼らの心の動きを常時精査し続ける必要がありました。
リードミスは、暴言暴力と飢えに直結しました。
里親達の気分を害さぬよう、いつも心を砕いていました。
普通の子供のように、駄々をこねたり、泣き喚いたりして、
能動的に自分の要求を訴えた事は、ありませんでした。

里親の家で、私は邪魔者として暮らしていました。
私が経験した全ての里親家庭で、例外なく、
里子はヒエラルキーの最下層に居ました。
ペットの犬や猫より、里子の地位は低く置かれていました。

B宅ではありませんが、別の里親の家では、
犬は室内に専用のベッドを与えられ、
里親家族のベッドで寝るのを許されていましたが、
里子は外の物置に寝かされました。
犬には毎日朝晩プレミアムフードが与えられましたが、
里子の食生活には無頓着で、たびたび食事を抜かれました。
犬は賢く、里子は犬より地位が低いと知っていて、
けたたましく吠えたり、飛び掛かって攻撃しました。
噛まれた事もありました。
犬が里子を攻撃しても、里親は犬を叱りませんでした。
もし、里子が里親宅のペットを怪我させたら、
里親は間違いなく、その里子は問題児であると大騒ぎして、
追い出すと思いますが、逆の場合は、不問に付されるのです。

私は自ら希望して、里親の家に行ったのではありません。
選ぶ権利を与えられず、仕方なく行った里親の家で、
私は自分を無法な闖入者のように感じていました。
自分の居場所では無い場所に、間違って紛れ込んだ無法者、
その場所に居る権利はなく、歓迎されていないのに、
図々しく居座っているような罪悪感が、常にありました。

実際、里親は私を無法な闖入者のように扱いましたが、
その待遇に、私はあまり怒りを感じていませんでした。
粗末に扱われても仕方ない存在だと、自分を受け止めていました。
不当な扱いを受けても、それが不当だと思いませんでした。