ある元里子の方(仮名Aさん)の話。
里親の下にいた頃は「里子だから」とレッテルを貼られた。
この「里子だから」には多くの意味がこめられてる。
「かわいそうな子どもだから」
「愛情に飢えた子どもだから」
「複雑な事情を背負った子どもだから」
「不幸な子どもだから」
「ヒドイ親に育てられた情緒障害児だから」
「施設で育ったせいでウソをついたりオトナを苛立たせる障害を持ってるから」
「DQN親のDNAを受け継いだDQN児童だから」
Aさんの言動はすべて「里子だから」という魔法の言葉に結びつけられ
いつしかAさんは里親が貼りつけたこのレッテルを内面化した。
オトナになったAさんが自らの子ども時代をふりかえるとき
自分をみじめに思うようになったのは里親に委託されてからだと気付いた。
それ以前は自分をみじめに思うことはなかった。
Aさんが成長過程で内面化した「みじめさ」は
自称「善意のボランティア*」の里親によって植えつけられたモノだった。
今、Aさんの周囲にAさんが里子だったと知るヒトはいない。
Aさんがミスをすると「ゆとり」「平成生まれ」の言葉に結びつけられる。
イラっとするが「里子」というレッテルを貼られてた頃のような「みじめさ」はない。
Aさんに「ゆとり」のレッテルを貼ってイケズをするヒトは
たとえ年齢や役職に上下はあっても、どんなにイヤなヒトでも
基本的にAさんを「自分と対等なヒト」と見なしてる。
「対等なヒト」として攻撃されれば不快感や怒りは覚えるケド、自尊心は傷つかない。
でも「おかわいそうに」と下に置かれれば自尊心はズタズタになる。
※ ※ ※ ここまでAさん談のまとめ ※ ※ ※
以下、私の感想。
成長過程で健全な自尊心が育たないと自己評価の低いオトナになる。
自己評価の低いヒトは「他者による評価」に異常なほど気をとられる。
「他者による評価」の中のみに生き、神経をすりへらして疲弊する。
この「他者による評価」のみを自己肯定の材料にして疲弊してる段階で
自己の問題を自覚しないで内省を経ないままに年齢を重ねると
「他者による評価」という名の「鎧」でガチガチに全身を覆い
その「鎧」をピカピカに磨き上げるコトに執着するようになる。
「里親の社会的評価」を異常なほど気にかけて血道をあげる里親たちの病理は
彼らの子ども時代に淵源があるのだろうか。
※里親には最低でも年200万円以上(専門里親になると300万以上)の手当てが支給されます。
それとは別途に、里子にかかる経費(医療費、タクシー代などの通院交通費、塾費用、給食費、
学費、進学費用、クラブ活動費、学習指導費、修学旅行費、暖房費、里親宅のリフォーム費、
ベッドやパソコンの購入費などなど盛りだくさん)が支給されます。