「金目当て」タグのついた投稿

私は里子として里親の家を転々と渡り歩いた経験があるの。
その経験から里親による里子虐待や不適切養育は
かなりの高確率で行われてると確信してるの。
里親の家における里子の扱いの実態調査が行われたことはないし、
仮に調査が行われたとしても里親たちは都合の悪いことは隠して
キレイゴトばかりならべたてるのは目に見えてるから、
里親の自己申告によるアンケートは信憑性がないし、
里親の家に隠しカメラでも仕込んで日常生活を監視しないかぎり
ほんとうの「実態」は永遠に闇の中でしょうけど。

里親制度の実態を知らない一般人の中には
里親推進派の垂れ流すプロパガンダにすっかり騙されて
里親家庭は「安全な場所」と思い込んでる人がいるみたいだけど、
当の里親たちや児童相談所のワーカーをはじめとする
「里親制度の実態に肉薄する人々」は
里親家庭こそ虐待・不適切養育の温床であると「知ってるハズ」なの。
虐待の現場を目撃したことはなくても薄々なにか感じてるハズよ。
ほんとうになにも知らない、なにも問題を感じてないと言い張るなら、
児童福祉の専門職として、もしくは里親としての資質を疑うわ。
もし彼らが「虐待・不適切養育」であるという認識を持たずに
里子を虐待したり不適切養育したり、それらを見逃してるとすれば、
子どもをアザになるほどブン殴って「しつけ」と言い張る虐待親と同じよ。
少しでもヒトらしい感情が残ってるなら、資質のない税金ドロボーは
今すぐ里親もしくはワーカー業を返上していただきたいわね。

里親推進派の垂れ流すプロパガンダのひとつに
「施設は虐待があるから、施設の養育は不適切だから、
保護児童は里親家庭に措置しろ」というモノがあるけど、
施設より里親家庭のほうが子どもが虐待されるリスクは高いと思うの。
実親家庭、一時保護所、児童養護施設、里親家庭のなかで、
里親家庭ほど危険な場所はないと思うわ。
施設における虐待はまれに表沙汰になってニュースになるけど、
虐待が発覚するきっかけのほとんどは施設職員による内部告発なの。
里親家庭は施設より密室性が高くて内部告発する職員がいないから
虐待の発見が困難で、なかなか表沙汰にならないだけなの。
虐待とまではいかない「不適切養育」についても、
里親家庭における不適切養育と施設における不適切養育を比べて
里親のソレのほうが施設よりマシとする論拠はあるのかしら?
「施設養育は不適切だから、里親家庭に」と主張するなら、
その主張の大前提となる「すべての里親家庭で里子が適切に養育されてる」
「里親家庭で不適切な養育を受けた子どもは、施設のそれと比べてダメージが軽い」
という仮説の正当性を裏付ける根拠を提示していただきたいわね。
100分の1くらいの確率で当たるかも知れない奇跡の里親家庭と
何十年も大昔の最底辺施設を比べて「里親家庭の利点」を並べ立てて、
里親制度の実態を知らない一般人を洗脳するヒマとエネルギーがあるなら、
そのヒマとエネルギーを今ある里子虐待を減らす方向に使えばいいのに。
そもそも、里親の家で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみと、
施設で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみを比較して、
どちらがマシかなんて不幸自慢すること自体がナンセンスきわまりないわね。

里親制度の実態を知らない一般人が里親家庭を神聖視する理由のひとつに、
「血の繋がった我が子でも思いどおりに育たなくて大変なのに、
他人の子を育てるのはさぞ大変なことだろう、
その苦労をすすんで引き受ける里親はマザー・テレサのような
立派な人格者にちがいない」という里親幻想があると思うの。
このような「里親幻想」を抱く人々は、もし自分が里親になったら、
里子に対して「我が子と同じように」愛情をそそぎ、実子と分け隔てなく育て、
実の親子のように一生涯にわたって里子と関係を持ち続ける前提で考えて、
「自分にはムリ」→「里親ってスゴイな」という結論に至ると思うの。
一般人の多くは里親に手当が支給されることも知らないし、
手当が支給されることを知ってたとしても、
人ひとりの人生を左右する「責任の重さ」を前にしたら、
どれだけ大金を積まれても割に合わないと思うのは当然だわ。
私だって自分にできないことを実践してる人物は素直に尊敬するもの。
でも残念ながら、私の知ってる里親たちは、
里親制度の実態を知らない一般人が考えるような「責任の重さ」とは無縁だったわ。
里親たちにとって、里子の人生は、すごく軽いの。
犬を飼うより軽いかも知れないわね。
死なない程度にエサを与えて、寝床と着る物をあてがって、
あとは気分で怒鳴ったり殴ったりしてればいいの。
彼らにとって里子というのは、その程度の生き物なの。
暴力と恐怖と食べ物を使えば、子どもを「ねじ曲げる」のは簡単なの。
だからこそ、マトモな一般人には「割に合わないこと」でも、
お金目当ての里親たちはじゅうぶん採算がとれてるの。

長々と書いてしまったけど、私が伝えたいことは表題にあるとおり、
実体のない「里親幻想」を捨てて、里親家庭を神聖視するのはやめて、
里親家庭にも虐待はあるという認識で里子たちを見守ってほしいってことなの。
虐待を発見したらどうするか、どうすれば当該児童を危険にさらさずに
里親家庭という危険な闇から救いだせるかはケース・バイ・ケースで
容易に答えを提示できるものではないけれど・・・

皆さんは「里親団体」と聞いて、どんな団体を思い浮かべるかしら。
子どもを守る団体? 啓蒙団体? 里親の質向上に努める団体? 
悲しいことだけど「里親団体」といわれる団体は
皆さんが思い描くような「慈善の精神に満ちあふれた団体」ではないの。
その実態は「慈善の精神」とは遠くかけはなれた「里親の利権を守る団体」で、
里親手当の「賃上げ」を行政に詰めよるのが彼らのおもな「お仕事」なの。

彼らの要求どおり里親に支給される手当は年を追うごとに着実に増えつづけ、
今年も増額されたらしいけど、彼らはさらなる「賃上げ」を求めてるらしいの。
まあ、里親の労働組合と考えればわかりやすいわね。
彼らが求める「里親手当の増額」は、どこからどう見たって明らかに
里子を世話するという「労働」に対する「報酬」の「賃上げ」なのに、
どういうワケか里親たちは絶対にそうと認めないの。
里子にかかる生活費や諸手当は「里親手当」とはべつに支給されるの。
里親団体が賃上げを要求してるのは「里子の養育費」ではなく「里親手当」なのに
彼らは「里子のために」という冠をつけて「里親手当」の増額を要求してるの。
「里親の利益のため」ではなく「子どもたちのため」という大義名分の下、
里親に支給される「里親手当」の増額を要求してるの。

里親は「慈善の精神で里子を育てるボランティア」だから
里親手当の増額を求めるのは、里親のフトコロを潤すためではないのね。
親に育てられない「かわいそうな子どもたち」に1人でも多く
あたたかい家庭(笑)をあたえてあげたいから賃上げ要求してるのね。
子どもたちのため里親を増やすために里親手当の増額を求めてるのね。
自分たちがお金が欲しいから賃上げを要求してるのではないのね。
・・・アホくさ。

今春も「里親を増やすため」という口実で里親手当が増額されたらしいけど、
そもそも里親は不足してないの。むしろ、あまってるの。
全国の里親希望者は7千人、うち里子が委託されてる里親は2千人にとどまり、
里親登録者の半数以上が登録はしたけど里子が委託されない開店休業状態なの。

その点を指摘されると里親推進派は口をそろえて
「育てないクセに里子に出したがらない実親」のせいにするけど、
「里親は里子を選ぶこと」については一切ふれないの。
決して安くない「労働対価」を税金から受け取って里子を預かるのに、
まるでペットショップのショーウィンドウの中の犬や猫を選ぶかのように
里親は子どもの年齢や性別はもちろん、あれこれ条件をつけて子どもを選ぶの。
里親が里子を選ぶことには口をつぐんで、都合の悪いことは実親のせいにするの。
いくら里親の数を増やしても、里親が子どもを選ぶかぎり委託率は上がらないし
お金欲しさに里親になる人が増えても、里親の質向上に繋がらないわ。
里親全体の質が低く、悪質な里親がベテラン面して大手を振ってる現状では
里親の頭数を増やせば増やすだけ「不幸な里子」を増やすだけなの。
そして現状は、里親が不足してるのではなく、里子が不足してるの。
というか、里親が欲しがるタイプの子はそうそういないの。
「かしこく、かわいく、アレルギーや障害や持病が一切ない健康優良児で、
実親との別離経験の記憶がなく、手のかからない子ども」が不足してるの。

里親団体の飽くことない貪欲な「賃上げ」要求を見てると、
彼らが「子どものために」とそれをやってるとは思えないの。
子どものしあわせは二の次で、お金が欲しいだけにしか見えないの。
お金欲しさに「かわいそうな子どもたち」を利用してるようにしか見えないの。
本心から「1人でも多くの“かわいそうな子ども”に家庭を与えたい」と思うなら、
賃上げ要求の前に「里親は里子を選ぶなキャンペーン」でもすればいいのよ。
実親が精神障害であろうと薬物中毒であろうと犯罪者であろうと
子ども自身が障害児であろうと持病があろうと重いアレルギー体質であろうと
どんな子だろうが選ばないで引き受けて育てればいいのよ。

誤解を承知で私の個人的な見解をいわせてもらうと
里親が里子を育てる労働対価を受け取ること自体に文句はないの。
そこが自分の「帰る家」ではなく、家族でもなく、15歳か18歳になったら縁切れして
ひとりで社会に出て行かねばならないのは里親の家も施設も同じコトだもの。
里親が社会人として責任もって「里子を育てる」という仕事をしてるなら
堂々と胸を張ってそう主張すればいいのよ。
それなのに世間の一般人からは見えないところでコソコソ賃上げ要求をして、
賃上げ要求の大義名分に「親に育てられないかわいそうな子どもたち」を利用する、
そのやり方の狡猾さがハタから見ると滑稽きわまりないのよ。
ビジネスとして里子を育てることに文句はないけど、
それならそれでプロ意識をもってキチンとお仕事をしてほしいのよ。
商品である子どもを選んだり、ロクに世話もしないで給料ドロボーしたり、
里子に支給される手当をネコババしたりしないでほしいの。
報酬をもらってビジネスとして里子を育てることは否定しないけど、
「家族になる」だの「家庭を与える」だの、そういう欺瞞はやめてほしいの。
本当に家族の一員なら、親は「子どもを育てる労働対価」を国に要求したりしないの。
「報酬をもらって子どもを世話する人」を「家族」と呼ぶことに違和感を持たない人や
「報酬をもらって子どもを預かること」を、本気で「子どもに家庭を与える」と
なんの迷いもなく言い切れる感性の持ち主は、里親にならないでほしいわね。

私は、顔や体に傷や痣がある事が、珍しくありませんでした。
里親に強く掴まれる、物を投げ付けられる、殴られる、蹴られる、
その弾みで壁や家具にぶつかる、転倒する等、体罰の所為でした。

3、4年生の時の担任、N先生は、私を気に掛けていました。
顔や腕、外から見える部分が腫れていたり、傷や痣があると、
「その傷はどうしたの?」と質問を受けました。
手指の皮が剥けて、赤くなっている事に気付いて、
保湿クリームやオロナインを塗ってくれる事もありました。

約十年程前の出来事ですので、教育や医療の現場で、
児童虐待は、現在より問題視されていなかったと思います。
先生が、里親が私を大事にしていないと気付いている事は、
子供ながらに察知していました。

私は虐待を受けている事を、隠さなければなりませんでした。
先生の配慮を、煩わしく感じていました。

3年生の時、先生がB宅を訪問した事がありました。
先生が帰ってしまうと、里親は酷く不機嫌でした。
私は八つ当たりをされる事に怯え、里親の顔色を伺い、
彼らを刺激しないよう気を付けて、ビクビクしていました。

言動を慎重にして、家事を普段よりも用心深く、丁寧にしましたが、
難癖を付けられ、暴言を浴びせられ、手酷く折檻されました。
その様な経緯があり、私は先生に来て貰いたくありませんでした。

その後、先生は2回、B宅を訪れました。

女里親は堂々として、自信に満ちた話し方をする人でした。
人の前では生き生きとして、人を魅了する手管に長けていました。

「はきはきとした物言い」
「大らかで裏表のない人柄」
「男のような、さばさばした性格」
「気取らない下町風の母親」

それが、里親の対外的な評価でした。
彼女が、「子供は汚すのが仕事、着飾らせる必要はない」と主張すれば、
私のくたびれた服装も、愛情故の「教育上の信念」として通用しました。

私がよく怪我をしている事についても、
里親は言葉巧みに、先生や周囲の人々を納得させていました。

B宅に委託される以前の、私の生い立ちや生活歴を捏造し、
学校では大人しいが、家では反抗的、言う事を聞かない、嘘を吐く、
お金を盗む、何度注意しても同じ事を繰り返す、暴力を振るう、
物やペットに八つ当たりをする、破壊行動をする、
わざと悪い事をする、注意すると癇癪を起こす、
思い通りにならないと実力行使に訴えて暴れる等、
数々の問題行動をしていると、虚偽の説明をしました。
それらの問題は、里子に多く見られる特徴であると、力説しました。

「生まれつき悪い子はいません、あの子が育った環境が悪過ぎたのです」
「あの子の里親は、我々が初めてではありません。
以前は別の里親に育てられていましたが、彼らの手に負えなくなり、
追い出された所を、我々が引き取る事にしたのです」
「愛情を試しているのです、信頼関係が出来始めた証だと信じています」
「あの子が本気でぶつかって来るので、私も本気で受け止めます」
「里子を育てるのは体力勝負です、毎日が戦争です」
「あの子が腕力で訴えて来るので、掴み合いになる事もあります」
「大変ですが、家族になる為のプロセスだと信じています」
「一番苦しんでいるのは、あの子だと思います」
「先生、どうか長い目で、あの子を見守ってあげて下さい」

里親が先生に話す声を、私は階段に立って聞いていました。
そのような状況に置かれた里親が、いつもそうするように、
説得力のある口調で、表情豊かに、時には目に涙を浮かべたり、
悲し気に目を伏せたりしながら話す様子が、目に浮かぶようでした。

先生が帰る時、私は里親に呼ばれました。
並んで玄関先に出て、先生を見送りました。

先生の姿が、曲がり角の向こう側に見えなくなると、
里親に背中を押されて、家に入りました。

地獄の始まりでした。

私は学校で浮いていました。
身の上や性格よりも、先ず見た目が異質でした。

服は何年も前の型の、古いお下がりでした。
里親に新しい服を買って貰った事は、一度もありませんでした。

頭髪は、里親が切っていました。
美容院に連れて行って貰った事は、一度もありませんでした。
洒落っ気のない散切りのおかっぱを、頭の後ろでゴムで束ねていました。
バレッタやヘアピン、シュシュ等、髪飾りは一つも持っていませんでした。

女の子はませていて、小学生でもお洒落に気を使いますし、
流行に興味を持ち、ファッションに拘りを持つようになります。
同級生の女子は、皆、気の利いた服装や髪型をしていました。
私は彼女達と自分を比べて、恥ずかしいと思っていました。

お風呂は、冬は週に1回、夏は2回か3回でした。
頭髪はフケが出て、汗や皮脂でベタベタになりました。
前髪やサイドは冬でも水で洗ったり、濡れたタオルで拭いたり、
少しでも清潔にしようと心掛けていましたが、
子供は正直で残酷な生き物なので、「頭が臭い」と言われました。

漂白剤や洗剤を手袋を装着せずに使い、ケアをしなかったので、
季節問わず手は荒れて、ガサガサに罅割れていました。
暖かい季節でも、皮が剥けて、痒痛に悩まされていました。
冬になると、手が真っ赤になり、酷い垢切れになりました。
垢切れが深く割れて、出血する事もありました。

4年生になると、私の学校生活は、益々惨めになりました。
「臭い」「汚い」「フケが出ている」「貧乏」等々、悪口を言われ、
一部の真面目で大人しいグループを除いて、仲間外れにされました。
私は捨て子で、ゴミ捨て場の生ゴミの中に捨てられていた等、
身の上について、根も葉もない噂を流されました。

同級生の中で、特に意地悪なグループは、
私に「生ゴミ」と仇名を付けて呼びました。

2009-08-03 15:59:48 | マロンの里親宅体験記

B宅は細かいルールが沢山ありました。
私は小さなルール違反を沢山犯しました。

入浴時間は30分以内がルールでしたが、オーバーする、
トイレを済ませた後、電気を消し忘れる、
家の中で走ってはいけないルールを忘れて、階段を駆け上がる等々、
慣れるまで、よくルールを破りました。

小さなルール違反も、体罰の対象でした。
顔を平手で打たれる、布団叩きや定規で臀部や背中を叩かれました。
足音がうるさいと言う理由で、壁に叩き付けられた事もありました。

6時半の起床時間に自力で起きられず、里親に起こされるのもルール違反でした。
寝坊の罪に対する罰は、平手打ちと朝食抜きの刑でした。

学校に行くまでの間に、食器を洗って片付けるのは、私の役目でした。
慣れるまではオーバーして、よく遅刻していました。

食器洗いと片付け、トイレと浴室と玄関の掃除が、私に決められた仕事でした。
それ以外に、里親に言いつけられる都度、家事を手伝いました。

子供だったので、慣れるまで、家事が上手く出来ませんでした。
浴槽の垢を洗い残した、食器の油汚れが落ちていない等、
家事が上手く出来ないと、罰を受けました。
食事を抜かれる事もあり、週に2回は夕食を食べられない日がありました。

慣れてくると、炊事以外の家事の大半は、私が担当する事になりました。
朝は忙しく、洗濯機を回してから身支度と食事を済ませ、
洗濯した物を干し、食器を洗って片付けなければなりませんでした。
洗濯物が多くて干すのに手間取ると、学校は遅刻でした。

家中の掃除も私の仕事でした。
窓に手垢が残ってる、ゴミが残ってると言われては、罰を受けました。

少しでも不服そうな表情や態度を見せると、
「お前の為に、厳しくしてるんだ」
「だらしない女のガキだから、だらしないのか」
「どこの馬の骨かもわからない私生児をうちに置いてやってるのに、感謝の気持ちはないのか」
「うちが嫌なら出て行け。乞食でもしてろ」等、罵られました。

一生懸命家事をやっても、粗を捜しては、私を罵り、殴りました。
ありがとうと言われた事、褒められた事は、一度もありませんでした。