ある里親希望さんのコメントへのレスとして書いたモノですが
思ってたよりも力作長文(笑)になったので親記事にもってきました。

—-以下コピペ—-

>現在50代の夫婦で、養子縁組をする場合年齢的に難しいようで、里親を希望しています。

そうですね。
現在50代の夫婦が幼児を養子にしたら、その子が成人する時は70代の老人です。
体力も気力も衰え体のあちこちが故障した御老体、ヘタすれば要介護老人です。
子どもが成人した後のことなど「その子の一生涯に渡る幸福」を考えれば
養子縁組を希望する養親に年齢制限があるのは当然です。
ヒトの一生は「かわいい子ども」時代よりも成人後の人生のほうが長いし
とくに18歳からの数年間はその後の人生を左右する大事な時期ですから。
また、養親を「お父さん、お母さん」と呼んでも奇異に見られない年齢であることは
子どもの心の健やかな成長という側面において無視できない重要事項でしょう。

要保護児童の親は彼らの親(児童の祖父母)から支援を受けてない事例が多いそうです。
親との死別、病気や障害、物理的に近くにいない、親子の折り合いが悪いなどの理由で
親(祖父母)のサポートを受けられない親の子どもは要保護児童になりやすいんですわ。
それを踏まえた上で「里子」なら50代の高齢者でもよしとお考えになる理由は?
実子でも養子でもない里子だから、その子が「かわいい子ども」である間だけ
人ひとりの人生に対する責任を問われないお気楽な子育てをできればよい、
その子の成人後の人生がどうなろうと関係ない、
措置終了後は野となれ山となれ、とお考えでなければよろしいのですが。

>一般家庭と言う物がどういうものか経験させて上げるところとして、里親制度があるのでしょう

私が里親制度の理念とやらに覚える最大の違和感はコレなんですよね。
家族の正式な構成員として「恒久的な居場所」や「母港」になる覚悟もなく
ただ「一般家庭と呼ばれるモノの雰囲気を経験させてあげる」だけなら
乳児院や児童養護施設でも潤沢な資金と人員が揃えば実現可能だし
現にユニット制や担当制の普及で「家庭的な養育環境」を提供する施設が増えてる。

あなたは「一般家庭というものを経験させてあげる」とか簡単に言いますが
あなた様の御家庭が他人様の子どもにとって「施設よりも良い」とする論拠はありますか?
物心つく前から施設で育った方が実親家庭に復帰したものの
「施設に帰りたくてホームシックになった」という話もあります。
私に言わせれば「一般家庭」ほど千差万別で「クセ」の強い場所はないと思いますよ。
施設が淡いパステルカラーの空間だとすれば、一般家庭はビビッドな原色です。
「鈴木さんの家庭」と「佐藤さんの家庭」は別世界なんですよ。
そして「鈴木さんの家庭」で内面化したことは「佐藤さんの家庭」では問題視される。
鈴木家カラーに染められたことが、佐藤家に復帰・適応する「障害」になったりする。

普通の「一般家庭」というモノは他の「一般家庭」からすると「イビツ」であり「異質」であり
それに適応して暮らすのは子どもにとっては国が変わるほどの負担なんですよ。
里親側の宣伝に「子どもたちは里親を求めてます」みたいなフレーズがあるけど
あれこそ真っ赤な「虚偽」であり里親制度の「欺瞞」そのものだと思います。
乳児院や施設で暮らす子どもたちが欲してるのは「安心」とか「安定」であり
子どもの言葉では「みゆき先生(職員)と一緒にずっとここで暮らしたい」とか
「お母さん(実親)とまた一緒に暮らしたい」であり、そこに帰結する。
「一般家庭を経験させてあげる」なんて思い上がりも甚だしい。大迷惑です。

高年齢になれば施設を息苦しく感じて「里親家庭」に夢を見るケースもあるかも知れないけど
それは「一般家庭」の子どもでも中学生になれば「親もと以外のどこか」に居場所を求めて
家族といるよりも友達といるほうが楽しく感じるのと同じ現象で、成長過程の一段階だと思います。
そういうセリフをたまたま「施設で暮らす子ども」が口にしようものなら
鬼の首を取ったように「施設ガー!」といつもの施設バッシングを喚き立て、
「すべての子どもたちを里親家庭に」といつもの里親節を展開します。
言語化できない子どもたちの「この安心できる環境を変えないでほしい」という願いは届かず
声の大きな里親たちが喚き立てるシュプレヒコールだけが高らかに鳴り響く。

里親は自ら立候補して里親になりますが、里子は自ら希望して里子になるワケではありません。
ワケもわからぬまま人さらいのように連れて行かれて他人の家に放り込まれ
圧倒的な力で他人の家の型に押し込まれて他人の家の色に塗りたくられて「自分」を捻じ曲げられる。
里親は「里親の苦労」ばかり主張しますが、里子だって苦労してますよ。
オトナと違って言語化できないし、子どもは自分が抱える苦しみを「人のせい」にしないだけです。
他人の家庭に適応して暮らす中で舐めた辛酸は、今となっては意味のない無益な苦痛でした。
里親家庭で奪われた私の時間と労力と擦り減らした神経を返してほしいです。
親と交流のある子どもは施設で育てられるほうがベターであると思います。
親に恵まれなかった子どもは「特別養子縁組」で「永続的な家庭」で育てられ
成人後も「実子と同等の権利」と「地位」を保障された人生を歩めますように。

>里親手当については将来里子が大学進学等を考えている際の足しになれば良いかと全額貯蓄しておこうと思ったりしてますが

私は里親宅を出て社会に出た後、大学に行きました。
勉強したくて進学したのに学費と生活に追われて夜はバイト、
疲れて講義中は寝てるという本末転倒な学生生活でしたが
わずかばかりの金額ですが親から援助がありました。
里子を預かることで毎年200万以上の非課税所得を受給してる里親にしてみれば
はした金ほどの金額だとは思いますが、その「はした金」に私は救われました。
当時の私にとっては生死を分ける命綱だったので本当にありがたかったです。
うちの親は裕福ではないので世間一般の感覚では「はした金」でも
彼女が捻出できるマキシマムであることはよくわかってました。
金額の多寡ではなくその気持ちが嬉しくて親の愛情を感じたりしました。

親は私を育てなかった負い目があるのかも知れませんが
奨学金の返済は「私(母)が働ける間は」といって肩代わりしてくれてます。
親が第三者にそのことを吹聴するのは聞いたことがありません。
「私は育てなかった娘の奨学金を返済してますが、一般的な子どもを育てた親のような行動は
娘にとって迷惑になるでしょうか?」みたいに質問を装って良い親アピールする姿は想像できません。

>里子の事はなるべくよそから預ってるお子さんとして接した方がいいのでしょうか?

「赤毛のアン」のマリラとマシューに感銘を受けたのは、彼らに「欺瞞」がないところでした。

自分たちが年老いて農作業がきつくなったので、その手伝いをしてくれる男の子がほしい。
そのかわり、きちんと教育は受けさせる。

そこには「実子のように」だの「家族になる」だのといった「欺瞞」はありません。
「社会貢献したい」とか「一般家庭を経験させてあげたい」みたいなキレイゴトもない。
労使のような「ギブ・アンド・テイク」で成立する関係で始まり
「お母さん」でもなく「叔母さん」でもない「マリラ」と名前で呼び合う関係。

欺瞞のないオトナたちと対等な契約関係にあり、それを両者が納得してたから
アンは「安心」してそこに居場所を見出し、彼らと信頼関係を築けたのではないかしら?
もしマリラが大上段から「孤児に一般家庭の愛情を」などと言ったとしたら
聡明なアンは一瞬で里親の「欺瞞」を見抜いてドン引きしたことでしょう。

ま、アンの時代は「一般家庭」でも子どもを労働力としてアテにしてたし
里子を奴隷のようにコキ使うことは社会的に許容されてました。
当時の孤児院は劣悪な環境で「施設病」が蔓延し子どもの死亡率が高く
里親の下で奴隷労働させられても孤児院よりはマシだったのかも知れず。

でも現代日本の施設はそこらの「一般家庭」よりも恵まれてるし
いまどき「施設病」なんて天然痘レベルの絶滅種で流行らないし。
要保護児童が養育里親に預けられるメリットってあるのかしら?

里親側のメリットならいろいろ考えられますね。
マリラは当初、農作業の手伝い、労働力として里子を欲しがった。
現代日本の養育里親は金銭や労働力、性欲処理が目的でなければ
「里親の精神的充足」のために里子が欲しくて欲しくてタマラナイのよね。
里親が「善意」で「社会貢献」して気持ちよくなるためのツール、
「親に捨てられて施設にいる、おかわいそうな子ども」としての里子。
あるいは、空の巣症候群の寂しさを埋めるペットとしての里子。
さもなければ、大家族気分を楽しむためのエキストラとしての里子。

上から下まで里親の「欺瞞」によって成り立ってる今の「養育里親」制度の中で
アンとマリラのように最初から「欺瞞」のない関係を築けると思いますか?
里親の「ニーズ」を世間にも里子側にも公にして「他人の子」として扱う覚悟がありますか?
「私は低年齢の子ども限定で、措置終了後の責任を問われずに
ペット感覚の気軽な子育てという『趣味』を楽しむ目的で
製造者責任をとらないでいい『他人の子』を預かりましたー」とか公言できますか?
それに対して里子側が(あなたと対等に意見を言える立場で)納得すると思いますか?
その契約のどこに子どもが背負うリスクに釣り合うだけのメリットがあるのでしょうか?
子どもの立場で「養育里親に預けられるメリット」がぜんぜん見えません。

先にも書きましたが「家庭的な養育環境」なら施設で充分可能ですし
子どもを見守る目が多いことから「密室」にならずに安全です。
「養育里親」による児童虐待の発生率は、児童養護施設の約3倍。

施設では「入浴時に男子の股間に象さんの絵を描いた」というケースでも
内部告発によって都道府県に報告され虐待事例としてカウントされますが、
里親家庭における虐待で表沙汰になるのは、重症例か死亡例です。
子どもが入院するほどの重症になるか死亡するまで発覚しません。
今の日本で子どもにとって最も危険な場所が「里親家庭」なんですよ。
たった3千人ほどの母集団から毎年コンスタントに残酷な虐待が発生する制度。
表沙汰にならない虐待の暗数を考えるだけで寒気がします。

一部の里親がやたらと主張する「子どもが施設で養育される弊害」として
「愛着障害」だの「試し行動」だのという言説がありますが
そう主張する里親って「赤毛のアン」の時代の「孤児院」から子どもを預かったのかしら?
現代の乳児院は担当制で1人の保育士が2人ほどの子どもを担当して養育するそうで
固定された養育者から声かけ、抱っこ、授乳、オムツ交換などのケアを受けます。
そこで育てられる子どもたちは担当保育士への後追い行動が普通に見られ
担当保育士が休みの日はずっと不機嫌で泣きつづける子どももいるとか。
しっかりした愛着関係が形成されてる証です。
そうやって「とくに問題ない」「順調に発達してる」とされた子どもが
里親家庭に委託された途端に「愛着障害」とやらになるというのですから
世の中には本当に不思議なこともあるものですね。

どうしても「親に育てられない子ども」のためになにかしたいなら
施設で職員が児童と向き合う時間を増やすために
掃除や洗濯、食後の洗い物などのボランティアでもすればいかがでしょうか?

—-以下、里親希望さんのコメントのコピペ—-

里親希望 より:
2012年4月19日 17:42 (編集)
養育里親を希望している者です。
現在50代の夫婦で、養子縁組をする場合年齢的に難しいようで、里親を希望しています。
ここには里子の経験者がいらっしゃるようなので、お聞きしたいのですが、国などから支給される生活費は里子の為に使わせて貰う事にしても、里親手当については将来里子が大学進学等を考えている際の足しになれば良いかと全額貯蓄しておこうと思ったりしてますが、里子の場合、途中で実親の元に帰って行く事を考えた場合、このような一般的な実親のような行動は、里子にとっても実親にとっても迷惑(重い)になってしまうでしょうか?
又、急に子供をとられてしまう!と言うような、気持ちになってしまって、その時が来てショックをうけてしまわないように、里子の事はなるべくよそから預ってるお子さんとして接した方がいいのでしょうか?
一般家庭と言う物がどういうものか経験させて上げるところとして、里親制度があるのでしょうが、この辺の気持ちの持ちように悩んでしまいます。
児童相談書で相談すれば良いのでしょうが、実際に経験者から聞いてみたくて書き込みました。

—-コピペ終了—-

そんなこと私に質問する暇があれば、子どもと向き合ってケース・バイ・ケースで
その子の個性や特性に合わせた対応をすればいいのにと思いますし
質問を装った「もうひとつの意図」が感じられ、その狡猾さが怖い。
この人が里親になったら・・・と想像すると委託される子どもが気の毒で長文レスを返してしまいましたが
養育里親に立候補するような人は、私がなにを言っても養育里親をやるでしょうね。

「パーマネンシー」は、「恒久性」とか「永続性」を意味する英語です。
児童福祉分野においては、親に育てられない子どもたち(要保護児童)が
施設でもない、里親でもない、恒久的な家庭」で育てられることを意味します。

「パーマネンシー」の理念は、1980年代、アメリカで生まれました。
当時、欧米では多数派だった「里親家庭への委託」のせいで
子供たちに「無用の苦しみ、心の傷」を与えてしまった反省から提唱され、
現在では社会的養護のメインストリームになっています。[*1]

欧米における「パーマネンシー・プランニング」は
要保護児童の「実親家庭への復帰」もしくは「養子縁組」を目的に
親子をワンセットにした支援や養子縁組の斡旋など、さまざまなプログラムが用意されてます。
里親家庭の機能は、限定的かつ短期的な「一時保護所」的な機関として位置づけられており
要保護児童の帰属する家庭でもなければ、疑似親子関係を演じる場所でもありません。
その児童が「恒久的な家庭」に迎えられるまでの「ホームステイ」に過ぎないため
児童に里親を「お父さん、お母さん」と呼ばせることもありません。[*2]

[*1] 【先進国では「里親制度」は縮小廃止→「養子縁組」が主流です】を併せてお読みくださいです。

[*2] 日本では養育里親は無試験・無資格で「希望すれば誰でもなれる」ため
「里親制度」や「パーマネンシー」の理念への理解が低い里親が多数派を占めており
養子にするつもりもないのに里子に「お父さん、お母さん」と呼ばせて喜んでる残念な人が多いのが現状です。

ご無沙汰しております。
本題のみの投稿となります。

EU諸国、カナダ、アメリカの半数以上の州における要保護児童の扱いは
すでに「パーマネンシー・プログラム」が主流となっております。

「パーマネンシー・プログラム」とは「子どもが恒久的な家庭で育てられる」ことを目的とするプログラム。
親に育てられない子どもに「施設でもない、養育里親でもない、恒久的な居場所」を与える制度。
その「恒久的な家庭」として、まずは「実親家庭への復帰」を目指し
それが絶望的な場合は、積極的に「養子縁組」を推し進めてるの。素晴らしいわね。

日本の養育里親とその擁護者は「子どもが施設で養育される弊害」をあげて
「親に育てられない子どもは里親家庭に」と主張しておられますが
日本以外の先進国では「子どもが里親家庭で養育される弊害の深刻さ」が周知されてます。
養子と里子の大規模な追跡調査が行われ、子どもにとっての利益、成長過程における葛藤や精神面の健全性、
彼らが大人になってからの収入や社会的地位、彼らが親になって築く家庭、その安定性などが比較され
あらゆる面において 養子>>>(超えられない壁)>>>里子 という結論が出ています。

それらの先進国では、親が育てられない子どもは早期に「恒久的な家庭」のメンバーとなることを目指し
施設や里親家庭への委託は「短期的、限定的」な措置として最長でも2年以内と定められてるらしいわ。
他人の子どもを短期限定的に預かる人々は「緊急里親」と呼ばれる「有資格者」で
心理学や教育学などの学位取得者を対象に1年間「里親学校」に通って教育訓練を受けた「プロ」なんですって。
日本では里親認定の基準は緩く、生活保護と同等以上の収入があり前科がなければ誰でも里親になれるけど
欧州では大学進学率は10%以下の国が多く卒業も難しいから、学位持ちは「エリート」よ。
同じ「里親」を名乗っていても「誰でもなれる日本」と「エリート家庭の専売特許である欧州」では
そのハードルの高さや生活水準、資質、専門性に雲泥の差があるのね。

そして、物心のついた高年齢の児童や、実親と交流のある児童、家庭復帰が望ましいと見なされる児童の養護は
有資格者の職員が児童をケアする「グループホーム」へと方向転換してるの。
欧米は日本と比べれば「里親委託率」は高いけど、その多くは「親族里親(児童の祖父母、叔父や叔母」で
日本の「養育里親」に当たる「他人の子供を預かる里親」は縮小廃止に向かってるのが「現実」なの。

親に恵まれない子供に「家庭」を与えられるのは「養子縁組」だけなの。
里親制度は「子供に家庭を与える制度」ではないの。
もし、そう主張している人がいたら無知ゆえにカンチガイしちゃってる人なので
ぜひとも「パーマネンシー・プログラム」の理念を教えてあげてくださいね。

ちなみに、故スティーブ・ジョブズ氏は里子だったという流説がありますが、彼は「養子」です。

ある元里子の方(仮名Aさん)の話。

里親の下にいた頃は「里子だから」とレッテルを貼られた。

この「里子だから」には多くの意味がこめられてる。

「かわいそうな子どもだから」
「愛情に飢えた子どもだから」
「複雑な事情を背負った子どもだから」
「不幸な子どもだから」
「ヒドイ親に育てられた情緒障害児だから」
「施設で育ったせいでウソをついたりオトナを苛立たせる障害を持ってるから」
「DQN親のDNAを受け継いだDQN児童だから」

Aさんの言動はすべて「里子だから」という魔法の言葉に結びつけられ
いつしかAさんは里親が貼りつけたこのレッテルを内面化した。

オトナになったAさんが自らの子ども時代をふりかえるとき
自分をみじめに思うようになったのは里親に委託されてからだと気付いた。
それ以前は自分をみじめに思うことはなかった。

Aさんが成長過程で内面化した「みじめさ」は
自称「善意のボランティア*」の里親によって植えつけられたモノだった。

今、Aさんの周囲にAさんが里子だったと知るヒトはいない。
Aさんがミスをすると「ゆとり」「平成生まれ」の言葉に結びつけられる。
イラっとするが「里子」というレッテルを貼られてた頃のような「みじめさ」はない。
Aさんに「ゆとり」のレッテルを貼ってイケズをするヒトは
たとえ年齢や役職に上下はあっても、どんなにイヤなヒトでも
基本的にAさんを「自分と対等なヒト」と見なしてる。
「対等なヒト」として攻撃されれば不快感や怒りは覚えるケド、自尊心は傷つかない。
でも「おかわいそうに」と下に置かれれば自尊心はズタズタになる。

※ ※ ※ ここまでAさん談のまとめ ※ ※ ※

以下、私の感想。

成長過程で健全な自尊心が育たないと自己評価の低いオトナになる。
自己評価の低いヒトは「他者による評価」に異常なほど気をとられる。
「他者による評価」の中のみに生き、神経をすりへらして疲弊する。

この「他者による評価」のみを自己肯定の材料にして疲弊してる段階で
自己の問題を自覚しないで内省を経ないままに年齢を重ねると
「他者による評価」という名の「鎧」でガチガチに全身を覆い
その「鎧」をピカピカに磨き上げるコトに執着するようになる。

「里親の社会的評価」を異常なほど気にかけて血道をあげる里親たちの病理は
彼らの子ども時代に淵源があるのだろうか。

※里親には最低でも年200万円以上(専門里親になると300万以上)の手当てが支給されます。
それとは別途に、里子にかかる経費(医療費、タクシー代などの通院交通費、塾費用、給食費、
学費、進学費用、クラブ活動費、学習指導費、修学旅行費、暖房費、里親宅のリフォーム費、
ベッドやパソコンの購入費などなど盛りだくさん)が支給されます。

※コチラの杉岡博による「里親、女子にわいせつ行為 容疑で無職男を逮捕 滋賀・甲賀署事件」とは、別の事件です。

里子の少女にわいせつ容疑、週末里親の男逮捕

 児童養護施設から「週末里親」として月に数度、里子を預かっていた福岡県の会社員の男(38)が、
預かった10歳代の少女にわいせつな行為をしたとして、福岡県警が3月下旬、準強姦容疑で逮捕していた
ことが捜査関係者への取材で分かった。

 虐待や経済的理由で家庭の養育が難しい子どもたちが最後のよりどころとする里親から性的虐待を
受けていたことに福祉関係者は衝撃を受けている。

 関係者によると、男は2月上旬、自宅で少女に対し、わいせつな行為をした疑いが持たれている。
 容疑を一部否認し、福岡地検は準強姦罪の立証は困難として、児童福祉法(淫行させる行為)違反で
福岡地裁に起訴した。


(2011年5月12日03時00分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110512-OYT1T00134.htm

「里親」が起訴内容認める、少女にわいせつ行為

福岡県内の児童養護施設で暮らす10代の少女を自宅で「週末里親」として預かり、
わいせつな行為をしたとして、児童福祉法違反(淫行させる行為)の罪に問われた同県の
会社員田平昭一被告(38)の初公判が23日、福岡地裁(深野英一裁判官)で開かれ、
田平被告は「間違いない」と起訴内容を認めた。

 検察側は、被告が昨年末から、知的障害のある少女を裸にして体を触るなどの行為を
エスカレートさせ、みだらな行為を5、6回繰り返した
と指摘。
「家庭の温かさを教えるボランティアの立場を悪用した、極めて卑劣で悪質な犯行だ」として、
懲役2年6月を求刑した。判決は6月3日。

 被告人質問で田平被告は「妻と死別し、少女に恋愛感情を抱いた。施設からも信頼されていた
ので、大変申し訳ない」と話した。

 施設には虐待などで親と暮らせない子どもが入所。被告は、子どもに家庭の雰囲気を
体験させるため一時的に預かる「週末里親」のボランティアに、2008年から夫婦で参加していた。

 起訴状によると、田平被告は今年2月7日、里親として少女を自宅で預かり、下半身を押しつけるなどみだらな行為をした、としている。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110524/dms1105241244008-n1.htm

りさりさんのブログの書籍化につづいて嬉しい情報が。

千代子さんの「里親から里子への児童虐待」サイト
「社会福祉法人 社会福祉協議会」が発行している
「新 保育士養成講座 第5巻 社会的養護」に掲載されました。

詳しくはコチラ。
http://childabuse.blog61.fc2.com/blog-entry-99.html

千代子さんのサイトは里親推進派から「捏造サイト」呼ばわりされたり
いわれもない中傷を受けたこともありました。
このたび保育士さん向けの社会的養護の教本に採用されたのは
千代子さんのサイトの正当性や資料的価値が認められた証。

また、りさりさんもご自身のブログで語っておられますが
社会福祉協議会が千代子さんのサイトの趣旨を踏まえた上で資料として採用したことは
そこになんらかの「メッセージ」がこめられてると感じます。

いままでタブー視されてた里親制度の闇の部分に触れる記事が
全国紙の紙面やウェッブ版にもチラホラながらも取り上げられはじめてます。

千代子さん、りさりさん、そして、たまさん。
他力本願で恐縮するばかりですが、この方々のおかげで確実に前進してます。
この問題に関心を持っていただいたすべての方に、心からの感謝を捧げます。

当ブログで紹介させていただいてるりさりさんのブログ「ぬるく愛を語れ!」が書籍になりました。

「いつか見た青い空」

ブログに掲載してない書きおろし作品もあり、いろいろと考えさせられる一冊でした。

極論をいうと子どもの健全な成長に必要なのは「お父さん」でも「お母さん」でも「家庭」でもなく
「愛情」と「安心できる環境」と「信頼できる世界」なのでは?

世間の大多数の人々にとって、それらは家庭とイコールになってるので
子どもは家庭で育てられるべき的な固定観念があるケド
愛情がない家庭、安心できない家庭なら、ないほうがマシ。
愛情と安心があれば家庭というカタチにこだわる必要はない。

ヒトと四つ足を一緒くたにするつもりはないケド、
母系家族集団で群れを形成するライオンも、チンパンジーのような霊長類も
なんらかの事情で親が育てられずにヒトの手による人工哺乳で育った個体は
その種族として適切な求愛行動や繁殖行動ができないとか
野生復帰は絶望的だといわれてた時代があったの。

でも最近は、ヒトの手で人口哺乳で育てられた個体でも
子ども時代に同じ種族の子どもと遊んだり一緒に育てられてれば
成体になってから群れへの復帰や野生復帰がスムーズになり
求愛行動や繁殖行動も問題なく行えることが明らかになってるの。

子どもにとって本当に必要なモノはなにか。

親が育てられない子どもにとってモアベターな養育環境とはなにか。

家庭とか両親とかってカタチにとらわれず、子どもたちの生の声に耳を傾けて
彼らが本当に必要とする社会的養護を提供してほしいものです。

「こうあるべきだ」的なオトナのエゴの押しつけではなく
子どもたちが本当に必要とするものを、子ども目線で。

P.S.
たくさんのコメントありがとうございます。
モデレーションとレスが滞ってますが、すべて読んでます。
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