里親の家に措置される児童は、親がいないと思われていますが、
現在は、ほとんどの児童に実の親がいて、家族がいます。
要保護児童の内、天涯孤独の孤児は、ほんの一部です。
私が、里親の家に措置されていた経験のある方々と
交流を持つようになったのは、ここ1年程の事です。
それまでは、私が知っている里子経験者は、
同じ里親の家に措置されていた子のみで、
彼らとは、一人を除いて交流はありません。
里親の家に措置された経験のある方々と知り合い、
経験や思う事を語り合い、親交を深める内に分かった事は、
彼ら全員に親がいて、定期的に会ったり連絡を取り合い、
親や親族と良い関係を築いていたり、
関係をより良い物にして行こうと努力していたり、
良い関係とは言えないまでも、アパートを借りたり転職する際の
身許保証人になってくれる程度の関係は、保っている事でした。
これは、また別の見方も出来ます。
元里子の内、「SNSやスカイプ等のネット資源を上手く活用し、
同じ経験を持つ者同士で交流を図ろうとする意思を持ち、
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙している者」は、
程度の差はあれ、「実親のサポートを受けている」と解釈出来ます。
食べて行くだけで精一杯、明日どうなるか分からない生活では、
ただ生きて行くだけで消耗して、エネルギーを使い果たし、
自分の内面の問題にかまけている余裕はありません。
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙する為には、
精神的にも経済的にも、ある程度の余裕が必要なのです。
生憎私は、親との関係は、決して良好ではありません。
会えば喧嘩になり、不愉快になって、冷たく別れる事もあります。
それでも、双方共に交流を断絶しようとせず、
言い争いをしたり不愉快になりながらも、付き合い続けているのは、
本物の親子だからだと思います。
ここで言う「本物の親子」とは、血の繋がりは勿論、
法的な親子関係があると言う意味です。
実の親子関係は、法的に離縁する事は出来ません。
ドラマや映画等で、親が子に「勘当だ」と言うシーンがありますが、
「勘当」は社会通念上のみ存在する概念で、
法的に実の親子が縁を切ることは、一つの例外を除いて不可能です。
日本の法律で唯一、実の親子の絶縁が認められているのは、
特別養子縁組で、子が別の夫婦の特別養子になった場合に限られます。
「血は水よりも濃い」と言う言葉がありますが、
いがみ合いをしながらも切り捨てる事が出来ない、
良くも悪くも切っても切れないのが、
実の親子関係であり、親子の縁だと思います。
里親の家に措置された経験のある友人の中には、
虐待のない里親家庭で育った方もいます。
しかし、自立後も里親と連絡を取り合っている方は、皆無です。
また、愛情いっぱい育てられて幸せになった元里子の方が、
「愛情いっぱい育てられている里子達はほんの一握り」と仰っておられるのを読むと、
里子を虐待・不適切な養育をする里親が多い現実が、浮かび上がって来ます。
里子経験者の話を聞くと、親に育てられなかった事で、
親を責めていたり、責めていた過去を持っています。
私も、親を責め、恨んだ時代がありました。
未だに親と口論して、頭に血が上ると、
「私を捨てた癖に」と、思う事があります。
「育てなかった癖に、親面しないでよ」と、言ってしまった事もあります。
その所為で、その場の雰囲気が険悪になってしまった事もあります。
妊娠中絶反対、里親や養親を推進するサイトで、
「子供を育てなくても、捨てる事にはならない」と言うような内容の言葉が
書かれていたのを見た事があります。
「事情があって子供を育てられないなら、
里親や養親を探して子供を手放すのも親の愛情であり、
親の責任の果たし方の一つ」と言う意見も、よく見かけます。
これらの意見について、この場で私見を述べるのは控えさせて戴きますが、
いかなる事情があれ、子供を手放した親、特に母親は、一生その責めを負います。
親が子供の養育を違法に放棄すると、保護責任者遺棄罪になりますが、
児童相談所等の公的機関を通じて、子供の保護を行政に要請した場合、
親は法的な責任は問われない事になっています。
法的な責任は問われなくても、
親は「子供を捨てた事」「育てなかった事」への責めを負います。
子供に責められ、社会的な責めも負います。
親が自らの手で、きちんと子供を育てた場合も同様です。
思春期になって非行に走ったり、社会に上手く適応出来なければ、
親は育児の結果の責任を問われます。
成人した子供が犯罪行為をして、新聞沙汰になれば、
親は社会的に抹殺されたも同然の立場に追い込まれるでしょう。
子供の人生に責任を負い、死ぬまで背負い続けるのが、親なのです。
しかし、里親はどうでしょうか。
里親の虐待や不適切養育の結果、里子が問題行動を呈したとしても、
里親が責任を問われる事は一切ありません。
思い通りに育たなければ措置解除して追い出せば、一件落着です。
責任を問われないばかりか、「手の掛かる子」「難しい問題児」を養育したと評価され、
里親の輝かしい実績にカウントされるのです。
措置終了後、里親は里子への責任を一切負いません。
里親の養育の結果、元里子が精神的なトラブルを抱えて苦しもうが
その所為で自殺しようが野垂れ死のうが犯罪に走ろうが
里親の知った事ではないのです。
親と里親の責任の重さの違いは、比べるまでもありません。
里親制度はあくまで社会的養護の一環に過ぎないからです。
施設出身者が犯罪を犯しても、その人が育った施設の職員が
それまで暮らしていた地域社会に村八分にされ、
居たたまれずに引っ越した、と言う話は、聞いた事がありません。
里親の責任は、施設職員のそれと同程度で、
親が背負う責任とは比べようもないのです。
養子縁組里親は、養子縁組をする前提で里子を引き取ります。
法的に親子関係になる事は、実の親と同じ重みの責任を背負う事であり、
里子と血の繋がりはなくても、家族になる用意がある事を意味していると思います。
しかし、養育里親は、養子縁組を前提としないホームステイに過ぎません。
措置終了までの期限付きの養育で、且つ、養育の結果に責任は負いません。
他人の子に、我が子に対するのと同じ重さの責任は取りません、
里子にそこまで責任は取れませんと、半ば公言しながら育てているのと同じです。
そのような養育人を、親や家族と呼ぶのは無理がある、
その条件付きの養育環境を、家庭と呼ぶのは無理があると思うのは、
私だけでしょうか?