「養育家庭」タグのついた投稿

夏休みや冬休みは、憂鬱でした。
一日中里親の家で、彼らの悪意に晒されて過ごすのは、苦痛でした。
給食を食べられなくなる事は、当時の私には、とても辛い事でした。

私の学校生活は、惨めな物でした。
同級生に仲間外れにされ、親しい友達はいませんでした。
男子に苛められ、意地悪な女子のグループにも苛められていました。

それでも、学校は逃げ場でした。
里親の家より、安心して過ごせる場所でした。

長期休暇中は、一日も早く学校が始まるのを心待ちにしていました。
家庭で育てられている子供達が、夏休みや冬休みが大好きな事を、
羨ましく思うと同時に、子供ながらに漠然と、
彼らと私の間にある超えられない壁、
身分の違いのような物を、感じていました。

夏休みや冬休みになると、里親の実子達が
彼らの子供達を連れて、里親宅に遊びに来ました。
その事が、私の憂鬱を深くしました。

里親の親は、長年里親をやっているベテランで、
里親の親族に、里子は特殊ではなく、身近な存在のようでした。

彼らは、明治時代の地主が、小作人の奉公人に接するように、
私に接しました。
彼らには、それが自然な振る舞いでした。

里親の親族が集まると、里親の親達の世代が、
里子達をどのように扱っていたか、話を聞かされました。
彼らの話によると、里子は奉公人より低い身分とされ、
奴隷のような待遇を受けていたようです。
当時は、それが普通だったと言われました。
それに比べて、「お前は恵まれている」
「今の里子は幸せね」等、言われました。

里親家族と里子が、同じテーブルでおせちを食べる事は、
里親達にしてみれば、慈悲深い恩恵を施す行為でした。
私は、身に余る光栄として、その恩恵を受け止めなければなりませんでした。

里親の実子の中には、私にお年玉をくれる人もいました。
しかし、里親の実子の子供達と、同じ金額ではありませんでした。
里親の親族の子供達は、学年によって5千円から2、3万円を貰っていましたが、
私は、5百円か1000円でした。
それでも口々に「良かったわね」「今の里子は幸せね」と言われ、
私自身も、そう信じていました。

私は里子として里親の家を転々と渡り歩いた経験があるの。
その経験から里親による里子虐待や不適切養育は
かなりの高確率で行われてると確信してるの。
里親の家における里子の扱いの実態調査が行われたことはないし、
仮に調査が行われたとしても里親たちは都合の悪いことは隠して
キレイゴトばかりならべたてるのは目に見えてるから、
里親の自己申告によるアンケートは信憑性がないし、
里親の家に隠しカメラでも仕込んで日常生活を監視しないかぎり
ほんとうの「実態」は永遠に闇の中でしょうけど。

里親制度の実態を知らない一般人の中には
里親推進派の垂れ流すプロパガンダにすっかり騙されて
里親家庭は「安全な場所」と思い込んでる人がいるみたいだけど、
当の里親たちや児童相談所のワーカーをはじめとする
「里親制度の実態に肉薄する人々」は
里親家庭こそ虐待・不適切養育の温床であると「知ってるハズ」なの。
虐待の現場を目撃したことはなくても薄々なにか感じてるハズよ。
ほんとうになにも知らない、なにも問題を感じてないと言い張るなら、
児童福祉の専門職として、もしくは里親としての資質を疑うわ。
もし彼らが「虐待・不適切養育」であるという認識を持たずに
里子を虐待したり不適切養育したり、それらを見逃してるとすれば、
子どもをアザになるほどブン殴って「しつけ」と言い張る虐待親と同じよ。
少しでもヒトらしい感情が残ってるなら、資質のない税金ドロボーは
今すぐ里親もしくはワーカー業を返上していただきたいわね。

里親推進派の垂れ流すプロパガンダのひとつに
「施設は虐待があるから、施設の養育は不適切だから、
保護児童は里親家庭に措置しろ」というモノがあるけど、
施設より里親家庭のほうが子どもが虐待されるリスクは高いと思うの。
実親家庭、一時保護所、児童養護施設、里親家庭のなかで、
里親家庭ほど危険な場所はないと思うわ。
施設における虐待はまれに表沙汰になってニュースになるけど、
虐待が発覚するきっかけのほとんどは施設職員による内部告発なの。
里親家庭は施設より密室性が高くて内部告発する職員がいないから
虐待の発見が困難で、なかなか表沙汰にならないだけなの。
虐待とまではいかない「不適切養育」についても、
里親家庭における不適切養育と施設における不適切養育を比べて
里親のソレのほうが施設よりマシとする論拠はあるのかしら?
「施設養育は不適切だから、里親家庭に」と主張するなら、
その主張の大前提となる「すべての里親家庭で里子が適切に養育されてる」
「里親家庭で不適切な養育を受けた子どもは、施設のそれと比べてダメージが軽い」
という仮説の正当性を裏付ける根拠を提示していただきたいわね。
100分の1くらいの確率で当たるかも知れない奇跡の里親家庭と
何十年も大昔の最底辺施設を比べて「里親家庭の利点」を並べ立てて、
里親制度の実態を知らない一般人を洗脳するヒマとエネルギーがあるなら、
そのヒマとエネルギーを今ある里子虐待を減らす方向に使えばいいのに。
そもそも、里親の家で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみと、
施設で不適切な養育を受けた結果、味わう苦しみを比較して、
どちらがマシかなんて不幸自慢すること自体がナンセンスきわまりないわね。

里親制度の実態を知らない一般人が里親家庭を神聖視する理由のひとつに、
「血の繋がった我が子でも思いどおりに育たなくて大変なのに、
他人の子を育てるのはさぞ大変なことだろう、
その苦労をすすんで引き受ける里親はマザー・テレサのような
立派な人格者にちがいない」という里親幻想があると思うの。
このような「里親幻想」を抱く人々は、もし自分が里親になったら、
里子に対して「我が子と同じように」愛情をそそぎ、実子と分け隔てなく育て、
実の親子のように一生涯にわたって里子と関係を持ち続ける前提で考えて、
「自分にはムリ」→「里親ってスゴイな」という結論に至ると思うの。
一般人の多くは里親に手当が支給されることも知らないし、
手当が支給されることを知ってたとしても、
人ひとりの人生を左右する「責任の重さ」を前にしたら、
どれだけ大金を積まれても割に合わないと思うのは当然だわ。
私だって自分にできないことを実践してる人物は素直に尊敬するもの。
でも残念ながら、私の知ってる里親たちは、
里親制度の実態を知らない一般人が考えるような「責任の重さ」とは無縁だったわ。
里親たちにとって、里子の人生は、すごく軽いの。
犬を飼うより軽いかも知れないわね。
死なない程度にエサを与えて、寝床と着る物をあてがって、
あとは気分で怒鳴ったり殴ったりしてればいいの。
彼らにとって里子というのは、その程度の生き物なの。
暴力と恐怖と食べ物を使えば、子どもを「ねじ曲げる」のは簡単なの。
だからこそ、マトモな一般人には「割に合わないこと」でも、
お金目当ての里親たちはじゅうぶん採算がとれてるの。

長々と書いてしまったけど、私が伝えたいことは表題にあるとおり、
実体のない「里親幻想」を捨てて、里親家庭を神聖視するのはやめて、
里親家庭にも虐待はあるという認識で里子たちを見守ってほしいってことなの。
虐待を発見したらどうするか、どうすれば当該児童を危険にさらさずに
里親家庭という危険な闇から救いだせるかはケース・バイ・ケースで
容易に答えを提示できるものではないけれど・・・

里親の家に措置される児童は、親がいないと思われていますが、
現在は、ほとんどの児童に実の親がいて、家族がいます。
要保護児童の内、天涯孤独の孤児は、ほんの一部です。

私が、里親の家に措置されていた経験のある方々と
交流を持つようになったのは、ここ1年程の事です。
それまでは、私が知っている里子経験者は、
同じ里親の家に措置されていた子のみで、
彼らとは、一人を除いて交流はありません。

里親の家に措置された経験のある方々と知り合い、
経験や思う事を語り合い、親交を深める内に分かった事は、
彼ら全員に親がいて、定期的に会ったり連絡を取り合い、
親や親族と良い関係を築いていたり、
関係をより良い物にして行こうと努力していたり、
良い関係とは言えないまでも、アパートを借りたり転職する際の
身許保証人になってくれる程度の関係は、保っている事でした。

これは、また別の見方も出来ます。
元里子の内、「SNSやスカイプ等のネット資源を上手く活用し、
同じ経験を持つ者同士で交流を図ろうとする意思を持ち、
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙している者」は、
程度の差はあれ、「実親のサポートを受けている」と解釈出来ます。

食べて行くだけで精一杯、明日どうなるか分からない生活では、
ただ生きて行くだけで消耗して、エネルギーを使い果たし、
自分の内面の問題にかまけている余裕はありません。
自分の過去やアイデンティティの問題に対峙する為には、
精神的にも経済的にも、ある程度の余裕が必要なのです。

生憎私は、親との関係は、決して良好ではありません。
会えば喧嘩になり、不愉快になって、冷たく別れる事もあります。

それでも、双方共に交流を断絶しようとせず、
言い争いをしたり不愉快になりながらも、付き合い続けているのは、
本物の親子だからだと思います。
ここで言う「本物の親子」とは、血の繋がりは勿論、
法的な親子関係があると言う意味です。

実の親子関係は、法的に離縁する事は出来ません。
ドラマや映画等で、親が子に「勘当だ」と言うシーンがありますが、
「勘当」は社会通念上のみ存在する概念で、
法的に実の親子が縁を切ることは、一つの例外を除いて不可能です。
日本の法律で唯一、実の親子の絶縁が認められているのは、
特別養子縁組で、子が別の夫婦の特別養子になった場合に限られます。

「血は水よりも濃い」と言う言葉がありますが、
いがみ合いをしながらも切り捨てる事が出来ない、
良くも悪くも切っても切れないのが、
実の親子関係であり、親子の縁だと思います。

里親の家に措置された経験のある友人の中には、
虐待のない里親家庭で育った方もいます。
しかし、自立後も里親と連絡を取り合っている方は、皆無です。

また、愛情いっぱい育てられて幸せになった元里子の方が、
「愛情いっぱい育てられている里子達はほんの一握り」と仰っておられるのを読むと、
里子を虐待・不適切な養育をする里親が多い現実が、浮かび上がって来ます。

里子経験者の話を聞くと、親に育てられなかった事で、
親を責めていたり、責めていた過去を持っています。

私も、親を責め、恨んだ時代がありました。
未だに親と口論して、頭に血が上ると、
「私を捨てた癖に」と、思う事があります。
「育てなかった癖に、親面しないでよ」と、言ってしまった事もあります。
その所為で、その場の雰囲気が険悪になってしまった事もあります。

妊娠中絶反対、里親や養親を推進するサイトで、
「子供を育てなくても、捨てる事にはならない」と言うような内容の言葉が
書かれていたのを見た事があります。
「事情があって子供を育てられないなら、
里親や養親を探して子供を手放すのも親の愛情であり、
親の責任の果たし方の一つ」と言う意見も、よく見かけます。

これらの意見について、この場で私見を述べるのは控えさせて戴きますが、
いかなる事情があれ、子供を手放した親、特に母親は、一生その責めを負います。

親が子供の養育を違法に放棄すると、保護責任者遺棄罪になりますが、
児童相談所等の公的機関を通じて、子供の保護を行政に要請した場合、
親は法的な責任は問われない事になっています。

法的な責任は問われなくても、
親は「子供を捨てた事」「育てなかった事」への責めを負います。
子供に責められ、社会的な責めも負います。

親が自らの手で、きちんと子供を育てた場合も同様です。
思春期になって非行に走ったり、社会に上手く適応出来なければ、
親は育児の結果の責任を問われます。
成人した子供が犯罪行為をして、新聞沙汰になれば、
親は社会的に抹殺されたも同然の立場に追い込まれるでしょう。
子供の人生に責任を負い、死ぬまで背負い続けるのが、親なのです。

しかし、里親はどうでしょうか。
里親の虐待や不適切養育の結果、里子が問題行動を呈したとしても、
里親が責任を問われる事は一切ありません。
思い通りに育たなければ措置解除して追い出せば、一件落着です。
責任を問われないばかりか、「手の掛かる子」「難しい問題児」を養育したと評価され、
里親の輝かしい実績にカウントされるのです。

措置終了後、里親は里子への責任を一切負いません。
里親の養育の結果、元里子が精神的なトラブルを抱えて苦しもうが
その所為で自殺しようが野垂れ死のうが犯罪に走ろうが
里親の知った事ではないのです。

親と里親の責任の重さの違いは、比べるまでもありません。
里親制度はあくまで社会的養護の一環に過ぎないからです。
施設出身者が犯罪を犯しても、その人が育った施設の職員が
それまで暮らしていた地域社会に村八分にされ、
居たたまれずに引っ越した、と言う話は、聞いた事がありません。
里親の責任は、施設職員のそれと同程度で、
親が背負う責任とは比べようもないのです。

養子縁組里親は、養子縁組をする前提で里子を引き取ります。
法的に親子関係になる事は、実の親と同じ重みの責任を背負う事であり、
里子と血の繋がりはなくても、家族になる用意がある事を意味していると思います。

しかし、養育里親は、養子縁組を前提としないホームステイに過ぎません。
措置終了までの期限付きの養育で、且つ、養育の結果に責任は負いません。
他人の子に、我が子に対するのと同じ重さの責任は取りません、
里子にそこまで責任は取れませんと、半ば公言しながら育てているのと同じです。

そのような養育人を、親や家族と呼ぶのは無理がある、
その条件付きの養育環境を、家庭と呼ぶのは無理があると思うのは、
私だけでしょうか?

皆さんは「里親団体」と聞いて、どんな団体を思い浮かべるかしら。
子どもを守る団体? 啓蒙団体? 里親の質向上に努める団体? 
悲しいことだけど「里親団体」といわれる団体は
皆さんが思い描くような「慈善の精神に満ちあふれた団体」ではないの。
その実態は「慈善の精神」とは遠くかけはなれた「里親の利権を守る団体」で、
里親手当の「賃上げ」を行政に詰めよるのが彼らのおもな「お仕事」なの。

彼らの要求どおり里親に支給される手当は年を追うごとに着実に増えつづけ、
今年も増額されたらしいけど、彼らはさらなる「賃上げ」を求めてるらしいの。
まあ、里親の労働組合と考えればわかりやすいわね。
彼らが求める「里親手当の増額」は、どこからどう見たって明らかに
里子を世話するという「労働」に対する「報酬」の「賃上げ」なのに、
どういうワケか里親たちは絶対にそうと認めないの。
里子にかかる生活費や諸手当は「里親手当」とはべつに支給されるの。
里親団体が賃上げを要求してるのは「里子の養育費」ではなく「里親手当」なのに
彼らは「里子のために」という冠をつけて「里親手当」の増額を要求してるの。
「里親の利益のため」ではなく「子どもたちのため」という大義名分の下、
里親に支給される「里親手当」の増額を要求してるの。

里親は「慈善の精神で里子を育てるボランティア」だから
里親手当の増額を求めるのは、里親のフトコロを潤すためではないのね。
親に育てられない「かわいそうな子どもたち」に1人でも多く
あたたかい家庭(笑)をあたえてあげたいから賃上げ要求してるのね。
子どもたちのため里親を増やすために里親手当の増額を求めてるのね。
自分たちがお金が欲しいから賃上げを要求してるのではないのね。
・・・アホくさ。

今春も「里親を増やすため」という口実で里親手当が増額されたらしいけど、
そもそも里親は不足してないの。むしろ、あまってるの。
全国の里親希望者は7千人、うち里子が委託されてる里親は2千人にとどまり、
里親登録者の半数以上が登録はしたけど里子が委託されない開店休業状態なの。

その点を指摘されると里親推進派は口をそろえて
「育てないクセに里子に出したがらない実親」のせいにするけど、
「里親は里子を選ぶこと」については一切ふれないの。
決して安くない「労働対価」を税金から受け取って里子を預かるのに、
まるでペットショップのショーウィンドウの中の犬や猫を選ぶかのように
里親は子どもの年齢や性別はもちろん、あれこれ条件をつけて子どもを選ぶの。
里親が里子を選ぶことには口をつぐんで、都合の悪いことは実親のせいにするの。
いくら里親の数を増やしても、里親が子どもを選ぶかぎり委託率は上がらないし
お金欲しさに里親になる人が増えても、里親の質向上に繋がらないわ。
里親全体の質が低く、悪質な里親がベテラン面して大手を振ってる現状では
里親の頭数を増やせば増やすだけ「不幸な里子」を増やすだけなの。
そして現状は、里親が不足してるのではなく、里子が不足してるの。
というか、里親が欲しがるタイプの子はそうそういないの。
「かしこく、かわいく、アレルギーや障害や持病が一切ない健康優良児で、
実親との別離経験の記憶がなく、手のかからない子ども」が不足してるの。

里親団体の飽くことない貪欲な「賃上げ」要求を見てると、
彼らが「子どものために」とそれをやってるとは思えないの。
子どものしあわせは二の次で、お金が欲しいだけにしか見えないの。
お金欲しさに「かわいそうな子どもたち」を利用してるようにしか見えないの。
本心から「1人でも多くの“かわいそうな子ども”に家庭を与えたい」と思うなら、
賃上げ要求の前に「里親は里子を選ぶなキャンペーン」でもすればいいのよ。
実親が精神障害であろうと薬物中毒であろうと犯罪者であろうと
子ども自身が障害児であろうと持病があろうと重いアレルギー体質であろうと
どんな子だろうが選ばないで引き受けて育てればいいのよ。

誤解を承知で私の個人的な見解をいわせてもらうと
里親が里子を育てる労働対価を受け取ること自体に文句はないの。
そこが自分の「帰る家」ではなく、家族でもなく、15歳か18歳になったら縁切れして
ひとりで社会に出て行かねばならないのは里親の家も施設も同じコトだもの。
里親が社会人として責任もって「里子を育てる」という仕事をしてるなら
堂々と胸を張ってそう主張すればいいのよ。
それなのに世間の一般人からは見えないところでコソコソ賃上げ要求をして、
賃上げ要求の大義名分に「親に育てられないかわいそうな子どもたち」を利用する、
そのやり方の狡猾さがハタから見ると滑稽きわまりないのよ。
ビジネスとして里子を育てることに文句はないけど、
それならそれでプロ意識をもってキチンとお仕事をしてほしいのよ。
商品である子どもを選んだり、ロクに世話もしないで給料ドロボーしたり、
里子に支給される手当をネコババしたりしないでほしいの。
報酬をもらってビジネスとして里子を育てることは否定しないけど、
「家族になる」だの「家庭を与える」だの、そういう欺瞞はやめてほしいの。
本当に家族の一員なら、親は「子どもを育てる労働対価」を国に要求したりしないの。
「報酬をもらって子どもを世話する人」を「家族」と呼ぶことに違和感を持たない人や
「報酬をもらって子どもを預かること」を、本気で「子どもに家庭を与える」と
なんの迷いもなく言い切れる感性の持ち主は、里親にならないでほしいわね。

この事件(詳細は下のリンク先の記事を読んでね)を知ったとき、
残虐非道な虐待を受けた少女のことを思って胸が痛くなると同時に、
氷山の一角ではあるけど、里親による里子への虐待が「発覚」して、
きちんと「事件」として扱われる時代がきたのね・・・と思ったの。
でもよく読むと「病院から連絡を受けた実母が府警に通報した」と書いてあって、
頭をぶん殴られたような気がして頭が真っ白になったの。

『里親の女が里子の女児を虐待 6カ月の重傷負わせた容疑で逮捕』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091014/crm0910142215034-n1.htm

もし、この少女に母親がいなかったら・・・
母親がいても、事件を知らされなかったら・・・

つまり、実母が警察に通報しなかったら表沙汰にならなかったの。
里親がこの少女に一体なにをしたのかわからないけど、
全身にアザ、陰部や直腸に裂傷を負って、病院に運び込まれてから
半年以上たった現在も入院治療を受けてるほどの重篤な被害を受けたのに、
実母が警察に通報しなかったら、この事件は「事件」にならず、
加害者の里親は善人ヅラを引っさげてのうのうとしてたの。

そして実母は「病院から連絡を受けて」この事件を知ったの。
病院側が実母の連絡先を知ってた、ということは、
すでに病院側は児童相談所とコンタクトをとってたことになるけど、
児童相談所は実母に知らせず、警察にも通報しなかったの。
病院が実母に連絡して、実母が警察に通報しなかったら、
里親は児童相談所とグルになってこの事件を隠匿するつもりでいたの。
病院が実母に連絡して、実母が通報して警察の捜査が入らなかったら、
この事件は「少女の不注意」とか「自慰中の事故」として片付けられてたの。

里親制度の実態を知らない人は、にわかに信じられないと思うけど、
里子が里親に暴行されて性器や肛門にダメージを被っても、
里親が「自慰中の事故」といえば、それで済んでしまうの。
それがたとえ就学前の幼児でも。
その子の周囲に、里親の嘘と演技を看破する洞察力と、
たとえ好戦的な里親に敵視されて訴えられたりトラブルに巻き込まれても
その子を救出しようとする強靭な意志の持ち主がいないかぎりは。
そして多くの場合、里子の周囲には、そこまで親身になってくれる人はいないの。

この事件でわかったことは、里親制度の「里子に口なし」体質は、
私が里親の家に措置されてた頃からなにひとつ変わってないということ。
この子を虐待から救出しようと動いたのは「病院」であり、
「児童相談所」でもなければ「里親団体」でもないの。
里親制度はいまだ国家による暗黙の「児童虐待公認制度」なの。

そして里親は、虐待が「運悪く」表沙汰になると、里子と児童相談所にせいにするの。
慣れ親しんだ土地を離れて、知らない環境でゼロから新生活をはじめるときは
オトナだって緊張するし相当なストレスを受けるものだけど、
それが幼い子どもだとしたら、不安やストレスは計り知れないものがあると思うの。
緊張状態を強いられると神経過敏になるし、夜も眠れなくなる。
眠れたとしても睡眠が浅く、些細なことで目が覚めるし、
慢性的に寝不足がつづくと不機嫌になってグズるかもしれない。
食だって細くなるし、逆に過食になったりもする。
その程度のことは、人並みの想像力さえあれば
児童心理の専門家でなくてもわかると思うの。
でも里親たちは、自分たちが子どもに安心感を与えられないことは高い棚にあげて
その子が「とくに性質の悪い子」であると針小棒大にわめきたてるの。
人の子の親になれば誰もが経験して乗り越える類の苦労でも
里親たちは「自分たちは極めて特殊な苦労をしてる」とアピールするの。
そしてレアケースながらも里子虐待が発覚すると、お約束のように
「児童相談所がきめ細やかにサポートしてくれないから」虐待したというの。
里親団体は「虐待発覚時の言い訳マニュアル」でも作って配ってるのかしら?
いつも決まって、判で押したように児童相談所のせいにするの。
なんでも「教師が悪い」と責任転嫁して学校に怒鳴りこむモンスペみたいに。

私は里子になりたくて里子になったワケでなく、里親を選べず、
里親の家に行かない自由も与えられなかった元里子の立場として、
里子を虐待するような人間を里親に認定した児童相談所はマヌケだと思うけど、
里親はいつでも好きなときに措置解除して里子を手放す自由が保証されてるし、
里親登録を辞めることもできるし、最初から里親にならない選択肢だってあるの。
児童相談所がマヌケなおかげで里親になれたのに、
児童相談所に責任をなすりつけるのは、お角違いもはなはだしいと思うの。

そもそも児童相談所の職員の前で「優秀な里親」を演じておきながら、
虐待が表沙汰になったら「サポートしてくれない」とか言いだしても
同情乞食の責任逃れとしか聞こえないの。
この里親にかぎらず虐待する里親は、自分のメンツがいちばん大事なの。
里子は「里親のメンツ」を引き立てるための道具にすぎないの。
里親の頭に載った王冠の宝石のひとつにすぎないの。
里親制度は、保護児童がしあわせになるための制度ではなく、
里子を介して「なにか」を欲するオトナのために、里子をあてがうだけの制度なの。
その「なにか」は「お金」だったり「労働力」だったり「社会的評価」だったり
ヒトによって異なるけどね。